2010年3月29日月曜日

おすすめの一冊

こんにちは。春休み最後の投稿になりました!
今日は自分のお勧めの本です。自分で設定しておきながら選ぶことが難しく、迷いました。

『だから人は本を読む』 福原義春

2009年末にメディアで新着だったこの本と出会いました。自分が読んだことのない種類の本がいろいろ紹介されていて、読みたい本のストックをするきっかけになりました。
資生堂のトップとしてビジネスの世界で活躍する筆者が、読書を通じて会話を広げたり、自分を高めてきたという記述はとても説得力があります。自分とは比較にならない忙しさの彼があれだけの本を読んでいるなら、自分に時間がなくて読めないという言い訳はできない、と思います。
まだ一部しか読めていませんが、その中で気に入った本は、以前書評もアップした『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。この本で出会わなければ読まなかっただろう一冊です。

また、最近ゼミ内でも「最近どんな本読んだー?」という会話がよく聞かれますが、人から本を勧めてもらうのは、新しい本との出会いはもちろん、紹介してくれた人の新たな一面を知ることもでき、二重の楽しみだなと思っています。この人はこの本に影響を受けたのか!意外とこんな興味を持っているんだな!など。

ちなみに、私はずっとフィクションばかり読む人でした。
今回このブログを書くにあたって屋根裏に行って本を漁ってきました。自分の思い出もかねて何冊か挙げてみます。

『ダイスをころがせ!』真保裕一(無所属素人で選挙に立候補した元同級生を、脱サラして支える主人公の奮闘記。状況設定がすごくリアル。)
『いもうと物語』氷室冴子
『岳物語』椎名誠 
『ふとふり返ると』近藤喜文(ジブリでお馴染みの近藤さんのスケッチがまとめられた画文集。色鉛筆や鉛筆一本で人がいきいき描かれているのがすごく衝撃的で、小学校のとき、真似しようとしていました)
『はじめてのおつかい』『こんとあき』林明子(いわずと知れた名絵本。柔らかくて優しいタッチの絵なのにすごく印象的です)

小学校のときに、白須先生に物語を”表現読み”で読む授業を受けました。教科書とカラーテストの授業ではなく、先生の手作りプリントで段落ごとに登場人物の気持ちや筆者の意図、前の段落とのつながり、次の展開の予想…など何でもいいから自分で考えて想像を膨らませて挙手制で先生が次々生徒を当ててどんどん発言しながら授業を進めていく方法です。その影響もあってか、ビジネス書など知識を増やす本を、内容を頭に入れようと読むのも面白いですが、やっぱり小説や物語をじっくり読むのも好きだな、と思います。

屋根裏から下におろしてきて、次に読もうと思っているのは、『福翁自伝』です。

春休みの日記

3回担当をいただいた春休みブログアップも、今回が最後。
週の担当で一番早いアップを目指す、という自己満足も達成しました!笑

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金ゼミの人たちは、この春休み、それぞれ多方面に精力的に活動してるのでしょう。
私も私なりに、自分らしい日々を過ごしているつもりです。

先日、高校の部活のライブがありました。
OB、現役が入り交じったライブで、上は28歳・下は16歳、同じ部活で同じ活動をしていた人たちが、歴代使ってきたライブハウスで一堂に会するのは、なんだか不思議な気分でした。
私もOB枠で同期とライブをやらせていただきました。

ライブを通して、3つ気づいたことがありました。

1つは自分自身の演奏を通して、改めてエンターテインメントの楽しさに気づいたこと。
自分たちが演奏することで、目の前で観客が笑顔になって、跳ねたり叫んだり手を振り上げてくれることがすごく嬉しい。それを観て、私ももっと楽しく良いライブが出来る。
自分が何かすることで、誰かの感情を大きくプラスに揺り動かすことが出来るということ。とても素敵に感じるのです。
ひとりよがりでは良いライブは出来ないというのが持論です。もっと観客と空気を共有出来るパフォーマーで在りたいと思いました。

