2009年7月31日金曜日
【ホンヨミ!】安心社会から信頼社会へ【金光】
かつて、日本は信頼を必要としない環境だった。なぜならコミットメントの作成による安心があったからだ。組織に属することで自分たちを保護し、ある意味、外部を排除することで安心感を得ていた。信頼できるか否かを調べる心配もない環境だった。
しかし今、安心崩壊の危機にある。かつて「安心」は安定した社会によってもたらされていた。その安定は、集団や関係の安定性が、内部の勝手な行動をコントロールしていたことによるものだった。集団は内に対しては安心し、よそ者に対して強い不信を示すという特徴がある。現在の日本では、今までのような関係を維持することによるメリットよりも、それに伴う機会費用の方が多くなっているのだ。
個人主義のアメリカ人に比べて日本人が安定した集団主義を好む、というイメージは正解ではない。このような行動傾向の原因は、本人の意向というよりもそのように行動した方が過ごしやすい環境に置かれていることであるからだ。つまり、社会への適応行動としてあらわれた傾向は、根本にある社会環境を変えなくてはならない。
これは自分の解釈なので間違っているかもしれないが、今までの日本がいつも一定の相手との関係によって確実に80の利益を目指す集団組織だとすると、これからは安定はしていないけれど、選択肢を増やして時にはマイナス~100以上の利益のある可能性に向かう、ひらかれた組織→つまりマイナスを減らすために「信頼」が必要といえるかもしれない。
【ホンヨミ!】著作権とは何か【金光】
テスト直後のこの時期に、この本に出会えて本当によかったと思う。
私にとって一年で本当に貴重な、法律をみっちり勉強して、頭の中が条文と法律用語だらけになるテスト前の数週間。
法律は時に抽象的で、そしてなぜかすべてとても難解に書かれている。理解したらなんてことない内容なのに、とても回りくどかったりする。
この本はまず、すごくわかりやすかった。期末テストで、法律の難しさに直面した後だったからなおさらだと思う。内容は題名通り、著作権のこと。
一番印象的だったのは、「著作権というシステムそのものが、全世界規模の壮大な実験」という筆者の考え。著作権という考え方自体を考え直すくらいの柔軟な姿勢で取り組まないと、いままでの作品そしてこれから作品を生み出す環境を創ることを最大限サポートできないのか、と思った。一企業、一アーティストはなかなかこのような広い視点での捉え方はできないと思う。自分の作品が法にひっかからないか、そしてヒットしたらいつまで保護されて利益はどう入るのか、というところに目がいきがち。これからのクリエイティブを生み出す土壌を作るのは、アーティスト側ではなく、筆者のような立場の人間なのかと気付き、とても興味を持った。
日本で著作権法は毎年改正されている、と先日もゼミで学んだ。さらにこれからネットでのデータ通信が盛んになるにつれて著作権のトラブルは増えていくと予想される。
幸運にも8月24日に先生の企画で、筆者の講演を拝見できることになった。
普段どのような業務を行っているのか、そしてこれからの日本の著作権のありかたなど、実際に聞くことができるのがとても楽しみだ。
合宿から帰ったら、もう一度勉強しなおさないといけないな、と思う。
【ホンヨミ!】就活のバカヤロー【戸高】
就活が差し迫る中、とある授業の課題をするにあたり、利用できそうなので読んだ。
就活の現状を、実際の人事担当者へのインタビューを通じて書かれている。
この中で驚いたのは、就活が95年までは就活協定があり、4年の夏がピークだったということだ。また、うちの父親に話を聞いてみると、父親の時代は4年の秋に就活をはじめ、すぐに内定が出る状態だったらしい。
もちろんインターンはなく、就活に向けての活動を行っている人間はほとんどいなかったらしい。
しかし、今は就活の心配をしすぎるがあまり、学生の本分である学業がおろそかになっているのも現実だ。昔の学生に比べて今の学生が勉強をしていないとよく言われるのもうなずける。
事実、本の中にも書かれていたが、ゼミや授業よりも就活が最優先事項として大学3年生、4年生は動いている。そしてそうしなければならないのも事実だ。それでは大学の教育機関としての役割が十分に果たせず、大学側も頭を悩ませているが、就活実績を受験生は意識するので反対することもできない。
この就活の現状が変わることはないだろう。『就活のバカヤロー』という題目上、就活を批判している内容であるが、その内容をうのみにし、批判的、また悲観的になってはいけない。
自分なりの意見を持ちながらテンプレ人間になることなく、就活に立ち向かっていきたい。
【ホンヨミ!】読む人間【池亀】
図書館で偶然目にし、タイトルにインパクトがあったので読んでみた。本書では、大江健三郎にとって読書はどのような影響をもたらしたか、とくに小説家としての職業にどのような影響があったかということが述べられている。人生の半分を読書が占めると言う著者は、自身と本との関係を、自分という人間に血管でまさに直接つながっている感じと表現している。すごい例えだが著者にとってまさにそのような感じなのだろう。また、読書については、人間は本を読むことでそれを書いている人の精神がどのように働いているのかを知ると同時に、いまの本当の自分に出会うチャンスをえることができるとしている。たしかに本を読む時、その内容を理解する過程で必ず自身と向き合っているように私も感じる。逆に本を読んでいない時というのは、自分がふわふわと地に足がついてないような、自分を見失いそうな感覚が生じる。最近それを思い知ったところである。さらに、本書で著者は、古典を読むこと、とくに若い時期にそうしたものを読むことの重要性を繰り返し説いている。大切な本だと聞いて読んだが、これは人生に役に立たないと思う本でも、永い歳月がたって、それが光りを帯びることがあるそうで、そうした意味で将来古典が与えてくれる豊かな経験を思い、若い頃のうち古典を読みその準備をしていくのはよいことだろうとしている。著者が言うとやはり非常に説得力があるものだ。この本に出会ったのもなにかの縁だろう、本書の中で著者はこれまでの人生の上で重要だとする本をいくつか紹介しているので、この夏読んでみようと思う。
2009年7月29日水曜日
【ホンヨミ!】下流社会【金光】
友人に勧められた本。でも、どうも納得できずに終わってしまった。
見ると出版が2005年だったので、このような社会の流れをつかむ本としては少し古いのかもしれない。はるか昔のことを、――あの時はみんな上向きで成長しようとがんばっていた――とかいうのではなく「現在」の日本を上中下で分けていることへの抵抗からぬけだせなかったのかもしれない。現在の話だから、どうしても自分を投影させて考えてしまって、客観的にとらえられなかったと思う。
「運も実力のうち」とよく思う。語弊はあると思うが、運を手繰り寄せるのもその人の実力だと思うことが多い。それはある程度の満たされた環境にいるからかもしれない。
この本を読んで、普段自分が考えていることとリンクさせて思ったのは、自分が発揮できることを100%出さないとだめだなということ。それこそ自分の今いる環境があるなら、それをフルに活用すればいいし、するべきだと思った。
本の中にはいろいろな具体例が挙げられていた。類似点でグループわけされているたびに、そこをひとくくりにしなくてもみんなそれぞれ事情が違うのに、などの反感をいだいてしまった。
でも所詮自分が知っている世界もせまいと思う。
だから偉そうなことは言えないけれど、でも、ここに描かれているのがどんな時代の流れであっても、自分は自立して生きていきたいし、働きたいと思った。
自分が上流にいるのか中流か、下流かというランク付けや分類じゃなくて、自分がやっていることが社会にどれだけ貢献できるか、自分だからできる能力、存在価値を生かして社会に働きかけていけるかということが大事だと思う。
2009年7月21日火曜日
【書評】安心社会から信頼社会へ【勝部】
僕は、今まで「安心」と「信頼」」の違いについて考えたことは無かった。しかし、この二つの言葉は「同質」ではあるが、「同義語」ではない。むしろ、真逆だ。「安心」は社会の前提になるような暗黙の掟であり、時に懲罰をも伴う。一方「信頼」はゼロの状態から作り上げることによって成立する。信頼するのもしないのも、当人の自由意志にゆだねられている。この点が、この二つの大きな違いだ。
「安心社会」から「信頼社会」へのシフトが、日米との比較も含めて、緻密な社会学的統計を用いて展開されている。統計の方法論に関しては興味が無いのでほとんど読み飛ばしてしまったが、まさに常識とは反対のデータが提示されていた。いかに常識と現実がかけ離れているか、あるいはイドラの影響力を改めて感じた。
個人的なことを言えば、日ごろから人を信頼できているだろうかと思った。また、本書では言及されていなかったが、「信頼 Trust」と「信用 Credit」の違いについても考えた。この答えはかなり個人差が出ると思うが、誤解を恐れずに言うと、私は片務的であるのに対して後者は双務的であるように思う。つまり、「信頼する」ということは見返りや保障を求めずに信じること、「信用する」ということは何かそれを担保するものがあって信じること。一言で言えば取るリスクの違いだ。もちろん、信頼の方がリスクがでかい。
リスクをとらなければ、信頼することはできない。逆に言えば、信頼されるということは、コミュニケーションの相手にリスクを取らせると言うことだ。この関係性を見ていくと、やはり信頼も双務的、いや、相互作用的なのかなと思った。つまり、信頼されるということは信頼すると言うこと、逆も然り。だから人を信頼できるということは、自分も信頼される人間であると言うことではないだろうか。それをこの本書の理論で解き明かすと、「信頼の好循環」のようなものが見出せる。それは一向に良いことだ。
2009年7月16日木曜日
【書評】イエスはなぜわがままなのか【勝部】
「イエス」ってあのイエス・キリスト?まさか、20億のもcivilに絶対的な神として崇められるイエス・キリストが「わがまま」であるはずが無い。私は典型的な日本人と同じく、正月には初詣に行き、葬式にはお坊さんが来るのを当たり前と思い、クリスマスになると何かしらの特別な意味を思い浮かべる、それでいてほとんど無神論者、無宗教に近い。しかし、研究対象としての宗教には関心があり、それは社会学・政治学的な領域での宗教だ。この本は、そんな私にぴったりな本だった。
新約聖書のエピソードは無数にあるが、代表的なものを除いて、我々はその大半を知らない。断っておくが、この本は敬虔なクリスチャンによって書かれた本であり、キリスト教を否定するためのものではない。そこで、例えば、少しデフォルメするが、イエスが「俺は腹が減った。でもこのイチジクの木には実がない。ならば枯れてしまえ!」といって本当にイチジクの木を呪い枯らしたという話をあなたは信じることが出来るだろうか。何のためらいも無く罪も無い豚を集団自殺に追いやって、住民から『頼むから出て行ってくれ』と懇願されたり、私は平和なんてもたらさない、争いをもたらすためにいる、と平然に言うイエスの姿を想像できるだろうか。また、「家族と敵対せよ」という教えを何の疑問も無く受け入れられるだろうか。神殿を市場として使っていたことに腹を立て、鞭で動物を扇動し、めちゃくちゃにした破壊者としてのイエスをどうとらえるべきだろうか。
聖書は教科書ではない。無味乾燥に連ねられた事実を覚え、規範とするのではなく、その奥に潜む真実を読み解かせるものなのだ。これらのエピソードには意味がある。筆者なりの解釈はここではあえて紹介しない。なぜなら、インターネットで調べてみたところ、これらの解釈は実に多様だったからだ。つまり、答えは人によって違い、正解などないのだろう。
私はこういったエピソードは逆にキリスト教がここまで広く受け入れられた秘密でもあると思う。合理的で、首尾一貫しているものより、不完全で人間らしい人の方が不思議と魅力的なものだ。もしイエスが矛盾なく、完璧主義者だったら現在までこのキリスト教が存在していなかっただろう。なぜだかそういう気がする、合理的でないものは合理的には説明できないが。
0710ゼミの感想
・ものつくり
一言で言うと、楽しかったです!紙粘土とかをプレゼンに使うなんて考えてもなくて、新しい気持ちでグルワーができました。評価基準のポイントがとてもおもしろかったです。そういうところを見て伸ばすのって大事だと思いました。実力とかアイディアとかが問われるけど、それを一人でやる必要はない。チームとして、環境が整えば、各自がよいパフォーマンスをし、結果としてものすごいものができる。環境づくり、これからもがんばっていきたいです。グルワーの機会がもっとあったら嬉しいです。
・韓国
それぞれ個性が出てておもしろかったです!遊園地、ああやっぱりかって感じでした。行きたいところがたくさんあるので、とりあえず何パターンかにわかれていく案に賛成です。合宿がさらに楽しみになりました!
2009年7月15日水曜日
0710ゼミの感想
【ものつくり学部】
実現性は考えなくてよいということだったので、自由に発想できてとても楽しかったです。また、グループの方々が瞬時にたくさんアイディアを出していてたのですごいと思いました。それに刺激を受けて、徐々に自分も考えが浮かんできて、まさに相乗効果だなと感じました。
ただし自分は、アイディアは出せても、それを上手くまとめて発表のかたちにまでする力があきらかに弱いと実感しました。これは後期の課題です。
【韓国】
とにかく待ち遠しいです。せっかく現地へ行くので、できれば韓国の学生と直接話をしたり交流がもてたらいいです。また、歴史的な場所に行く際には、事前にある程度勉強しておきたいと思います。
2009年7月14日火曜日
【ホンヨミ!】世襲議員-その構造と問題点【大賀】
2009年7月14日読了
★メディアコムで「文章作法」の授業を担当し、また、今年度は合宿にも来てお話してくださった稲井田先生の著書がついに発売です!これは買うしかない!というわけで皆さん是非是非買って熟読しましょう!