2つ目は、高校生の持っているエネルギーの強さ。
自分とは、ひとつひとつのライブに懸けてる熱情が違っていました。
まだまだな子も立派に演奏している子も、ひたむきに楽器と向き合っていること、心からその場を楽しんでいることが伝わってきました。
大学生になって、ライブに出演することがあまり特別でなくなってしまった今、忘れかけていた感情です。
瑞々しい気持ちを失わず、1つ1つの機会を大切に扱うこと。彼ら彼女らを観て、「若いなあ」と思っているだけでは、つまらない大人になってしまう。

そして3つ目は、時の流れの早さ。
高校3年生を見て、ついこの間まで1年生だったのに・・・と感慨深い気持ちになりました。楽器の腕前やパフォーマンスの成長もさることながら(彼ら本当に上手い)、中身も大人になっているようで、微笑ましくもなりました。
日常に追われることを恐れていても、あっという間に時間は経ってしまう。
高校生の彼らを見ていると、小難しいことを考えず毎日を楽しむことも大事なんだろうなと思いました。
計画など立てず、目の前のことをやるだけだ、とは宮崎駿さんの言葉です。
案外やりたいことをやっていたら成長出来るんじゃないだろうかと思います。


上の年代の人の方と会う機会と同時に、下の年代とも話してみると、思った以上の刺激が得られてほくほくです。
これから新歓オリエンテーション。新入生と会うのが今から楽しみです。

MURAYAMA's daily life・・・

小話を2つほど。

①俺ダメだなぁ〜

「最近何してるの〜?」。友達に会うと、ほぼ100%の確率で聞かれる一言。そんな時に村山が決まって返す言葉、「何やってるんだろう?何もなってないんじゃないかな」。でも、twitterに何チャラじゃんとか、誰々に何々やってるって聞いたよ〜、みたいなやり取りをして、一応こんなことやってるけどみたいなことを言うと、やっぱり色々やってんじゃん!、とかすごいじゃん!、みたいにツッコまれる。でも、そうじゃない。自分が自分のやってることを言わないのは、周囲の反応がどうであれ、自分のやっていることに自信がないからなんだと、つくづく思う。それぞれの分野に目標とする人がいる。新しいことが出来るようになっても、その人には程遠い。だから、満足できない。

ただ、この春休みはかつての自分からは想像できない様なことにも挑戦してきた気がする。自分でも、この一年を通してもっと詳しくやってみたいと思ってしたし、「ただ思ってるだけだと何の意味もない。思ったらすぐに、本当にすぐに始めないとダメなんだよ」と、何度も言ってくれた人がいたから(会う度に言われてた気がするw)。ゼミが春休みに入ってからも、幸運なことに先輩たちとお会いする機会があったので、その場で度々言われた言葉です。言い方は違えど、同じニュアンスの内容をそれぞれの先輩方にも指摘された。やっと、それが少しづつ、探り探りではあるけど、実現できてきている。


②サプライズ

3/17(水)、場所は恵比寿。jekiコンペ授賞式当日。無事授賞式も終了し、四人で飲み屋に。感無量といった面持ちで、それぞれが感慨深げに、これまでの苦労を振り返りつつ、リーダーの偉大さと、記念日の祝福に歓喜した。お酒を片手に、思い出を肴に、話が弾む一同。そこに、やや笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる男の店員さん。そう、当日一のサプライズ。誕生日ケーキと「誕生日おめでとう!」のクラッカー音。上手く状況を掴めず、呆気に取られる村山。誰を祝っているのか分からなかったからだ。それを見て、「今月、誕生日だよね?」とは、同期の子。「はい、そうです」とは、畏まった村山。ようやく、何が起こったのかを把握した村山。不覚にも完璧に虚を突かれた格好だ。正確には誕生日の数日前だったので、誕生日の自覚がなかった訳だ。思わず発してしまった、「いやぁ〜嬉しい、ありがとう!!」。ここで一つの真理に気付く。人間は、本当に予想だにしない出来事が起こると、上手く感情を表現できないのではないか、と。同時に、本当に予期していないと、驚きと同じくらいの計り知れない嬉しさで満たされる、と。えぇ〜、あの日は、ずっとありがとうを連発していましたが、それが本心でしたし、本当に嬉しかったです。心から感謝してます、ありがとうございました!!


①も②も内容的にはネガティブ・ポジティブの違いはあれど、自分は一人で生きているのではなく、自分以外の誰かに支えられながら生きている、という意味では共通していると思います。日常生活で自分の人生を振り返ると、改めて、自分は本当に人に恵まれていると、実感させられます。自分の今いる環境は自分だけでなく、自分と関わりを持つ人たちの援助によって成り立っているものなんだと。だからこそ、自分も、誰かの役に立ったり、先導するといった高尚なことは出来ないまでも、あらゆる行動を通して、ほんの小さな感謝をされるような事が出来るような人間になりたい。そう、思わされる毎日です。

2010年3月23日火曜日

春休みのこと:フランスについて





少し遅れてしまいましたが、春休み2回目のブログアップをさせて頂きます!
今回は春休みの近況報告について。


私は2月末から一週間フランス旅行に行ってきました。
最初にヴェルサイユ宮殿を見学し、その後世界遺産モン・サンミッシェルを観光し、残りの日はパリ市内を観光しました。
たった一週間滞在しただけでその国のことがわかるなんてことは絶対ないけど、それでも私はフランスという国、特にパリという街がとても好きだと感じました!是非みなさんにも一回訪れることをお勧めしたい街です。


よくパリを「芸術の都」という表現しますが、正直あまり実感が湧かない言葉でした。だけどパリを歩いてみると、その言葉の意味が心から理解できるような気がします。
フランスを旅して私がとてもいいと感じたのは、芸術そのものはもちろんのこと、芸術を大事にしようとするフランス人のきめ細やかな姿勢です。金ゼミ内では「デザイン」という言葉がブームですが、私はフランスは「デザインの国」だと感じました。

例えばフランスでは、日本では見かけないところにまで、神経の行き届いたデザインを発見することができます。滑走路の位置を飛行機に知らせるライトがディズニーランドのように七色でキレイだったり、トイレの「大小」が日本のようにつまみではなく、大小二つの大きさの壁のスイッチで表現されていたり。笑
こういう細やかで小粋なデザインがエスプリというのかなあ?と考えました。

また、観光ガイドを見るとわかるのですが、ルーブル、オルセーなど有名なもの以外にも、フランスにはとにかく美術館が多い。しかも、フランスの学生はなんとすべての国立美術館が無料で入れるそうです!(日本人はダメですが、国際学生証があると無料になるらしいです。)事実、ルーブルやオルセーでは広い館内の中で学校の授業と思われるものが開かれていたり、彫刻を前に学生たちがデッサンをしている光景をよく目にしました。
また、滞在中に世界的に有名なパリオペラ座バレエ団の公演をオペラ座に見に行ったのですが、日本で見ると1万円近くはするチケットがなんと当日券で700円くらいで買えてしまいすごくびっくりしました。確かにオケピの真上というかなり見えづらい席ではあったのですが、それでもちゃんと最高級のバレエを見ることができました。当日券には若者も含めて多くのフランス人が行列を作っていて、芸術に対するフランス人の親和性の高さ、同時にフランスという国が、人々に対して芸術にいつでも触れられるようにしっかり配慮していることが伝わってきて、とっても感動しました。
ちなみに私は印象派が好きなので、個人的にはオランジェリー美術館が一番気に入りました。こじんまりしているけど素敵な美術館でお勧めです。(モネの睡蓮もあります。)