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「日本の政界は世襲議員ばかりだ。」ニュースや新聞などで、こうした非難の言葉が口にされるたびに、私は内心首を傾げていた。「世襲、世襲っていうけど、『世襲』の定義って一体何だろう。今現在、世襲議員の数はどれくらいいるのだろう」という疑問があったからだ。世襲議員の存在を頭ごなしに批判することは簡単だ。だがその存在をしっかりと把握しておかなければ、その批判には効力が無くなってしまうだろう。詳細なデータを分析しなければ、論理的でかつ正確な批判はできないのだ。
本書は、現役共同通信政治部記者が書いただけあって、現場取材及び調査に基づいた、「机上の理論」にとどまらないデータ分析が行われている。まずは「世襲議員」の定義について。筆者は世襲議員を、「父母(養父、養母を含む)または祖父母が、同じ県内の選挙区で当選し、国会議員または知事(政令市長を含む)国会議員」としている。この明確な定義により読者側としては「世襲議員」の存在がイメージしやすくなる。すると、数々の実態が浮かび上がってくるのだ。2009年6月1日現在、世襲議員の数は133人、全議員中18パーセントの割合である。すなわち5人に1人が世襲議員ということになる。世襲議員が少なく、ましてや国の最高責任者が「親子代々」であることはめったにないアメリカやイギリスの例を見れば、日本がいかに世襲の多い国であるかは明白だ。
ではなぜ、「世襲議員」がこれほどまでに多いのか。筆者はその理由として次のように述べている。「選挙で当選する際に必要な『地盤』『看板』『カバン』が世襲議員には既に揃っている」と。「地盤」とは選挙区での個人後援会のことであり、「看板」とは知名度、そして「カバン」とは選挙資金のことだ。この三要素を受け継ぐことが可能という点で「世襲議員」は他の候補者よりも一歩先のスタートラインに立っているのだ。また、日本において選挙方式が自書式であるという点も関係がある。有権者は選挙の際に投票用紙に候補者の名を書くが、その際に、全く知らない名前よりは知っている名前(名字)の方が書きやすい。つまりは「名字が同じ」息子や娘婿に投票しやすくなるのである。こんなところにも、「世襲議員」増加の背景がある。
「世襲議員」が多いことの最大の問題点は、一般の人々が政治家となるチャンスを減らしているという現状にある。こうした状況を踏まえた上で、「世襲議員」を規制する何らかの法律を制定していくべきだと筆者は強く主張している。世界金融危機が発生し、日本社会が揺らいでいる今必要なのは、血筋ではなく実力によって裏付けられた政治家だ。私自身もこの考えには大きく同意したい。
本書を読み、ふと考えた。もし私のような庶民が政治家を志すとして、大成するまでにはどのくらいかかるのだろう。首相になることは可能だろうか?・・しかしいくら想像力を働かせてみても、自分が政治家となっている図すら思い浮かばない。近い将来、子どもたちが「将来は政治家になる!」という夢を語れるような社会を実現させるためには、「政治家」という存在に対する壁を取り払う必要があるだろう。そのためにはやはり「世襲議員」の増加は批判させるべきものなのだ。
0710ゼミの感想
結果はとても悔しかったが、本当に楽しかった。企画をしてくださったものつくり学部のみなさんには本当に感謝しています。
今回学んだことは、評価軸をもっとちゃんと認識するべきだったということだ。また、何故運営側はその評価軸を設定したのかをもっと考える必要があったと思う。
また、今まで私は、議論の時間が短ければ短いほどその分自分の発言が議論全体に及ぼす影響が大きくなると思い、短い時間の議論では、発言するとき少し躊躇してしまうことがあった。しかし、今回のグルワで、議論の時間に関係なくまずはアイデアの数が大事なのだということを知った。
<韓国プレゼン>
皆のプレゼンを聞いて、ますます合宿が楽しみになった。個人的には、りせのプレゼンがシュールでとても面白かった。とても斬新なアイデアだったと思う。
また、プレゼンはやはりスライドよりもそのひとがいかに語るかということが大事だと改めて思った。
0710ゼミの感想
ものつくりワークショップ
以前にもこのようなグルワを企画したことがあり、前回よりもいいものにしようという気概で望んだ今回、結果としては依然として至らない箇所も散見されたものの、イメージ通りのグルワに近いものになったと感じている。
反省点としては評価基準やタイムマネジメントだろう。急こしらえで企画したため、当日の役回りなどでバタバタしてしまった。ここは次回改善できればと思う。
結果に関しては各自思うところがあるだろう。(期間をもっと長く/短くしたら結果は全く異なっていただろう)ただ、今回は方法論を身につけてもらうのと、グルワに慣れてもらうことに主眼を置いたので、結果は二の次で、方法論をこれからのグルワに活かしてもらいたいというのが正直なところだ。
あと、プレゼンで思ったことをひとつ。評価基準の「論理性」「ストーリー性」「想い」に関連することだが、「自分たちは現状のここが不便だから、こうした方がもっと世の中がよくなる!」とマーケやコンサルほど論理的でないにしろ、現状分析→対案があった方が聞き手としては魅力的に見えるように感じた。
傍目で見ていて、参加したい衝動に駆られたので、次回はものつくり班以外が企画しても面白いかもしれない笑
※参考文献(再掲)
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
韓国観光プレゼン
まず、カジノやDMZ/JSAなどは韓国人の参加が不可ということにびっくり。かつての体制の名残なのか。それにしても日本もこのくらい外貨獲得に躍起になってもいいかもしれない。観光ガイドを流し読みしただけでは得られない1つ1つの情報とハンさんの活きた情報がかなり役立ちそうだ。
アクトビラ、映像制作、英語プレゼン、古川さんとの食事会、そしてワークショップと色々なイベントを通じてこの1か月で急速にゼミが盛り上がってきている。このテンションをなるべく維持するようにしたい。
2009年7月13日月曜日
ゼミの感想
●ワークショップ
先輩方のグループマネジメントは素晴らしく、それぞれ役割を存分に発揮できたグルワだったと思います。個人的に面白いと思ったのは、紅い糸のグループの案です。今、メールや音声、ビデオなどコミュニケーションツールはたくさんありますが、良くも悪くもこれらは自分の感情を正直に伝えてくれるとは限らない。相手に感情や握った感覚が伝わったり、鼓動が聞こえたりする機能は、とても魅力的でした。どんどん自分の正直な思いが伝わる、なにかインターフェースと自分の距離が近づくような感覚でした。笑
あとは、短い時間の中で評価基準に合った結果を出すということも重要である一方で、見方を変えればそれは一番とは限らないという先生の指摘が心に残りました。というのも、以前、評価基準に縛られすぎて失敗した経験があったので。
●韓国プレゼン
旅行に行くときは、その土地でしか味わえないことを存分に!そしてとにかく食事がおいしそうでした。映像も含め、しっかりとスケジュールを練らないと、ですね。
0710ゼミの感想
誠に僭越ながら今回は企画側としての参加でしたが、65分という短い時間の中でたくさんのアイデアを出し、一気にまとめあげていくプロセスは、見ているだけでもエキサイティングな感覚を覚えました。金先生も仰っていたように、評価基準が恣意的であったという事など含め、順位付けの方法などの運営として至らない部分も多々あったと思いますが、楽しいワークショップになったのではないかと思いました。今回のワークショップで用いたブレインストーミングなどの方法論や、コラボレーション感覚が、合宿のチーム作業のヒントになる部分があれば良いなと思いますし、自分もこれらの方法論は活かしていきたいと思います。
韓国プレゼンテーション
まず、コメンテーターとしていらしてくださったハンさんには重ねて感謝の意を表したいです。
プレゼンテーションはそれぞれ異なる視点から興味深いものばかりでした。特に菊池君のDMZや藤田君の世界遺産・カジノはかなり行きたいです!合宿が楽しみです
2009年7月12日日曜日
春学期最後のゼミ
ビジネスモデルや収益モデルにとらわれない自由な発想ができてとても楽しかった。たまにはこのようなアイディアをみんなで発散していくという作業も非常に頭の体操になる。またやってみたいと思う。
自分の班は、実用性ということも考えず、ただ想定した人がとにかく欲しくなるようなものを考えた。一番点数が低かったのはとても悔しかったが、やはり表現(プレゼン)のところで他の班に差をつけられてしまった。というのも、アイディアの収束が上手く出来ていなかったためだ。ブレストもして、方向性も定まり、そこからアイディアの数が増えてきたのはよかったが、それをまとめて「これだ!」という形にできなかった。また、班員がみんな同じひとつのことを考えるのではなく、行き詰ったときは一人ひとりが多角的に見ていくことが大切だと思った。そういう意味でもこれからグループワークも多くなると思うので自分の役割を意識していきたい。でも、自分の班の考えたストラップはあったら欲しいと思います!
・韓国プレゼン
みんなのプレゼンを聞いて、全てに興味を持ってしまい、自由行動のときに行きたいとこだらけです。歴史を見るのもいいし、現代文化を見るのもいいし・・・。 出発までにいろいろ調べておきたい。
私も1日の赤坂にはサークルの合宿の関係で行けないので、次みなさんに会うのは2日の成田空港になりそうです!
ゼミの感想
【ワークショップ】
アクトビラ以来のグループワークでしたが、やはりグループワークは楽しいですね。僕は好きです。皆で自由に意見を出し合うことで自分が気付かなかったり、思いつかなかった視点から物事を見られるからです。こうやって皆の考えを吸収できるのはホントに楽しいです。議論に先立って、松崎さんから「ストラップといっても、色んな用途があるから、どのストラップに対して考えるのか、また、未来といっても、どの程度の未来のものを想像するのか、まずは最終的な目標を皆で共有した方がいいのでは」と助言して頂きました。金ゼミでは「共有」することの重要性を教えてもらいましたが、中々実践できていないので、僕たち中心で議論をさせてもらいつつも、大事な所ではアドバイスしてくれた松崎さんには非常に感謝しておりますし、勉強になりました。また、グループワークでは自分の良い部分と、足りない部分が見えるのも魅力の一つだと思います。自分には、話しあった内容を、その過程で視覚化する習慣と能力が著しく欠如しているなと痛感しました。視覚化すると分かりやすいし、議論を整理しやすいということを教えてもらいました。視覚化の効用を侮ってました。反省です。それから、自分たちで話し合った段階では「このアイデアいける」と思っても、いざ、それを伝えるとなると、自分たちが言いたいことをそのまま皆に伝達することは大変難しいなと感じました。いくら、内容が良くても、伝達力(プレゼン能力)が無ければ、何の意味もありません。これからの課題です。
【韓国プレゼン】
それぞれ皆が色んなことを調べていて面白かったです。昨日のメーリスでは「ソウル観光」に一票入れましたが、歴史(歴史的建造物・史跡観光)も良いなと思いました。
赤坂はおそらく行けないので、8/2に皆さんにお会いすることを楽しみにしています!!
2009年7月11日土曜日
【ホンヨミ!】脳と創造性【岸本】
ロジック一辺倒から距離を置くことが出来ることを「創造的」とし、コンピュータとは異なり、私たちは皆「創造的」であるとする筆者の意見には賛同できる。更に、ダニエル・ピンクなど様々な専門家が論じているように、これからは機械や途上国にどんどん単純労働が流れていくので、わたしたちは「創造的」な仕事を要請されるようになるという議論がこの本にも通じている。
一番気にかかったのは文脈に関しての記述の部分。ベンヤミンのアウラ論を彷彿とさせるクオリアの話はそれなりに共感する箇所もある。(とはいえ、去年目の前でダヴィンチの「受胎告知」を見た時はこんなもんか。って感じだったが・苦笑)文脈は確かに流通や批評に適している。一種の「タグ付け」とも言えるだろう。その一方で文脈は創造性を促進する。モーツァルトは他の作曲家の曲を筆写しまくっていたし、デュシャンは一通り当時の美術の流れを通過している。(ここら辺は東大院の岡田猛先生の研究が興味深い)こうして多くの芸術家たちは既存の文脈を忠実になぞった上で新たなものを生み出してきた。文脈をなぞることは受容されることにおいて必要な条件ともなりうる。現在情報過多の時代において「タグ付け」を行うことによりいくらでも文脈が複線化するようになった。脱文脈化とそれに伴う文脈の複線化により今まで以上に創造的になったと言えるのではないか。とはいえ、文脈一辺倒でもダメであって、やはり両方を兼ね備えることが重要であるというのが私見である。
どうも全体的に定義が宙ぶらりんな言葉が多く、まさしく全体的に把握することで精一杯であった。
0710ゼミの感想
●ものつくり学部ワークショップ
どんなことをやるのかと内心ドキドキでした。小宮君、藤田君、菊池君と同じ班になりました。紅一点がまさかあんなふうに利用されるとは・・何が起こるかわからないものですね。「シケメン☆パラダイス」という名前と寸劇の方法は小宮君が提案してくれたのですが、そのバラエティー豊かなセンスに脱帽です。私は何事においてもついつい大真面目に考え過ぎてしまう性質だったりするので・・。今回のグループワークを通して、「皆が楽しんでやれれば良いものが生まれるのだ!」ということを学びました。本当に楽しかったです!寸劇では久々に大きな声を出してスッキリしました笑。
私たちの班では「嫌なものを追い払う匂いのでるストラップ」を提案させて頂きました。実用的なものを、ということで考えましたが、他の班の発表を見ていると、近未来的なのもいくつかありました。もっと未来志向でも良かったかなあとは思っています。ですが1位を取ることができたので大満足です!
またこういう機会を設けていきたいなあと思います。企画してくださったものつくり学部の銭谷先輩、岸本君、宮村さん、ありがとうございました!
●韓国合宿プレゼン
合宿がますます楽しみになってきました!是非皆の行きたいところを全部網羅したいですね。韓服を一緒に来てくれる人は絶賛募集中っていうかもう皆で着たいくらいです。
私は諸事情により赤坂プリンス前日合宿に参加できないので、2日の成田空港まで皆さんとはお会いできないと思います。半月も金ゼミの皆と会えないなんてさみしいですが、とりあえずはテストにレポートがんばろうと思います!^^ほんとーにお疲れ様でしたー!