パリは中心部に行くほど建物が綺麗になります。普通のアパートも昔の建物をそのまま活かして作られているため、観光名所のように綺麗です。また王宮の近くの公園は現在は市民の憩いの場となっており、美しい建造物とともに人々は生活しています。条例により、高層ビルは中心部にはなく、郊外にのみ建てられていました。
フランスを見ていると、「日本ならではのデザインって、一体どこにいってしまったんだろう?」と切ない気分になってしまいました。こんな綺麗な景色の中で育ってきたフランス人に自信を持って披露できる日本独自のデザインは、京都や一部の地域しか思いつきません。外国人には渋谷の人込みの多さやネオン、秋葉原の近代性や原宿のファッションなんかもおおいに受けると聞きますが、日本人が長い長い昔から守ってきたデザインももっと見せられたらと感じてしまいます。経済発展のために生活から自分たちらしいデザインを切り捨ててしまった日本人。「高層ビルの摩天楼」「工場萌え」なんていった言葉で、それもまた別の「美」として昇華してしまおうという発想もありますが、もっと日本人が生活の中で日本古来のデザインを守っていたら、今とは少し違う街並みが東京にはあったのではないでしょうか。

上海やソウルは東京とほとんど変わらなくてつまらないという話を日本人からよく聞きますが、「経済発展」という観点では東アジアは今後もどんどんと均衡(あるいは日本が衰退)していくことが予想されます。「ブランド戦略」が国際的に力を持つ現代、その中で差異をもたらす可能性があるのが「デザイン」です。日本特有のデザインをどう発展させ、ソフトパワーにつなげていくべきか?日本の政府には、未来のボトムアップを期待し、芸術に対する敷居をフランスのようにもっと下げていってほしいです。今のまま日本の学生が世界に出て行っても、自分の国の芸術やデザインのことをしっかり説明できる者が一体どれだけいるでしょうか?(正直、国立美術館が全部無料がうらやましすぎます・・・!)


パリは少し郊外に出ればアラブ系などの黒人街も多く、全体的な治安としては日本よりかなり悪いです。(スリも多い。)
芸術的で華やかな面がありながら、一方で貧富の格差をもごく当たり前のように抱えているパリ。その社会的に少し不安定な側面も含め、非常に魅力的な国です。違う国を訪れることは、母国とは違う国のモデルを体験すること、またそれによって相対的に自分の国を知ること。海外旅行がまた好きになった素晴らしい旅行でした。


その他。
・フランス料理はどれもおいしい。だけど日本に帰るとやっぱり日本の味に感動する。煮物や味噌汁から伝わる「だしのうまみ」という概念を何故外国人は知らないのか。
・フランス人は、話しかけるとすごいそっけないか、逆にめちゃくちゃ気さくで、知ってる日本語でからかってくるかの両極端だったと思う。
・女の人がみんなモデルのように綺麗。
・美術館で自由に作品の写真をとっていいことが驚き。(ダメなところもある)

2010年3月17日水曜日

金ゼミで印象に残った出来事

4期生のカコイです。
こんにちは、春休みいかがお過ごしでしょうか?
この前は追いコン、たくさんの参加を本当にありがとうございました!><拙い幹事ですみません。。
この場をお借りしてお礼を言いたいと思います。

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春休みのお題その2「金ゼミで印象に残った出来事」

いくつも印象に残っていることは挙がってくるのですが、来期への気合い注入も込めてひとつ。

2009年最後のゼミにて、3期生から4期生への代替わりがありました。
それぞれの想いを込めた所信表明の結実となりましたが、私は少しだけ複雑な心持ちで臨んでいました。
そんな私に打ち上げの場で金先生が仰った言葉がありました。
私に足りないのは、”信頼”だと。
一年間ひたすらに走り続けていたかというと、そうではない自分。深い信頼は積み重なって出来るものです。確かにムラのあった自分自身に賭けてくれとは、なかなか無理な相談でした。