半分終了…
合宿という山場を楽しんで、後期は前期+αな姿勢で取り組みたいです。
【ものつくり学部のワークショップ】
すごく楽しかったです。
40分+25分+発表の時間があんなに短く感じると思いませんでした。
今回は3人の2年生と先輩が1人で、個人的には普段と違う雰囲気でした。先輩は私たちの自主性を尊重して、陰からサポートしてくださって、2年生で手探りに、必死に取り組みました。
なんとなくイメージから固まって、「いける!」っていう感覚が4人で共有できたのがすごくうれしかったです。あの瞬間がグループワークでうまくいった時の醍醐味だなぁ!!と思いました。
個人的には話し合い→発表のときにうまく伝えられなかったような気がして、残念でしたが、「アイディア数」も足りなかったようです。1位の班はダントツでした。他の班を見ていても、いろいろ吸収できるものがありました。
最後、結果を見て分析をしているチームメイトを見て、4人誰一人欠けても、発表できなかったなと改めて思いました。ありがとうございました!
ものつくり学部の皆さんは一週間であんな企画を立ち上げてくださってありがとうございます。ひとつひとつのデザインや方法が洗練されていると思いました。当日まで内容を明かさないで期待をかけて、でも期待を裏切らない素敵な企画でした。
【韓国】
ガイドに載っていないところなど、いろいろ新たな知識を蓄積できました。最後にハンさんにコメントをいただけたのも良かったです。
このプレゼンも、ほとんど時間オーバーなく終わることができました。自分のプレゼンスライドは自分にしか使えないんだな、ということもわかりました。
合宿、本当に楽しみです!!メリハリのある、思い出いっぱいの合宿にしたいです。
2009年7月10日金曜日
春学期最後のゼミ
【ワークショップ】
アイデアは質より数である。だのに量を出せませんでした。つーか全部をポストイットに書かなかったのが敗因でしたか。やっぱり形にして残しとかんといけませんね。
あと、自分がそれが即席であれ、ある期間を一緒に過ごす運命共同体であれ、何かしらふわふわせんとしっかりした役割を持ってグルワすることの難しさを知りました。軸を持つのも大事だけども柔軟に対応できることが重要。
なにはともあれ楽しかったのは確かです。
【韓国】
ぜひ皆さん、ぴんくのためにソウルタワーまで来てください。ガチで。
0710ゼミの感想
【ホンヨミ】就活のバカヤロー【菊池】
大学三年の後半になると皆が一斉に就職活動を始める、日本特有の文化に対して疑問を呈する本書。一時期かなり流行っていた気がする。やはりみんな就活に対する疑問を潜在的に持っていて、本書はそれを体系的に代弁してくれているのだと思う。
僕が慶應に入って最初の学部ガイダンスを受けた時のこと。ある教授が「法学部政治学科は一体何をするとこなの?将来の仕事に何が役立つの?という質問をよく受けるが、大学のことと将来の職のことはほとんど関係ないから、心配しなくてよい」と言っていた。この教授は自分の教えることにプライドはないのか、と当時は思ったが、問題はそう単純なものではない。大学と就職のシステムはセット。会社は、従順で無難な人材をほしがる。このようなシステムの下、大学での勉強は何の役に立つのであろうか。
そう考えていた中、恐縮ですが彼女と話してて妙にしっくりときたことがあった。文学部にすでに定年退職を迎えたおじさんが学生でいるらしく、その人が言うに、大学はようは広い教養を身につけるとこで、人間的な魅力や文化的素養を身につける。テクニックは会社に入ってから学べばよいということだった。
今まで、こういう話はあまり認めたくなかった。大学は、専門的な勉強を死ぬほど頑張っていくべきだと。けれども、色々な人とかかわったり、本を読んでいるうちに最近、それだけでは全然足りないのだと本当に思う。狭いものにとらわれてしまってはだめなんだ。自戒をこめて。
【ホンヨミ】オーバーアチーブ【菊池】
本書はなぜかしっくりくる内容でとても面白かった。キャリアプランの立て方から、仕事に対する姿勢まで。恐らく、自分の身の丈に合っている内容なんだと思った。内容はかなり基本的だ。キャリアプランをつくることや、上司の期待にこたえられるように努力するということなど。しかし、これら基本ができているかというと、ハイと自信を持って言えない。本書は会社という組織を例に書いていたので、恐らく社会人向けの本なのだろう。ということは、社会人になったとしてもこのような基本的な部分が徹底できている人というのはあまり多くないのかもしれない。
それはさておき、特に印象的だったのは、「対照的な姉妹」の話。自分は根は楽観的な妹のタイプに似ているのだと思う。筆者はこのようなテキトーそうな人物にも良い面はあるとして評価しているのはなぜか嬉しかったが、内容の裏を返せばまだキャパの限界に挑んでいないということも言える気がする。筆者は頑張りすぎの姉を、自分のキャパを知れていないと言うが、もしかしたらこの妹も自分のキャパなんて理解していないのかもしれない。個人的には、楽観と悲観の両方を使い分けられるようになるのが目標。アイデアの発散と集束時なんかには特に使い分けは必要だと思う。そして何でも全力投球しないといけないですね。
【ホンヨミ】密約【菊池】
『密約』澤地久枝著
本書は、沖縄返還協定において日本とアメリカの間で交わされた密約が、外務省事務官によって新聞記者に漏えいされた事件が舞台となっているルポルタージュ。高校生の時、新版が出たのをきっかけに購入。当時は、国の裏の情報というものに触れてみたいという純粋な感想を持った記憶がある。今回は、とある授業で記者についての内容を扱ったのをきっかけに一時的に興味がわき、再び読むことにした。
本書は、記者という仕事に焦点を当てている。自分の中での記者のイメージは、本書による影響が大きい。それは相当のリスクを負っている仕事だということだ。そのリスクとは記者についての二つの問題点に由来する。一つ目は、記者の情報入手の手法の問題、二つ目は取材源が明らかになってしまうことの問題だ。まず一点目の問題点だが、本書では、新聞記者が、男女関係を通じて女性外交事務官から機密情報漏洩を唆し問題となった。これは結果として唆しがバレてしまったことで犯罪も成立することとなった。個人的には手法としてはあっても良いと思う。そこまでしないとありつけない、様々な問題もあるからだ。ただし、その「行為」が明らかになってしまえば元も子もない。それにより情報源も特定され、情報提供者一般を委縮させてしまう二つ目の問題にもつながる。
このように、記者は二つの大きなリスクを抱える仕事なのだと思う。しかし、このリスクを忘れると身を滅ぼすことになる。仮に、自分が特ダネに飢えている記者になったら、うまくリスクヘッジという謙遜さを持てるのだろうか。
【ホンヨミ!】ヒトデはクモよりなぜ強い【内山】
一番かっこいいな、と思ったのが、媒介の存在。理念を持っていて、それさえ達成されれば自分はいなくてもかまわない。権力とかに固執してしまうわたしや、多くの凡人にはなかなか持てない感覚だとおもった。歴史には名を残さない影の功労者。自分たちが知らないそういう存在がたくさんいるのだと思うと胸がすく思いだ。それこそ彼らの本望かもしれないが。そしてやっぱり、何かを動かす上で大切なのは信頼だとおもった。
【ホンヨミ!】テレビ進化論【竹内】
図などが多様に用いられていてわかりやすい。
今後のテレビの可能性を議論する際、オンデマンド視聴がよく挙げられるが、どうだろうか。
オンデマンドによる視聴は本質的にインターネットによるコンテンツ視聴と変わらない。いづれもpull型、情報を消費者が取りにいくタイプのメディアだからだ。これではテレビの強みを活かしているとは言えないだろう。テレビの強みは、有名なタレントを比較的安価で使えること、有利な放送コスト、同時性の3つにあるように思える。この強みを活かしたコンテンツをテレビが提案し、差別化できればテレビには未来があるのではないか。
例えば、タレントを多用したコンテンツはテレビや映画などマスを相手にしたメディアでなければ制作しづらい。タレント事務所の方から見てもインターネットでは、報酬の単価も小さく、利益のメインになることは考えづらいのではないか。ここに差別化の鍵があるように思える。テレビにある程度のインタラクションやカスタマイズを求めるのはわかるが、それではテレビの価値が相対的に低くなりネットに近づいていくだけだ。もっとテレビの価値を活かしたコンテンツ制作が求められていると私は考える。
【ホンヨミ!】ヒトデはクモよりなぜ強い【戸高】
この本の副題は、「21世紀はリーダーなき組織が勝つ」というもんでした。確かに、金ゼミも僕がいなくともやっていける面は大いにあると思います。個々の能力が高いから。
といっても、リーダーが必ずしも必要ないといった主張をしているのではこの本でもそんなことはなく、最低限の意思決定や、事務的手続きをすべきリーダー、またすべてをトップダウンで行うのではなく、フラットな組織を形成し、リーダー自身は行動で示しをつけ、その行動規範についてきてもらえるようにすべきです。
そして、ヒトデは手足にそれぞれ意思決定をする機能があり、核、つまりブレインは存在しないと書かれているが、確かにそういった分権化が過度に進んでしまった組織は確かに柔軟性があり、行動決定がトップダウンの中央集権型よりも速やかに行うことができる。しかし、逆に無秩序になりやすいといった欠点もある。
そのために分権化と中央集権をうまく組み合わせた、ハイブリッドな組織こそがこれからは必要になってくるのではないのか。つまり、トップが個人の明確なビジョンを定め、そのビジョンを決める際も、組織内の声を反映させ、そしてその個人のビジョンと、組織全体のビジョンを一致させた秩序ある体制の上で、各組織ごとに柔軟的に動かせる。
まぁそんなことはこの本以外の組織論を述べた本でもよく書かれている話ですが、自分自身はそうだなぁと関心しますね。
書評 Emotional Program
カーデザインやケータイデザインなどで著名な坂井氏の著書
人々の感性(消費傾向)を9つのクラスターに分類するEmotional Program (EP)という独自のマーケティング手法で商品開発を行うためのコンセプトワークの活用事例の一つ。
感性とマーケティングは基本的には相容れないものだと僕自身は感じている。マーケティングは数値化された定量データで調査され、それに基づいて戦略を練るからだ。もちろんそれに加え、定性的な感性という情報を加えられたら当然マーケティングの精度は増すと思う。実際に、そのような取り組みは活発になってきているし、解釈学的なマーケティングアプローチは興味深いものがある。
しかし、実際にこのような取り組みは個人的にはあまり理解出来ない。ペルソナなど徹底的に1人の消費者に対して仮定を設定し、それに向けたマーケティングを行う事例もあるが、その効果に対しては疑問を持つ。本書に関連させれば、そもそも人間を9種類に分類できるかも疑問だ。感性はあいまいで、不透明な部分が残るのは仕方ないことではあるが、もっと数値で表わせるような的確な指標が感性にも導入されらばと思う。
2009年7月9日木曜日
【ホンヨミ!】気の力【金光】
これは余談だが、ここ数週間で筆者の本を何冊か読んだ。彼の考え方はとても共感するところがあるようでいて、抽象的。読みやすいので簡単に内容を理解できた気になってしまうのだけれど、うーん本当にこれでいいのかな?という気持ちがぬぐえない。本文中に、とても情熱的な人柄というような記述があった。文章から推測されるイメージと大きく違った。筆者に実際に会ってみたいと思う。
場の空気、相手のことを感じることについての経験で、高校時代の夏休みを思い出した。3,4人の選手の生徒と、監督の先生と毎日、時には泊まりがけで一緒に練習した。
常に監督の次の行動や考えを予想した。持ち物を余分に持ってきたり、道具を出したり片づけたり、もちろんドアがあったら開けるし、エレベーターもボタンを押す、もちろん遅刻は厳禁…など、それを先輩がやっていたことから真似した。最初は、どうしてこんなに気が回るのだろうと驚いた。
ここでとても印象的なのは、私は先輩に教えられたわけではなく、先輩の行動を見て見よう見まねで覚えたこと。マニュアルがあったわけでも、やれと言われたわけでもない。この違いは自分が先輩になったとき、すごく大きかった。別に決まりではないから、同じような行動をする義務はない。もし規則になっていれば、教えてあげて、器械的にこなして…という感じで毎年続いていくと思う。そしてその方が教える方も教わる方も楽だと思う。でも、そうではない「空気を読む力」をこのとき感じた。
この例は特殊だと思うし、あまり理解されないかもしれないけれど、そのあとの自分にとってすごく重要な経験だったし、この本を読んでいて思い出したので書きました。
【ホンヨミ!】日本人のことば【大賀】
2009年7月9日読了
***
なんだか最近日々に潤いがない。「恋でもしたら?」母は笑いながら私にこう言うのだが、残念ながらそんなチャンスには暫く巡り合えそうにもない。なぜ私の日々には潤いが無いのだろう・・・。毎日毎日、何かしらに追われて生活をしているからかもしれない。思えば、最近、将来のことについて考えるたびに焦りが生まれてきて、読書をしていても何をしていても心ここにあらずな状況が続いていた。忙しいという文字は心を亡くすと書くらしいけど、まさにその通りだ。このままじゃいけないな。このままじゃぁ、私はきっと社会に出てから「もう一度学生になりたい」と思って後悔することになるだろう。
そこで手に取ったのがこの本だ。日本人が口にした様々な「美しいことば」を並べてあるだけの、なんだか中学時代の国語の教科書のような本。簡単に読もうと思えば読めるが、じっくり読めば奥深い。日本語は本当に美しい、と思う。英語のような「わかりやすさ」はないが、言外の意味というか、言葉が示す意味以外のものを含んでいて、なんとも言えぬ「奥ゆかしさ」がある。日本という国に生まれた私たちは、その言葉の美しさを享受し、使用していくべきだろう。
私が本書に紹介されていた言葉の中で最も印象に残ったのは「おもしろき こともなき世を おもしろく」という高杉晋作の辞世の句だ。高杉は結核を患い若くして世を去ったが、その生き方は確かに「おもしろく」、型にはまらないものだった。彼の言葉は私にとっての日々の抱負と重なる。人生は辛いことや苦しいこと
の連続だと思う。それに歎いて、愚痴を言うことは、多くの人々が行っている。だが、その人生の苦しみを「おもしろいもの」を捉えることができる人こそが、「豊かな人生」を送れるのではないだろうか。だから私は毎日笑顔でいたいし、どんなに苦境に立たされても前を向いていたいと思う。・・・と、口で言うのは簡単だが、なかなか実行には移せていない私。うーん。
鏡の前で一日一回、笑う練習から始めてみようかな。
2009年7月8日水曜日
0703ゼミの感想
【ホンヨミ!】出社が楽しい経済学【金光】
金ゼミで取り上げた経済用語の内容について質問した時に、戸高さんが紹介してくださった本です。
今回わからなかったモラルハザードについては、他の用語のページでもちょくちょく登場して、あらゆる場面であてはまる概念のようだった。この本では「自動車保険と交通事故」や「医療保険と病気、ケガ」「老舗ブランドの偽装問題」などが例としてあげられていた。具体例がとにかく多くて、どれも身近なのが、とてもわかりやすかった。そして本は何度でも読み返せるため、授業で聴き逃したところもじっくり考える時間をとれた。
経済用語と言っても普段使う単語も出てくるため、勘違いして理解してしまいがち。
授業を聞いてわかったような気がしたり、この本を読んでいて理解できたような気がしても、実際に次に他の具体例に出会った時に応用できるかどうかは不安でいっぱい。
経済も、面白い!と思った。「お金の価値が、年がたつと下がることがある。だから金利の数値だけを見て判断するのではなく実質金利を考えることが必要」――このような知識がないと、実生活で損をしてしまう!と知って興味がわいた。法律も、生活に関することだと思っていたけれど、それよりも身近な気がした。
アクトビラのときに、「リモコンを無料配布」というのはネットワーク外部性を利用した原理。気付かないうちに経済にふれているのかもしれない。
現象自体は、前から変わらずそこにあるのに、その原理を分類して名前をつけることはそんなにすごいことなのかな、と思っていた。でも「ロングテール」の言葉が定着した時もそうだったように、名称が定着することで、他との類似性を発見できる。次の現象の予想がつきやすくなり、より利益が出る方法を考えられる。
この本のように、誰にでもわかるような言葉で言い直せることが本当に理解したことなんだろうと思う。今は質問できる立場かもしれないけれど、私も来年、後輩に聞かれたら答えられるようにしないといけないなーと思った。
0703ゼミの感想
【ホンヨミ!】速プレ-カリスマがこっそり教える企画&プレゼン30の極意【大賀】
2009年7月8日読了
***
プレゼンの「魅せ方」を解説した指南書。4つの方法を軸に書かれている。だが申し訳無いが私は、この本の文体があまり好きになれなかった。カリスマプレゼンターである筆者が、わかりやすくかつ面白く読者に伝えるために、ジョークを多分に用いていることはわかるのだが、実際に文章としてそれを読むことには少々辛いものがあった。実際に筆者と会って、あるいは筆者のプレゼンを聞けば印象も変わるのかもしれない。しかし本書に書かれているプレゼンの極意はどれも役立つものばかりだった。今後に生かしていきたい。
私は今まで、プレゼンに関するこういった指南書が大嫌いだった。本の言うことを鵜呑みにして、自分の思うような形でのプレゼンが出来なくなるのではという恐れがあったからだ。事実、今もそう感じている。プレゼンは慣れだと思う。私自身、昨年度李ゼミで、そして今年に入り金ゼミで何度も発表する機会を得たことで、最近やっと出来るようになってきたという感じだ。指南書はあくまでも参考程度に留めておいて、どんどんアウトプットしていく姿勢が必要なのではないか。筆者も述べている通り、プレゼンはコミュニケーション行為である。聴衆に向けて発表することで、はじめて自分自身のプレゼンの良さ・悪さがわかるのだ。
本書で書かれていることの中で最も役に立ったのは「フローチャートの使い方」だ。社会に出れば企画書を書くこともあるだろうが、そういったときに役立つ機能だろう。そもそも私は今までフローチャートを用いたプレゼンをやったことが無かった気がするので、適切な時に使用していきたいと思う。
【ホンヨミ!】人間の関係【大賀】
2009年7月6日読了
***
母から勧められて読んだ本。今年で77歳になる小説家が、人と人との関係性を中心に人生を論じるというものだ。母曰く、「若い世代にはちょっと早いかもしれない。」とのことだったが、著者の視線は老成し過ぎていて確かに少々難しい感じがした。だが、本書に記されているひとつひとつの教えには「重み」があった。壁にぶつかり苦しい気分に陥っている人々にとっての道しるべとなる本だと思う。
とりわけ印象に残った教えは、筆者自身が行った「一言日記」をつけるというものだ。筆者は今までの人生において3回の鬱状態を経験した。そこから脱却するために、筆者は、はじめのうちは「嬉しかったこと」を記した。そして次には「悲しかったこと」を、最後の鬱状態から脱却するときには、「ありがたかったこと」記す日記を毎日つけた。そうすることで、自分自身を見つめなおすとともに、生きることの素晴らしさを感じることができたのだという。私自身、この筆者の経験には思うところがある。高校2年から3年にかけての1年間、私は毎日ノートに日記をつけていた。きっかけは先生の一言だった。先生は、受験期のストレスのせいで何かと浮かない顔をしていた私に対し言った。「大賀さん、日記をつけてみなさい。そうすれば毎日必ず自分自身と向き合うことができる。きっと心に余裕が生まれるよ。」その言葉を受けて半信半疑で日記をつけはじめた。どんなにくだらないことでも書いた。今日のお弁当は美味しかったとか、机に足をぶつけて痛いとか。日記を書いていた当時はその効果を感じたことはなかったが、今になって思えば「日記を書く」という行為によって私は受験期を乗り越えることができたのかもしれない。毎日一回、出来事を振り返って、自分自身を見直し、そしてまた自分と関わりのある人々の存在を再認識することで、「生きていること」を感じ、そのことに対して歓びを見出すことができていたのだ。
今、私は、何かと余裕の無い生活を送っていると思う。今からでも遅くは無いとするならば、もう一度日記を書き始めようか。
【ホンヨミ!】ユダヤ人大富豪の教え【内山】
2009年7月7日火曜日
Google 最強のブランド戦略
私がGoogleを使わない日は無いと言っても嘘にはならない。多くの人にとってそうだろう。
なぜ、Googleをそんなにも使うんだろうか。インターネットを始めたときはYahoo!を使っていたのに。
そう考えたときにまず浮かんだ理由は「Googleの見た目が好きだから」だ。シンプルなページとポップな色使いのロゴというコントラストが好きだ。ロゴが何かの記念日には様々に変化するも好きだ。
でも私はツールバーとしてもGoogleを使っている。そこにはポップなロゴも何も出ていないのに。その訳もきっと先ほどの理由に由来するものだろう。Yahoo! みたいに天気や株価、広告でごちゃごちゃしたホームページを持つ検索エンジンよりも、検索エンジンに特化したホームページを持つGoogleの方が優れているような気がするのだ。
本書によると、Googleはずっと検索エンジンに集中してきた。他にも様々な機能があるが、それらはすべて「情報を得る」という検索の理念に立ったものだ。Googleがあからさまにブランド確立に躍起になったり高額を投資せずとも大きなブランドイメージを構築したのは、彼らがブレなかったからだ。ユーザーにとって何が必要なのかを見極め、成功しても検索エンジンをおろそかにせずユーザーの願望を満たし続けたからだ。
めまぐるしく変わるインターネットの世界ではGoogleの後継者がすでに現れていてもおかしくないのではないだろうか。この本は3年前に書かれたものだ。状況はどんどん変化しているはず。これからGoogleがどのようにして王位に立ち続けるか、あるいは転落するか。それはGoogleの今後の姿勢にかかっているのではないだろうか。
【ホンヨミ!】YouTube民主主義【戸高】
私はまずこの『YouTube民主主義』を読む以前に期待していたことは、2006年に登場したYouTubeという動画共有サイトによって、これまでのメディアとは違い、情報を誰でも動画で発信することが可能になったために、新たな民意の形成がなされ、大きく世論が変化しているといったことが、YouTubeとは違った他のメディアも絡めて詳細に書かれているものだと思っていた。
しかし、実態は、河内先生が実際にアメリカに滞在していた際に、体験した、アメリカ社会の現状や、政治的意識、日米外交、や創造都市論といったように、期待していた内容とはかけ離れていた。
とはいうものの、主に本著の冒頭に記述されていた、YouTubeを利用した米国大統領選挙戦に関する記述、「Eデモクラシー」の内容や、人は自分が知りたい情報しか検索しなくなるのか?といった問題意識は、日々私がゼミで学習している内容(私はメディアコムのクリエイティブ産業を研究するゼミに所属している。)と重なる部分もあったので、そちらを重点的に、今回のレポートでは述べさせていただく。
YouTubeやニコニコ動画といった動画共有サイトから、個人ブログ、またmixiといったSNS個人が動画で、文章で気軽に情報を発信し、またその発信した内容に対してフィードバックをもらい、議論することが可能なツールを利用しているユーザーの数は年々増えている。mixiの利用者数は1500万人を越え、2008年9月にForbesにより発表された現在のウェブサイトのユニークユーザー数ランキングで、YouTubeは第6位、7480万を越えている。
このように、個人での情報発信が世界レベルで盛んになっている中、今最も注目を浴びているメディアがtwitterである。twitterは140文字以内で今あなたが何をしているのかということを気軽につぶやくことが可能な「ミニブログ」である。
もちろんこのtwitterを、従来のブログよりも簡易的に利用できるといった観点から単にユーザー同士の娯楽的交流に使っている人も多いが、アメリカでは、本著でも書かれていたように、YouTubeを選挙活動に積極的に利用し、黒人初の大統領に上り詰めたバラク・オバマ氏やアメリカ政府自体がtwitterを利用しており 、twitterの持つ即時性や相互交流性を利用し、政治活動に活かしている。
こういったように、政府ぐるみで、従来政治的活動が民に伝えられるのは遅いといった問題を改善するために、英国ではtwitterを選挙活動から普段の政治活動まで多くの議員が取り入れている。だが日本ではあまり利用が進んでいないのが現状だ。
そこには、日本の選挙法が絡んできているのも1つの課題として存在しているだろう。現行の日本の選挙法ではネット利用が禁じられている。その弊害もあってか、twitterを利用している議員はごくわずかだ。
しかし、そんな保守的な日本でもtwitterを利用している議員はいる。自民党の橋本岳議員がその例だ。橋本さんは政治を身近に感じてもらえるようにと、twitterの利用を始めた。先ほども述べたが、日本に限らず、国の政治的方針が、国民に伝わるまではどうしてもタイムラグが生じ、国の決定事項と国民の要求がずれてしまうことが多い。その結果たとえば最近話題になっている児童ポルノ法案はその典型例だ。
また、数多くのシンポジウムや検討会の実況中継をtwitterでこなし、Tsudaるといった言葉まで作り上げたネットジャーナリスト津田大介氏のように、twitterを利用した新たなジャーナリズムが生まれる兆しもある。
こういったように、さまざまな即時性を持った相互コミュニケーションツールの誕生によって、ネットを通じた民意、「Eデモクラシー」が急激に加熱し始めている。日本でも、twitterが政治的情報を発信するに当たり、もっとも国民に近く、即時性のあるメディアだということが浸透すればさらに利用する議員は増えてくるだろう。
急速に台頭してきた「Eデモクラシー」の中で、本著内で書かれていた、「皆がそう言っている」からある情報を確信する。また、人間が根本的に持つ「聞きたい情報を信じたがる」といった傾向がさらに加速度的に進展していくだろう。
われわれも新たに台頭してきたメディアに踊らされるのではなく、自分なりの信念を持ち、情報を自分でハンティングしに行き、見極めるといった、「Eリテラシー」をこれからの時代は持たねばならない。
【ホンヨミ!】渋谷ではたらく社長の告白カ【岸本】
何かを成し遂げるーー特にベンチャービジネスーーの場合には「志」と「勢い」が重要であると示した一冊。読者層を意識してか、サクサク読めるマンガのようなテンポの良さが際立っていた。
インターネットビジネスを立ち上げるというのに、ネットの知識も技術も無し。経営も怪しいというなかで無理矢理進んでいく「ハッタリ力」とでも呼ぶべき力に藤田社長は長けている。「告白」というタイトルにも表れているように、かなり藤田社長はハッタリ力で乗り切ってきた部分が大きいように感じる。しかし、どんなプロジェクトにも多かれ少なかれこのハッタリの要素は含まれているのではないか。そう考えるとこのハッタリ力こそ見習うべきであると言えるだろう。
この本を読みながらユニクロの柳井さんの「一勝九敗」という言葉を思い出した。これは上手くいかない状況に陥った時には、常にどうすればより良くなるかということを考え、実行するということを絶えず繰り返すというものだ。このサイバーエージェントの例でも当てはまっていると言える。
ただ、ベンチャーを起業することの社会的意義、どうしたら世の中がより良くなるかといったものが欠けていた感は否めない。若干マネーゲーム的要素が強調されていたのではないか。
【ホンヨミ!】日本のポップパワー【岸本】
国外にどう日本のポップカルチャーが見られているかという意味において、この本では俯瞰的に海外の事例を多く扱っていたので、大変興味深かった。
欧米のハイカルチャーからの評価という観点では自分の英語プレゼンと通じるものがあった。ただし、現在の日本のポップカルチャーの評価は無自覚的にボトムアップで築かれてきたものであるのではないか?それがインターネットの発達によって海外の人々に「発見」され、評価されたに過ぎないように感じる。今現在日本は海外からの評価に凄く敏感になっており、コンテンツ振興政策の岐路に立たされている。
個人的にはボトムアップの仕組みを維持し続けるように支援すべきではないか。なぜならコンテンツ文化は偶発的な要因も多く、トップダウンで何が優れた作品か決められるほど単純ではないからだ。そのためにはマンガやアニメなど制作の現場の待遇を良くすること、そして全てのクリエイターに対して表現を(発表)しやすい文化、環境を作っていくことが求められているのではないか。
また、後半の教育の話と関連するが、現在の子供はどれだけ「ヤバいもの」に触れてきているのだろうか。多くのクリエイターは個人個人の「ヤバいもの」に触れた原体験に基づいていることが多い。テレビなどのマスメディアで当たり障りのないものばかりになってしまえば、またネットに十分触れることが出来なければ将来のクリエイターの芽を摘み取ってしまうことになるだろう。
【ホンヨミ!】座右の諭吉【岸本】
今までは割と「外国通のカタいおっさん」みたいなイメージを抱いていたが、だいぶ異なった人間味のあふれる人物だと分かった。
なんというか、福沢諭吉は「思考の合理性」と「感性の柔軟さ」を兼ね備えた人である。それは自分の中に確固とした「核」をもっていてブレないということに依る。自分の中の核があれば、それだけを守れれば良いので捨て身になることはない。また、友人や同好の士がいなくても、別にあまり困らない。といった具合だ。
「思考の合理性」と「感性の柔軟さ」。これは「左脳的」「右脳的」の議論に繋がる。そしてこれを両方バランスよく使うのが、これからビジネスマンに限らず、創造的とされる職業に就くひとに求められている。
これは近代になって始めた可能になったことである。合理性や柔軟さはそれまで多くの思想や宗教、禁忌などによってがんじがらめにされていたためだ。そう考えると、福沢諭吉は日本で初めての両脳人間というかクリエイティブ・クラスというか、そういう創造的な人間だったのではないか。
とりあえず、この本をきっかけにして今度「福翁自伝」でも読もうと思う。にしてもウチの大学の生徒はともかく、教員でどれだけの人間がちゃんと福沢の思想を理解しているのだろうか…気になるところだ。
【書評】スポーツブランド【斉藤】
スポーツブランドと聞いて、一番に頭に浮かぶのは、アディダスでもなくプーマでもなくやはりナイキではないだろうか。そんなナイキはいかにして私たちを魅了するブランドを確立してきたのだろうか。商品の価値がハードからソフトに移る知価革命が起こった現在、肉体労働ではなく価値を創造する人間の頭脳が利益を上げているという点で、ナイキはマイクロソフトと同じ位置にある、という考察がとても興味深かった。一流スポーツ選手を豪華に起用し、大規模に行われるナイキのCMは、アメリカでフィットネス革命が起こるというほど、単に商品のCMにとどまらないマインドシェアの力を持っている一方で、莫大な費用をかけていて、そのつけは全部生産工場で働く労働者に回ってきているという批判がある。いはばナイキは搾取企業なのではないのか、と。しかし、この企業評価は肉体労働がそのまま商品価値につながっていた産業社会での評価にすぎない。ナイキが収益を上げているのは労働者の肉体労働ではなく、人間の頭脳のクリエイティビティなのだ。製品制作だけでなく、プロモーションから価値の創造まですべてが商品価値につながる、という新しい社会の基準に合わせた企業評価をするべきだ。
しかし、やはり搾取企業だというイメージは以前として払拭することはない。そこでもう一つナイキがとった行動として興味深いのは、パブリックと社会契約をしたということだ。以前世界経済フォーラムで、アナン事務局長は国連と民間企業の協力をはかるためのグローバルコンパクトというコンセンサス構想を発表した。ナイキはこれに参加している。内容は環境、人権、労働条件をよりよくするという原則だ。このプロジェクトに参加するとこれらの諸原則を守らなければならない。グローバリゼーションの影響で、ナイキのような成功を収めている国際企業は批判に会いやすい。そんな国際社会でいったん「搾取」というイメージが付着してしまうとさらなる連想効果によりなかなか払拭することができない。高度な商品の創造はし続ける、しかし社会に対する不利益を改善していく、というスタンスに立つナイキは「搾取」ではなく「創造」というイメージを確立していく可能性があると思う。
人気がある、売れているということは商品以外に何か理由があるのだ。「商品の実質価値プラス心理価値」が求められる現在であるからこそ、スポーツブランドでもただ高機能な製品をつくればよいというものではない。今まであまりスポーツブランドについて考えたことはなかったが、本書をよんでその奥の深さに感動を覚えた。
【ホンヨミ!】フランスに学ぶ国家ブランド【戸高】
関係ないけど「フランスに学ぶ国家ブランド」とgoogle先生に聞いたら、金ゼミブログの記事が2件目に登場しました。
さて、フランスに学ぶ国家ブランドとのことですが、フランスの一般的イメージを考えてみると、「きれい」「はなやか」「おしゃれ」といったキーワードが上がってくると思われる。
しかし現実は街並みはきれいでも公衆衛生はそこまでの高レベルではなく、よく臭いといった話を聞きます。
なのにどうしてフランスが文化の最先端だというイメージを持続させることができるのかということを考えると、それは政府がそのイメージをブランディングするために莫大な予算を使っているからだ。フランス語を守るために各国に施設を設立したり、またフランスのODAのかなりの部分がフランス語普及のために使われると知った時は衝撃だった。
そして、さらに文化を最優先事項に置いているだけではなく、国民一人一人が自国文化についてしっかりとDNA単位ですりこまれているとのことだ。それは、フランスの街並みがそうさせるのだという。
対して日本はどうだろう。まず文化自体はすぐれたものを持っており、事実、フランスでもジャポニズムの流行、さらに近年では日本のサブカルチャーが流行し、パリの若者の中でもファッション、マンガ、アニメなどが注目されている。
だが、文化自体のレベルは高いが、それを発信する能力は乏しいというしかない。財政予算もフランスには遠く及ばず、国家予算の0.1%を占めるのみだ(フランスは国家予算の1%)。
また、文化発信、それも先ほどのべたフランスや世界でも人気のあるサブカルチャーを配信するために、「国立メディア芸術総合センター」を設立する審議会を設けてもいるが、どういったコンテンツをどういった基準で扱うのかといった内容はいまだ謎のままで見切り発車の感が否めない。
まず、マンガ、アニメを「メディア芸術」とひとまとめにするところが文化庁のいけすかないところである。世界に誇るべきコンテンツは「マンガ」であり、「アニメ」だ。
また、この施設はそこでアニメやマンガを実際に鑑賞する、体験の場になるのだそうだ。こんなものができたらただのマンガ喫茶と変わらない状況に陥ってしまうのではなかろうか。それこそこういった国立の施設が集めた、絶版になってしまったマンガや、今では市場に出回っていない資料的価値の高いアニメを鑑賞することが可能なのは好ましいかもしれないが、「じゃあ○○の×巻でたらいくべ。国立だからマンガ喫茶よりも安いし。」といった状況にもなりかねない。文化を発信し、広めようとする場であるはずが、自分で自分の首を絞めていることになるのかもしないのだ。
そもそも経済効果等も見込んでいるらしいのだが、確かにインターネットの普及により、今や中学生、もっといえば小学生でも深夜アニメを簡単に享受し、そのための情報を得ることができる時代になった。そういった背景で業界全体の活気が挙がっており、事実年に2回開かれるコミックマーケットの1回あたりの経済効果は百億円以上とも言われているが、その発端は同人、つまり同好の士が集まることにより意味をなすものである。表現の自由を叫び、自分の好きな物を自分の好きな人と共有するといった理念が働いているため、国の関与を最も嫌う人種の市場である。最近でも、児童ポルノ法改正に対し、「悪法。悪法。」と異議を立てるオタクは数知れない(そもそもネット世論に動かされて、その現状を知らずに悪法だと無知のまま叫んでいる人々もいるだろうが)。そんな国と市場のミスマッチの上で、「国立メディア芸術総合センター」を作っても、意味をなすのだろうか。
長々と、不必要なことがらも書いてしまったが、つまりは日本はやはり明確な指針を持っていない所に問題がある。すぐさま矛盾が見受けられてしまうのだ。
その点フランスは、1本のしっかりとした軸、国のブランドを保持し、その上でサルコジ大統領は旧体制からの脱却を声高に叫んでいる。
今後、政局がどう転ぶか楽みな時期ではあるが、しっかりとした軸と、明確で強い意思を持った人にリーダーになってほしいものだ。
2009年7月6日月曜日
0703ゼミの感想
3分という制約にもかかわらず、興味深いプレゼンを拝聴させていただきました。
できるできないではなく、相手の意見にどのような価値を加えられるかを考えていかねばならないという古川さんのお言葉が印象に残りました。相手の意見を理解するのに、手一杯になることが多くなっていたのですが、もっと建設的な議論ができるように意識していきたい。
食事会
貴重な場をセッティングしていただき、古川さんには非常に感謝しております。ゲストの方とお話することがあまりできなかったのは少し残念ですが、他のゼミ生とはたくさん話す事ができた。次回で最後だが、最後まで気の抜けないようにしたい。
【ホンヨミ!】その他大勢から抜け出す成功法則【金光】
この中で心に残ったのは、成功する人の「質問力」の一覧。
なぜ重要なのか
根本的な問題は何か
何か別に思い出すことはあるか
実行しなかったらどうなるか
…etc.
質問だけでなく、今まで自分で自分の提案やアイディアを見直したときになかなか客観的な視点で見られなかったので、これをいくつか覚えておこうと思った。
またこの本の中で最も主張していたことでもあり、自分に足りないと前から感じていたものは「選択と集中の習慣」。自分の興味をしぼって、集中させていくことができない。自分のアンテナに入ってきた新しいものに反応して興味を持ってしまう。本の中にもあっったが、未熟な精神なんだろうな、と思う。自覚したのも、人に言われたからで、それまでは気付くことができなかった。今は自由な時間があるからこそ特に、なんでもかんでもすぐに手を出さない!ことに気をつけている。
自分のやっていること全てに責任を持てなくなる範囲までは絶対に手を広げないこと。自分の興味のわく本能のまま行動し、悪意なく周囲に失礼なことをしたり、結果的に自分の信頼を失くすことをしないように気をつけている。
自分のやりたいことが決まっている人はとてもまぶしく感じる。
それを決めるのは自分しかいない。決まればそれに必要あるものかないかを判断して、取捨選択がしやすくなる。言葉で書けば簡単だけれど、これは本当に難しい。
自分で考える自分の短所がズバッと否定されていて、やっぱり直さないとなぁと改めて思った。
0703ゼミの感想
全員プレゼン
3つのメディア(・ツール)の未来を描くというもの。個々のアイデアに光るものがあったので、議論をしたり、アイデアを組み合わせるといったことが出来なかったのが大変残念だった。自分の中海テレビの例であれば、菊池君の地域SNS案と組み合わせて、地域をエンパワーする統合メディアが考えられたといった具合に。
大賀さんの感想にも関連するが、未来を描くという時に非常に参考になるのがSFだ。戸高のプレゼンのネタばらしをしてしまうとあれは「東のエデン」というアニメに登場する学生サークルが開発したシステムだし。(とはいえ具体的な実現可能性については各所で検討されてはいるものの、決定的なものはないので、今回のプレゼンは参考になった。)SFというとすぐに宇宙だとかタイムスリップとかそういうものばかり思い浮かべるかもしれないが、そうでもない。現代やちょっと未来が舞台になっていて、そこに変数を入れるだけでも十分SFになる。また、ブラッドベリの「華氏451度」は現在のメディアのあり方を50年以上前に予見していたといえるし、AppleのCMの中にはSF的な未来観測がある。
ということで皆さん、アイデアに困ったらSFを読んでみてはどうでしょうか?(笑)
食事@赤坂
いつもバラバラのテーブルになってしまうため、これほど全員が視界に入るような近さで食事するのが新鮮だった。古川さんがゼミの中で冗談まじりに自分は宴会部長だと仰ってたが、宴会部長はカタリストであり、ファシリテーターであるために非常に重要だ。古川さん、ダンさんも含め、色々なひと意見を交換したりだべったりできて、今回ゼミ全体のまとまりが一層高まったような気がする。夏休みに入ってしまうが、ここでようやっと金ゼミ2009がスタート地点に立ったと思う。最後に、今回このような機会を設けてくださった「宴会部長」の古川さんに厚くお礼を申し上げたい。
0703ゼミの感想
どのプレゼンも大胆な発想や分析が盛り込まれた、自分では到底思いつかないようなものが多く、舌を巻く思いでした。総括の時に、金先生古川さんのどちらも仰っていた、プレゼンには「何について」「なぜ」「どうするのか」という3点が必ず含まれいなければならないというお話が心に残りました。これらを踏まえて今回の自分のプレゼンを振り返ってみると、「何について」の部分に偏ってしまっていたと思うし、大きな反省点です。「なぜ」「どうするのか」という事厚くプレゼンするという意味でも、やはり自分には分析的な視点が足りていないのだと思います。また、古川さんが仰っていた、相手をへこませるために発言するのではなく、いかにしてそのアイデアに新しいValueをAddできるかという事。このことは、議論の際に限らず常に意識していきたいとおもいました。
食事会
まず、あのような大変貴重な機会と場をデザインしてくださった古川さんに重ねて感謝の意を表したいです。また、ゲストでいらしてくださった弾さんとは、普段学校では会って話す機会がほとんど無かったため、問題意識や学生生活に関して、お話を伺ったり意見交換ができて大変貴重な時間でした。
0703ゼミの感想
SNS、携帯、テレビの未来についてプレゼンを各自行った。私はテレビを担当した。
今回のプレゼンのために、一週間、テレビについてあーだこーだと色々考えてみたのだが、結局前日になっても具体的な「未来」へのアイディアというものはほとんど浮かんでこなかった。「未来」を予想し、アイディアを考えることはなんと難しいのだろう。それは、私がこの前期金ゼミで知った今の自分に足りないポイントだ。
ほかの人のプレゼンだと、大賀さんやまりあんぬのアイディアが素晴らしいと思った!どちらも現在のアイテムの「ちょっと不便なところ」を考えて、それを魅力的なアイディアに転化していた。マリアンヌのアイディアのように、携帯の場所を教えてくれるグッズがもし売っていたら、ホントにすごく欲しい。切実である。このように、現在のまわりのものの「不便なところ」を見つけることは、一見簡単そうに見えてとても難しいことだと思う。それと意識することが難しいからだ。そんなアイディアが思いつく人は、日々「しょうがない」ではなくて、「どうやったらよくなるか」をちゃんと考えて暮らしているのではないだろうか。先日有名企業の入社試験にチャレンジする「ソクラテスの人事」という番組を見ていて(親が好きでよく見ている。プレッシャーをかけられているのだろうか。)、グーグルの入社試験がまさに「あなたの身の回りの家電のちょっと不便だと思うポイントと、どうやったらそれが改善されるか考えてください。」というものだった。クリエイティブな発想は、クリエイティブではない現在から生まれるのだ。
しかし私は、今回なかなかアイディアが思いつかなかった。「アクトビラの時はいっぱいアイディアでてきたのになあ・・・」と少しため息をついたが、その時気がついた。あの時はチームのメンバーがいたのだ。チームのメンバーといっぱいいっぱい話し合って、みんながそれぞれ出したアイディアがどんどんどんどんつながって、大きくなっていたのだ。
今回古川さんがまさに、「もっとアイディアを事前に共有してよくしていってたらもっとよかった」とおっしゃっていた。本当にそのとおりだと思う。金ゼミのメンバーは敵ではない。自分がブレストして考えたことを事前に話しあって、もっともっと発展させておいたら、もっとゼミの内容が素晴らしいものになるに違いない。今度是非日吉のひとたちやみんなとやりたいと思う!
ところできくりんのプレゼンしていた地域SNS、すごくおもしろいと思う。天気情報を、公式のニュースに加え地域のみんなで書き込めるようにしたり、(「駅前小雨振り出した!」「まじで?もう少しマックにたまってよう。」「今日駅にいる人みんな長袖だよ。半袖は先走ったか・・・」「じゃあ上着もってこ。」)、暗くて危ない道路の情報を共有したり、ローカルな集合知を上手く活かせたら面白そうだ。
私のプレゼンは現状をプレゼンしただけで、「未来」には程遠かったと思う。テレビ班は大賀さんに質問がきていたが、「クリエイティブでなければ質問することもないのだ」ということを実感した。「先生のおっしゃる『voice or die』の『die』って激しいもんじゃなく、こんなに心もとない、でも苦しい気持ちのことなんだなあ」と理解できた。とても悲しく悔しい気分だった。
<飲み会>
古川先生本当にありがとうございました!傍に座らせていただくと、古川さんの目って本当に「ゆるり」っていう周りを伺う視線がなくて、いつもまっすぐ。本当にすごい方なのだなと思いました。もっとお話をお聞きしたかったです。><
弾さん。宮村さんからお噂はかねがね伺っていたのですが、実際お会いしてみてもとってもシャープでスマートな方だなと感じました。一対一でお話はできなかったのですが、宇多田ヒカルの「光」という歌が好きだという点で趣味が一致しました(笑)。高尚なことと生活感あふれることがいっしょに書いてあるとてもいい歌詞で、まさに人生の「光」を感じられる歌です。これを先生に言ったら「生活疲れてるの?」と言われたのですがそうなのでしょうかー^^;
てんむすの映像制作は「金ゼミ」なので、亀ちゃんのカメラを借りてパシャパシャ(時にはムービー)撮らせていただきました。みなさんのすごくいい笑顔が撮れました。本当にいい飲み会だったのだと感じました。重ね重ね古川さんに感謝の気持ちをお伝えしたいです。
合宿中もパシャパシャ撮りますがみなさんカメラは気にしないでください^^
ゼミの感想
今回自分のプレゼンは詰めの甘さに気付くのもそうだが、それ以上に収穫はあった気がする。僕は地域SNSについてのプレゼン。地域SNSというものの意義を十分に挙げられずに終わってしまったが、今回は扱うテーマ自体に「背伸び」があったのかもしれない。このあたりは今後自分の中で消化していく大きな課題。古川さんが最後おっしゃっていた、他人のアウトプットを自分のエネルギーとして取り込む作業はしっかりと続けていきたい。
●食事会
金ゼミは食事会もエグい。笑 しかし、こんなに有意義な場が与えられていることに感謝。しかも人生単位でそう思えるかも。金先生や弾さんをはじめ、色々な人と話せた。古川さんと話せなかったのが残念。来週は最後のゼミ。この1週間は、春学期で得られたものと課題を特にしっかりと振り返ろうと思います!
2009年7月5日日曜日
0703ゼミの感想
古川さん曰く、プレゼンには
1何をするか
2何故するか
3どうやってするか
が必ず必要とのこと。一見当然のことだが、時間の制約や情報量の問題で、意外に1の部分が伝わりにくいことが多いと最近つくずく思う。本題に入る前の現状分析が長すぎることも原因のひとつだろう。また、私のプレゼンには3が著しく欠けていることも最近つくずく思う。知識をもっと増やさねば。
古川さんの「相手のアイデアをつぶすのでなく、それに自分がどんなvalueを足せるのかが大事」という話があった。とても耳が痛い。確かに、ひとの意見を批判することは、とても容易だがアイデアの発展にはあまり役立たない。その上、批判ばかりの議論は時に言葉遊びにもなりうる。どんなアイデアにもvalueをつけることが出来る能力を、もっと培いたい。
また、だんさんのお話を聞いて、今まで考えたことがなかったが、あらゆる機能がケータイに集約されている今、何故電子辞書はなくならないのだろうとつくずく思った。私は、「全てを持ち歩くことは不便だから」という理由しか思いつかないが、もっとなにか核心をつく理由があるはずだ。食事のときにだんさんに聞いておけばよかった。
・食事会
小さいとき、兄からよく古川さんが学生運動をされていたときの話を聞いていたので、今回直にお会いすることが出来てとても嬉しかった。
古川さんの高校時代は、学校の制服制度など様々な決まりごとに対して生徒が一丸になって学校側に抵抗運動をしていたそうだが、何故私たちの時代はそのような運動がなくなってしまったのだろう。単に思想の変化だけが原因でないような気がする。
ゼミ+食事会感想
テーマ設定がゆるくて、それぞれ違う視点からプレゼンしていておもしろかった。
中でも印象に残ったプレゼン・アイデアがいくつかあったのだが、ひとつ気づいたのはあるアイデアを創るとき、ネーミングやタイトルにも凝っていると印象に残る、という当たり前だが自分には出来ていないことだ。なにかしらのインパクトを聞いた人に残せたら、プレゼンの成功になるのではないかと思う。印象に残るフレーズをプレゼンに入れること。次回以降の目標にしたいと思う。
携帯についてもテーマの中にあったのですが、なんか面白い携帯電話のニュースがあったのでリンク貼ります。訴えられそうですよね。笑
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090704/chn0907042320004-n1.htm
・ 食事会
楽しく美味しく参加させていただきました。ひたすら感謝です。
前半だんさんとお話して、プレゼンのアイデアを褒められてとても嬉しかったです。アイデアをモノに落とし込むのが難しいと改めて思い知りました。KBMのことなども教えていただいて、なんだかキラキラしていると感じました。
次回は前期最後の金ゼミ!気合を入れて取り組みます。
0703ゼミの感想!
初めてほぼ全員が時間内に発表を終えることができ、すっきりしたプレゼンだった。ゲストスピーカーの方がいらっしゃったのでいい緊張感があったのかもしれない。ゼミ生だけでやるときも今後は自分で適度な緊張感を保っていきたいと思う。何か制裁があるからやるのではなく、自発的に解決していきたい。
今回のプレゼンで、私はテレビを扱った。テレビだけでなく、携帯にも共通することだが、日頃母は「もうこれ以上何も機能をつけないでほしい。これ以上説明書読んだりややこしい作業するのは嫌だから。」と言っているし、実は私もそう思っている。例えば、長時間パソコンの前で作業をした後に、息抜きのためにテレビを見ようとしたときに、またパソコンをのような操作をしなければならなくなったら娯楽としてのテレビの長所が失われてしまう。地上波放送だけでなく、ブロードバンドを用いてより質の高いコンテンツを享受できるようになったら、それはもっと楽しい娯楽の時間になるかもしれない。ただ、今のところはこの考え方は全国的に見ればあまり普及していないから、「複雑でめんどうくさいもの」ととらえる人が多いと思う。そのような考えを持つ人々にとってテレビは自分の意思で選択しないでもぼーっと見ていられることが重要なのだと思う。だから今回私は従来のようにテレビ局が一方的に放送するテレビ番組がどうしたらもっと勢力をつけられるかについてプレゼンした。しかし、私個人の体験が切り口になってしまい、あまり一般性のあるアイディアではないかもしれないと思った。自分の目線でしかテレビの未来を考えていなく、それは考察ではなく願望にすぎないかった。なにか新しいアイディアを提案するときは、古川さんも仰っていたように、必ずどこを改善するのか、なぜ改善するのか、どうやって改善するのかを明確にしなければならない。そのためには現状分析や市場分析が不可欠だ。自分だったら・・・と考えては井の中の蛙になってしまう。社会には意外と自分と同じ考えの人はすくなく、圧倒的多数の違う意見が存在するのだ、ということを意識して、市場全体を見るインサイトが必要だと思った。それと、今回私はデジタル化といったらコンテンツという固定観念で考えてしまったため、他の人が出していたテレビのハード面の未来などは考えもつかなかった。裏付けになるデータがある無しに関わらず、これから何が求められていくかをしっかり分析している人が多く、とても刺激を受けた。
他のSNSや携帯のプレゼンを聞くとき、自分が調べていない分野だったため、プレゼンを聞いて「こういう考えもあるのか~」とポカーンとして終わってしまったので、もっとポイントをメモするなどして問題点を発見していく姿勢で臨むべきだったので、次に生かしたい。
*食事会
他の団体では体験することのできない食事会だと思う。古川さんや弾さんに感謝したいです!
こういう食事会でいつも実感するのは、有意義にするもしないも自分次第だと思う。ただ話を聞いているだけでも為になると思うが、もっと身を乗り出して相手の話に興味をもち自分からどんどん質問していけば得られるものは確実に大きい。そんな風にできている4期生はたくさんいるので自分もその姿勢を見習いたいと思った。
来週はゼミが今学期最後で打ち上げです。とても楽しみなのですが、その次の日に国文学のテストがあります・・・大丈夫なのでしょうか笑!
ゼミの感想
【未来のテレビ・携帯・SNSについて】
今回のプレゼンでは古川さんとダンさんがいらっしゃるということで、皆いい緊張感の中で発表が出来たと思う。そのお蔭で、3分というタイトな時間設定の中でほとんど全員(過ぎたと言ってもほんの数秒)が時間内に自分のプレゼンを終わらせることが出来た。これからのNCでも制限時間内にプレゼンを完遂することができる証明になったのではないか。
内容については、未来の携帯の「これからの携帯にはあらゆる機能が集約されてくる」という話の中で、ダンさんが何故そう思うのかという質問を切り返した時、自分も色々考えたが明確な答えを見つけることが出来なかった。また、古川さんが総括の中で、「1何についてプレゼンするのか2どうして、それについてなのか3それについて、自分がどう思うかを説明する」ということを仰っていたが、今自分が持ってる知識プラス、3の部分の準備が足りないから、明確な答えが見つけられないのではないかと感じた。一見、お二人の話は関係ないように見えるが、「自分がどのように考えているのかをイメージすることの大切さ」という点で共通していると思う。情報技術の進歩は僕たちには予想することが出来ないので、そこは度外視したとしても、単に夢を語るだけでなく、こういうことは出来るだろうという実現可能性をある程度、考慮する必要もあるのかなと感じました。夢を語るのは楽しいし、creativeだけど、実現可能性を意識した内容でないとリアリティがないし、評価もされないと思うからです。今回は自分のプレゼンでも準備不足は否めなかった。未来と実現可能性の二つのベースが両方とも中途半端になってしまった。特に未来の方はもっと面白い内容が考えられたはず。その意味での手抜きと、自分の確固たる考えを持つことが出来ず、中途半端なままで当日を迎えてしまったことは反省材料として、次回から生かしていかなければならない。
【食事会】
貴重なお話を聞かせて頂けただけでなく、おいしいご飯を御馳走して頂きありがとうございました。勉強にもなりましたし、古川さんにはたいへん感謝しております。
自分は、銭谷さん、内田さん、宮村さんといったすごい人たちに囲まれた今までにないような席に座っていたたため、若干緊張しましたが、色々とゆっくりお話が出来てとてもたのしかったです。ありがとうございました。途中、ここに古川さんが参加して下さり、僕と銭谷さん、内田さんの4人でお話する機会があったのですが、古川さんは、今の学生に足りないもの、人との接し方、自分のお話など色んなことを話して下さり、非常に勉強になりました。古川さんのような偉大な方のお話を3人で伺えるなんて、ありえないと思います。充実した貴重な時間を過ごすことが出来ました。また、そのお話の中には、日頃から金先生が仰っている様なこともあり、「あぁ、やっぱり賢い人が考えることは完璧に同じということはなくても、当たらずとも遠からずなんだな」という印象を持ちました。最近、改めて金ゼミに入って良かったし、この決断は間違っていなかったと痛感する自分がいます。前期はあと一回ですが、良い形で締めて、後期につなげていきたいと思います。
2009年7月4日土曜日
0703ゼミの感想
限られた時間内に、ゼミ生みなさんとても上手にプレゼンしていてすごいと思いました。また、テーマも未来ということで、なんだか活き活きしているよう見えました。今回私は、情報をもりこみ過ぎてそれを言い並べるだけでおわってしまったので、くやしいというか残念というかすごくすっきりしません。練習不足です。後期はもっとプレゼン一つ一つを大切に、毎回何かしらステップアップできるよう精進したいと思います。
さて、今回私は携帯を担当しました。携帯ひとつで、あらゆるすべてのお店の支払やポイントカード、交通機関運賃を支払うことができたらと思い、そういった趣旨のプレゼンをさせて頂いたのですが、実際のところ、私自身はあまり携帯を使いこなせていません。便利なものだとは思いつつも、どこか一方で煩わしいという思いがあるようです。つい数日前に、知り合いの方からもこうした意見をききました。いくら機能が充実しようと、必ずしもそれがその機種の魅力upにつながるわけではないでしょうし、かえって操作が複雑になりユーザーが離れていってしまいかねません。
テレビも携帯もSNSも、サービスや機能ばかりが進んでユーザーを置いてきぼりにしたのでは、そこに成功はないです。今回ゼミ生の方達が様々なおもしろいアイディアや考えを発表していましたが、開発に直接かかわるわけでもない素人の学生の意見であるからこそ、開発で大事なヒントが隠れているかもしれないと思います。
【食事会】
何よりまず、古川さんに感謝です。残念ながら直接お話しすることはなかったのですが、とてもユニークかつ愛情あふれる方だと思いました。また、今回いらして下さった弾さんは、ご自身の軸をしっかりともった方で、私ももっとしっかりしないとと、あらためて実感しました。アドバイスもいろいろいただいたので、この先活かしていきたいです。ゲストだけでなくゼミ生みんなともたたくさんお話でき、とても楽しかったです。
金ゼミから見た未来!!
みんなのプレゼンを聞いているうちに、なんだか急に自分のプレゼンに自信がなくなってきてしまいました。
アクトビラの話し合いの時に、「実際実用化できるのか技術とかデータを入れよう!」という意見を聞いて「ただ夢を語るだけじゃなくて、技術の裏付けをするという発想」を初めて知り、今回はそれを取り入れてみました。でも実際一人でやってみると「市場の視点」ではあるものの、なんだか「インパクトやユニークさ」に欠ける感じを抱えていたからです。だから勝部君のブログを見てとても嬉しかったです。でも、次に未来について考えるときは「技術はついてくる」という気持ちで、自由な発想で自分が必要だと思うもの、そして「なぜ!!」それが必要なのか、について深く考えることにします。
また、今はマイナーな形態が今後増えていくだろう、という視点からの岸本さんのようなプレゼンは自分は全く思いつきませんでした。内容も切り口も人ぞれぞれの「未来」は面白かったです。
Androidについての質問がありましたが、私はそのニュースも知らなかったため最初、理解できませんでした。前期、ゼミに出ていても、経済の仕組みなどの内容理解にいく前に刺激を受けることでいっぱいになっている自分がいました。これは来週、後期への反省点です。
【古川さん、弾さんと】
"自分という0→知恵から1を生む→1のアイディアを100にする"
古川さんから「人」という言葉を真っ先におっしゃったのは意外でもあり、納得しました。少しずれるかもしれませんが、今回「テレビの未来」を考えるとき、私は一週間で会った友達に「テレビの未来って何だと思う?!」と聞きまくりました。1→100にするのは自分だけじゃできなくて、その過程でのいろーんな人の力の相乗効果で100が生まれる。このプロセスが私は大好きです。
また、古川さんから最新技術は最新技術同士でつながって新しい価値観を生み出すだけじゃなくて、もっと人間の本質的なぬくもり、慈しみ、喜怒哀楽とかそういうものにつなげられるという発想を聞いた時、とても嬉しくなりました。素敵だなと思いました。難しく考えなくていいんだよ、という話でしてくださった例でした。この切り口は自分の中に持っておきたいと思います。
お二人や先生、ゼミ生と話していて「自分独自の視点の不足」も感じます。戸高さんや菊池君のプレゼンは、自分の興味とからめていました。他にも、自分の勉強分野と金ゼミをうまくつなげている人が多いです。何か自分の中で深いものがあってこそ、このゼミを自分の中でもっと活かせるんじゃないか?と思いました。これも、秋からの自分の課題です。
他にもいろいろ感じたことがありました。普段話す機会のない人ともいっぱい話せて、本当に楽しかったです。
【ホンヨミ!】凡人として生きるということ【内山】
イノセンスやスカイクロラなどの映画を作った監督の書いた本。ゆるいタイトルのようで、中身は自己啓発本。過去の自分を受け入れて、成長を喜べる本。格差論やコミュニケーション論、オタク論など、どれもおもしろく為になったのだが、一番心に残っているのは「若さ」について。慶應という存在は、昔、わたしには天才がいる空間に見えていた。しかしわたしたちは凡人に過ぎず、支配層が作り出す価値観に惑わされている。「若さ」に関してもそうである。若さとは素晴らしい、青春とは美しいものだ、とわたしたちは教えられてきた。けれど、本当にそうだろうか?若い時代(今でも十分未熟であるが)に経験した物事に、自分の心に巣食うトラウマは存在しないだろうか。乗り越えたものももちろんあるが、見て見ぬふりをしてきた苦い経験はないだろうか。大人になるということは、それらの苦い思い出も全部反芻して、自分の一部とすること。つまり、乗り越えて大きくなること。そう思えば若いというのは決してプラスなものばかりではない。あのころはよかった、なんて、きっとたくさんに美化が入り込んでいる。そう思えると、今の自分がずいぶんと大きくなったような気がして、なんだか嬉しい。けれどもまだまだ未熟だから、たくさんの経験を積んで大きくなっていきたいと思う。
21.7.4 ゼミの感想
みなさんレポートやら試験やら映像やらでエグってますか?僕はエグってます^^
【テレビ・ケータイ・SNS】
みなさん短い時間でよくここまで練り上げてきたなと感心しました。特に僕が一番すごいと思ったのは金光さんのプレゼンで、発想もユニークで、準備されているなと感じました。他のみなさんのプレゼンも全部興味深く楽しめました。僕はイーモバイルのtouch diamondを紹介しましたが、ソフトバンクの2年縛りが終わったら、実際に買い換えてみようと思いました。
【食事会】
今回はわけあって早めに退席してしまいましたが、古川先生の懐の大きさには驚かされるばかりです。せっかくの機会なので、もっといろいろと話をするべきだったのですが、時間を気にしたのと質問を事前に練ってこなかったのが失敗でした。また来年も機会があればぜひ参加して次はもっといろいろなことを聞きたいと思います。
来週のゼミは私事で欠席してしまうので、昨日が私にとって前期最後のゼミということになります。金ゼミの仲間のみんなと先輩方、金先生、ゼミに来ていただいたゲストの皆様のお陰で学期の半分を掛け替えのない素晴らしいものにすることが出来ました。来学期はもっと自分に厳しく、そして尊敬すべき人すべてに感謝の気持ちを忘れず、日々を送りたいと思っています。それでは皆様!合宿でお会いしましょう!
0703ゼミの感想
●テレビの未来
私はテレビの未来として「TeleBag」というサービスを提言させていただきました。3分という限られた枠の中で自分なりに精一杯やったつもりでしたが、古川先生より御指摘があったように、やはり現状分析が足りなかったと思います。類似サービスを調べることは勿論、そのビジネスモデルについても考察を進めたうえで自分の新たなサービスをしっかりと差別化して発表するという形を取るべきでした。また「3分」という枠にこだわり過ぎて必要な情報を省いてしまった感も否めません。TeleBagの一番の強みは「画面が自動的につくこと」であるにも関わらずそこを推すことができませんでした。限られた枠の中でいかに必要な情報のみをわかりやすく伝えるか、今後の課題として念頭に置きたいと思います。
このように反省点は多々ありますが、アイディアとしては自分的に満足のいくものが出せたと思っています。その他の発表者のアイディアも面白かったです。金光さんの出していた「透明なテレビ」とかは近い将来有り得そうだなと思いました。(後ほど古川先生よりお話いただいたのですが、巻物型テレビはもう既に開発が開始しているのか)「ドラえもん」のような世界はもうそこまで迫っていることを認識しました。
●携帯の未来
「携帯電話に全ての機能を入れる」というサービス提言が多かったかな、と思います。確かに今後、「生活の全てを携帯する携帯電話」というものは生れてくるとは思います。ですがそうした世の中でも、腕時計は存在しているし、本はあるし、パソコンもあるでしょう。ハード面においての「ユニーク性」というものは残っていくでしょう。では、何故人々はこうした「ユニーク性」を求めるのでしょうか。・・私個人の考えとしては、「今まで使い慣れた道具をそのまま使い続ける人々が多いだろうということ」また、「必要な時に使えるという利便性があるということ(わざわざ全てを持ち歩く必要はない)」といった人々の心理がその理由として挙げられると思いました。
おサイフケータイがあれば財布を持ち歩く必要が無いのかと言われると、そうでもないのが現状です。「もし携帯電話を落としたらどうしよう」という不安がその背景にはあると思います。では、「生活の全てを携帯する携帯電話」のメリットは一体何なのだろう?こうした疑問を考えた上で、サービスとして提供していくべきではないでしょうか。
●SNSの未来
多種多様なサービスが提言されていて、聞いていて楽しめました。ただ、「・・それって本当に必要なの?」というサービスもあったかな、とは思います。宮村さんが提言されていた毛細血管と連動したTwitterなどは非常に画期的(未来的)ですごいなと感じますが、実際に利用価値があるのかどうか・・。星新一さんのショートストーリーの世界を見ているようで、何だが現実味が湧きませんでした。そのサービス(システム)から派生した新たなビジネスなどが生まれれば良いのかもしれません。例えば、血圧が上がっていることをTwitterに伝えることで、良いお医者さんを紹介してもらえるとか。何らかの利用価値が無いと、ユーザーとしても、また企業にとっても新たなサービスに対するインセンティブが高まらないと思います。
食事会では古川先生、ダンさんをはじめ多くの方々とお話させていただきました!ありがとうございました。金ゼミは本当に素敵な環境だな、と実感しました。来週がいよいよ前期最後のゼミですね!思い切り勉強して思い切り飲みましょう!笑
0703ゼミ感想
ゼミとしても良い刺激を得られた部分が多いと思う。
それではゼミ内容について。
【テレビ、モバイル、SNSの未来】
まず、内容について。
皆ハード、ソフトに焦点を当てたものが多く、面白いものが多かった。
アイディアは面白いのだが、ユニークさが足りていたかどうか、という点では少し反省する部分があるかしれない。これは個人的にも。
コレに関連して、古川先生も仰っていたことだが、先に共有してマッシュアップをはかる余地はあると思う。ゼミという環境を活かすも殺すも自分次第。
次にプレゼン自体について。
個人的には、言いたいことはだいたい言えたので、特に不都合はなかった。あえて言うならば、少々自分の中に時間のプレッシャーに対して過大評価(?)をしていたことか。もっと時間を気にせず(時間内に十分に収まる内容だったので)自由に振舞えたら、もっと良いプレゼンになっただろう。
ゼミとしても強制打ち切りということがあってか、いつもよりタイムマネージメントを意識したプレゼンが多かったと思う。一部、打ち切りになってしまった人がいたのは残念だが、ほとんどの人が時間内にプレゼンをまとめられていたことは評価に値すると思う。各々、自分の言いたいことが分かっている証拠だろう。
いい成長だと思う。
【ゼミ後】
有意義な食事会だった。
久しぶりに話したゼミ生とは会話が弾んだ。
古川先生のiphoneはとても面白い(笑)
だんさんとお話できなかったのは残念だったけれど。
来週は盛大に(?)打ち上げましょう
しちがつみっか
なんやかんやで今日の1番の真理は、現状に不満を持つ、それに対する問題を提起する、その後に、しっかり現状よりも魅力的な付加価値がある代替案を提言できるかということ。
わかっているようでこれができない。疑問を抱くだけで、その疑問を述べていかにそれを具体的かつ魅力的に解決していくかということを考えない。
このことは以前読んだ『すごい会議』にも書いてあったことだ。意外とこのことを考えることができない人が多い。だから一般的多数から脱却することができず、埋もれてしまう。
逆に、今回の僕のプレゼンは、3分ということもあり、現状分析をかなり不十分に、自分の夢を語るだけのプレゼンをしてしまっていた。オープンソーシャルや、SNS利用の現状など、もう少し触れることができたのだが、時間の都合上カットしたのもあった。
それで3分にプレゼンを収めることができたのは不幸中の幸いであろうが、そもそもそれでは不十分なプレゼンであった感が否めないので、テーマ設定の時点で間違っていたのかもしれない。
逆にふだんのNCなどを聞いていて思うのは、4期生は現状分析からして、圧倒的な情報量を持ってNCに挑んでくる。これは本当に見習わなければいけない。
また古川さんがおっしゃっていた、検索サイトに頼り切らず、人に聞くなどして情報を増やす(これは本でもいいと思う)、ある人と自分のテーマが少しでも被ったならば、事前にコンタクトをとり、より強固なプレゼンにするといったことは工夫できることであろう。
そして、最も重要な点がビジネスモデルとしていかに考えるか。今回のプレゼンでその点について考えていたのはジョニーだけであった気がする。学生の間はアイデアベースでいいかもしれないが、自分のアイデアがいかにして社会に対して意味があり、価値を見出すことができるのか、収益を得ることができるのかといったことを、社会に出たならば常に考えていかなければならないことだろう。
2009年7月3日金曜日
書評 ハーバードからのおくりもの
ハーバード大教授自身の体験に基づいて行われる講演なので非常に説得力があった。実際、講義も大切であるが、学生の視点から見ると、このような講演が行われるのは、うらやましい。日本の教授や大学にはもっと人間的で本質的なことを伝える講義のようなものがほとんどないからだ。社会に出て行く際に迷いやすい学生にとってこのような教授などある程度成功しているひと転機や思考の方法を体験出来るのは価値が非常に大きい。
特に、「今を生きる」という章が一番響いた。僕はせっかちだし、直前に焦ってやるとクオリティが下がるのは目に見えているので「先」を見すぎる癖がある。もう少し自分の「今」について考えるべきだと感じた。
一時の感情に従って物事を決めてしまう事がある。これは、おそらく先を見過ぎてしまっていることの産物だろう。いまを徹底的に考える事で「今」やることを考えていきたい。
【ホンヨミ!】人が「やらないこと」をやる人! ニティン・ノーリア【宮村】
本書では、確固たる意志を持って、人がやらないことを実行するための8つの成功術が提唱されている。本書を通じて強く感じたのは、到底無理に思えるようなことであっても、自分の確固たる目標をさだめ、その目標のために今できる事を着実にこなしていくという事、これを継続していく中で、目標に対して必要なもの(知識やスキルなど様々)を見極める状況判断能力が伴ってくるのだろうという事だ。未来に対する素晴らしい発想やアイデアを持っている人は数多くいる一方で、その実現のために行動を起こせる人が極めて少ない中、着実に努力を継続出来る人が前例を超えるようなイノベーションを生みだせるのだと思った。
また、興味深い視点だと思ったのは、例えばグループワークでブレストなどを行う時、ついつい他の人のアイデアを批判しそうになることがあるが、そのような時には、「アイデアそのもの」ではなくて「そのアイデアを出した人」を信じようと意識することで、もう一段階レベルの高い視野が得られるという事だ。グループワークや議論では、自分の意見が正しいと思い込みがちであるが、常に自分が正しいわけではないという事を再認識することで自分の限界に気づけるし、その結果、アウトプットの質を高めることに繋がるのだと思う。
【ホンヨミ!】本を読む本【小宮】
読むという行為は受け身で従順な作業ではなく、極めて積極的な行為である。
そのため著者の述べていることを理解し、正しく筆者とのコミュニケーションを行うためには、熟達した読者にならねばならない。
その為さねばならないことの一つに「正しく批評する」というものがある。自分の判断を下さない人間は、本当の意味で学び得ない。もっともすぐれた批評家こそ、もっとも良き読者なのだ。
しかし、批評に入る前に、必ずその前の段階である「概略」と「解釈」が完了したことを確かめねばならない。
著者の主張に十分な根拠がなければ、それはあくまで個人的な意見の域をでない陳腐な書物であるといえるが、読者の批評にもそれがあてはまる。
読者自信の下す批評にも根拠がなくてはならないなだ。その批評は弁護しうる意見でなくてはならない。
著者の議論についていくのではなく、それを受け止めてはじめて、賛成、反対が意味をもつ。反論は、思い込みや気に入らないと言っているだけではないか注意せねばならない。
小説についても同じである。その本のどこをが好きかを述べられない人は本の字面をなでているだけでその下にあるものを読み取れてはいない。
自分の好みや見方を離れて、その本から自分の得た感動の原因となっているものを客観的に述べること。どこがよくて、どこがよくないかを具体的に論じ、またその理由を述べなくてはならない。
これからの人生において様々な本に出会っていき、読書していくのだと思う。まだ読書が浅い今の時期に読めてよかった。
読書。とてつもなく奥が深い。
【ホンヨミ!】OLの私的消費【小宮】
【ホンヨミ!】オトコの仮面消費【小宮】
【ホンヨミ!】集中力【戸高】
集中力。1つの目標をきちんと定め、そのことをやると決めたら最後までやりぬく強い意志。
誰しもがほしいと思う集中力、そしてさまざまな自己啓発本を読んでいくと、一貫して集中のために重要な精神は、強い意思である。
自分自身強い集中力を、高校時代までは持っていた自信がある。受験のために、そして野球のプレイをするうえでも高い集中力を持つことが強いられていたからだ。
しかし、大学になり私の集中力は大いに減退してしまった。まだ高校時代の名残があるためか、いったん集中しだしたらその持続時間は長いものの、明らかにエンジンがかかるまでの時間が長くなってしまった。
その要因は環境にあるだろう。1人暮らしの私の家はあまたの誘惑に囲まれている。しかし、受験期は私を誘惑するものも少なく、また周りの人間すべてが切磋琢磨し、受験を目指すという環境が形成されていた。
環境が人を変え、習慣を変える。まず自分の身の周りの環境と生活習慣を見直すことからはじめよう。
【ホンヨミ!】考具【宮村】
またColor Bathやマンダラートといった、すぐに使える細かい方法論も多数紹介されていて、大変興味深い本でした。
【ホンヨミ!】日本のポップパワー【斉藤】
ポップカルチャーは現在世界中でも渦中にあるものであるし、その中心地は日本であるだろう。そんな日本自身が文化政策としてポップカルチャーを公に推進していくような環境が整えることは必然であるように思える。しかし私は疑問に思うのだが、日本のポップカルチャーとははたして公に推進していったとしてその価値が失われることはないのだろうか。そもそも日本のポップカルチャーはオタク発祥である。彼らは自分の趣味に打ち込むために公の社会から隠遁したようなかたちで生きてきた。もとはといえばポップカルチャーはそんな彼らから発祥した「裏の文化」といえるだろう。価値はそこにあるのではないだろうか。礼儀正しく、かつ国際社会でも活躍する世界のキーパーソンというイメージのある日本。そんな国では意外にも裏の世界があり、そこで生まれた文化だからこそ希少価値もある。世界の人々の裏の世界への興味が集約されたところにこの日本のポップカルチャーは生存しているのではないだろうか。
【ホンヨミ!】テレビ進化論【斉藤】
【ホンヨミ!】パラダイムの魔力【菊池】
パラダイムの魔力 ジョエル・バーカー
以前、元ボスコン日本支社代表の内田和成さんの講演に行った時、本書をごり押ししていたので、今回購入し読んでみた。あのクーンのパラダイムの概念を、ビジネス面で考えているのが本書。パラダイムとは「疑う余地のない暗黙の了解」のようなもの。しかし、パラダイムはいずれ変わる。「パラダイムシフト」と言われるのはこのことだ。ビジネスで成功するには、いかにこのパラダイムシフトを早くつかむかがカギとなる。
本書を読んで特に感じたことは
①パラダイムのはかなさ
②未来を意識することの重要性
の二つ。
まずは一つ目。例えば、就活のパラダイム。いわゆる人気企業というのも、ひとつのパラダイムだと思う。しかし、30年前と現在とでは人気企業も異なれば、発達している産業も異なる。現在人気の業界が、果たして10年後も同じ規模や人気であるとは限らないのだ。これはなんとも儚い。
そして未来への意識。本書によると、現在のパラダイムが一番栄えている時に、次のパラダイムの芽はすでに出ているということだ。常に最新の情報を手に入れ、パラダイムにとらわれないアウトサイダーの動きを注意深く見守ることこそ、未来を意識した一番シンプルかつ確実性の高い行動がとれるのだと感じた。最前線になる必要はない。現在のパラダイムの恩恵に与りつつも、次が必ず来るということを忘れない。パラダイムへの固執という傲慢を捨てることが、未来へのカギとなる。
ウェブ時代をゆく
ウェブ進化論もそうだが、少し筆者は楽観的すぎる。
全体をざっくりまとめると、「ウェブを使えば幸せになれますよ」と言っているようにしか聞こえない。オープンソースや群衆の知の有用性は理解している。実際にwikipediaや教えてgooのような集合知を用いているサービスはよく使用するし、やはり便利だ。ネット上にこのような情報が氾濫しているのはありがたい。
それにしても彼らは万能でないし、間違えも犯す。そこらへんの二面性も考えなくてはいけないと思う。この本は二面性について触れられている部分が圧倒的に少ない。
僕はウェブを使えば、幸せになれる、早く成長できるとは思わない。ウェブはそれらを促すポテンシャルを秘めているだけだろう。ウェブの情報をどこまで信頼していいのか、どこまでが人間的に正しいのかなど判断の基準が全面的にユーザー側にあることを忘れてはいけない。
正しい選択を行うにはユーザー自身の知的なレベルアップが求められると思うし、ウェブ時代にこそ情報源が明記されている書籍が価値を増してくるのだと思う。ウェブに代表されるようなフローな知識は、本などのストックされた知識の補完にすぎないと僕は思う。ネットを活用するのも重要だが、ストックされた知識、つまり読書などによって基礎体力を付けてからウェブを活用しないとあふれる情報に飲み込まれる。そのような意味でウェブはもろはの剣だと僕は考える。
あふれている膨大な情報から価値のある情報を選択できる力こそが情報化した時代に求められる力だろう。
2009年7月2日木曜日
【ホンヨミ!】心にナイフをしのばせて【大賀】
2009年7月2日読了
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償いとはなんだろう。更正とはなんだろう。一体なんのために刑罰はあって、一体なんのために法廷が存在しているのだろう。・・私たちはこうした疑問に向き合わねばならない時期に来ている。裁判員制度は既に始まっている。いずれ私たちは裁判員として法廷に参加することになるだろう。そして、罪人を裁くという役目を担うのだ。加害者と被害者、双方の考えを汲み取り、「冷静な」判断を下さなければならない。それは非常に重い役目だ。本書を読み、改めて感じさせられた。
本書は、「28年前の酒鬼薔薇事件」と称された、1969年の少年犯罪の被害者遺族を追ったノンフィクションである。被害者及び加害者は当時わずか高校一年生の少年たちだった。被害者の加賀美洋君は、無残に殺されすべてを奪われた。残された父母、そして妹は、その後の人生が「地獄」となった。一方で、加害者の少年Aは、少年院退院後に見事「更正」し、最高学府へ進学し、立派な弁護士となった。ろくな謝罪もないままに。被害者だけが苦しみを強いられ、加害者が「国の庇護」を受けながらのうのうと生きていられるという矛盾だらけの社会。憤りを感じずにはいられない。今でこそ少年犯罪に関する論議が重ねられ、被害者を支援する活動は増えたが、当時の日本社会にはそのかけらもなかった。被害者遺族はただ、ただ、苦しい日々を送り続けるしかなかったのだ。
結局、弁護士となった少年Aは被害者遺族に謝罪をするどころか、「自分は悪くない」と言わんばかりの態度のまま姿を消した。しかし被害者遺族は、そんな「非情な」少年Aを恨むことすらできなかった。恨んでも憎んでも殺された洋君は戻ってこないのだから。本書を読み進めるのは正直言って、きつい。遺族の苦しみややるせなさをひしひしと感じてしまい、何度も目を臥せたくなった。
本書の題名である「心にナイフをしのばせて」・・これは被害者遺族の一人、洋君の妹であるみゆきさんの言葉だ。少年Aへの恨みをどこにもぶつけられず、ただ、鋭利な刃物を胸に抱いていた。その刃物はときに自分を、周りの人々をも傷つけた。その苦しみは推し量ることができない。
裁判員になり人の裁きに加わることはけして簡単なものではない。そのことをしっかりと私たちは意識していなければならない。
【ホンヨミ!】テレビCM崩壊【戸高】
マスメディアCM(テレビ)の批判本です。確かに最近のテレビCMは見ててもつまらないとは個人的に思います。
この本で述べられているのは、消費者が商品を選ぶ時代になってきた、つまりメディア側に力があった時代は終わり、消費者に力が移った。だからメディアは消費者に歩み寄り、もっと情報を集めなければならない、消費者志向のCM、マーケティングを行わなければならないということ。
ネット広告の伸びが08年度は前年度比16.3%増で、新聞を抜く日も近いとは言われているが、果たしてその効果が絶大的なものかどうかといわれれば微妙だ。むしろテレビ広告よりも全体的には低いのではないのかとも思ってしまう。
ネットやケータイの普及で確かに我々がテレビに割く時間帯は減少してしまった。これは事実だ。しかしテレビは、テレビCMは広く認知させるといった意味では圧倒的有利を持っている。
一方ウェブの広告は、企業が自身のサイトを開いたり、コミュニティサイトで囲い込んでのマーケティングなども開かれてはいるものの、大半がバナー広告、検索連動型広告、リスティング広告である。つまり、テレビは文字、音声、動画を利用した、ビジュアルイメージで多大なインパクトを与えられるが、ネットでは主に文字での情報が基本なのだ。
最近、YouTubeでも動画を開くと画面下に広告が映し出されるようになったが、ハッキリ言って視聴者の私からすれば鬱陶しいだけだ。内容も見ずにすぐ閉じてしまう。
それならばいっそのこと動画を見る最初の15秒だけでも飛ばすことができない広告を挿入した方が効果は出るのではなかろうか。もちろんそれを行うとユーザーが他の動画共有サイトへ逃げてしまうといった懸念もあるが、そこまでしないと広告というものを見なくなっている状況まで来ているのだ。
ならどうすればよいのか。ネットの特性は消費者も一緒に体験が可能であることが特徴としてあげられる。「SLAM DUNK1億部突破キャンペーン」の時も、実際に読者がコメントを挿入し、湘北高校対山王工業の試合会場のスタンドをいっぱいにするといった戦略が練られ、大成功した。
これは商品に関する、購買を促す種類の広告ではないが、やはり消費者が何かしらの形で購入前、もしくは購入後に、企業サイトで参加し、経験を共有するといった動きのマーケティングはネットでしかできないことだ。
このネットでしかできない、そして消費者が体験を通じて商品を楽しむことができるサービスを拡張させていく必要があるだろう。