前期であまり身を入れて金ゼミに取り組んでいなかった私が、後期自分なりの全力疾走が出来た理由、モチベーションの源は、自分自身を確かに認めてくれた人たちだと思っています。
失ったものは取り返せないけれど、来年度は一年通して走り続ければ良い。
更に言えば、来年度5期生が入ってきたときに、初心を忘れず、彼らのモチベーションを上げられるような先輩になること。
今年度学んだことをしっかり次に繋げる人になりたいです。
信頼に代わる何かを得られるように感じるので。

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それから、場違いかもしれませんが、メーリスするほどじゃないか…と悩んでしまったため。
来年度のオープンゼミ、専門の内容を説明するのに、参加型プチNCをやるのなら、今までのNCにプラス問題意識を色濃く出してく形にしてみてはどうだろう?
ARとか技術の説明だけで終わってしまったらもったいないし、見る、聞く、考える、伝える、の「考える」も重視したいなあって思いました♪
ARだったら「普及」がキーワードになるのかなあ?

2010年3月15日月曜日

おすすめの本

 小阪修平『そうだったのか現代思想』

 高校時代好んで良く読んでいました。当時一番印象的だったのは、“知識”というものがどのように日常生活に於いて役立つかということが書かれている部分です。

 かつては“知識”は万人が持っていなくてはならないものだったが、高度成長期以後の大衆文化が到来してからは“知識”は持っても持たなくてもいいものになったそうです。

 かつては社会的地位に直結していた“知識”の有る無しが、現在では有っても無くてもよいものになった。むしろ、“知識”は義務教育により無理矢理詰め込まれるものになった。
そのような“知識”を、それでもなお自発的に追い求める理由があるとすれば、それは“知識”は“思考の省略”を導くからだ、と彼は言っています。

 人間は自分の頭の中だけで物事を考えていると、時に突飛な思考に陥ってしまう。しかし、“知識”を持っていることで、自分の思考の助けにすることができ、突飛な思考を回避することができる。

そのために私たちは本を読み、“知識”を詰め込むことを忘れないのだそうです。

今読み返してみると当たり前のことのように感じられますが、気持ちが弛んでいたこの時期に読み返すことができて良かったなと思いました。

2010年3月13日土曜日

相手にするもの

こんにちは、春休み二回目の投稿です。金光です。

昨日、ドイツから来た親子と一緒に東京観光したときのことを書こうとしてなかなか上手に文字にできませんでした。もう少しうまくまとめられそうなら、加筆訂正するかもしれません!!

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初対面の相手と慣れない英語で見慣れた場所を歩く…という一日を通じて感じたことは、自分がこれまでやってきたこともこれからやっていくことも、すべて、目の前にいる「個人」を相手にするもの。その人に関する情報やら肩書きがあっても相手にするのはその肩書きじゃなくて自分とおんなじ一人の人間なんだ!ということです。

これは、昨日一緒に一日歩いた彼らがとても思いやりのある素敵な人だったから感じたことでした。そしておそらく、不自由な英語を使ったことで、言葉でカバーできない部分を表情や行動、しぐさから読み取ろう、と体じゅうの感覚器官が敏感になっていたからこそ気付いたことだと思います。
ともすれば、普段気にならないようなことが気になってしまって落ち込んだりする可能性だってあったのに、彼らの接し方のおかげで私は楽しめただけでなく、こうして考えるきっかけももらえました。


昨日の朝、待ち合わせの場所で自己紹介するまで、私に与えられていた彼らの情報は名前、ドイツから初めての日本観光、父の同じ系列の会社で働いていること、くらいでした。(旅行客にとって滞在中の一日は、住んでいる人の一日よりもはるかに貴重で楽しみな時間。それをこんな小娘が、しかも英語もままならないし方向音痴な私が案内しちゃっていいのか?!と思いながら緊張していました。)

その時の私はその数少ない情報からいろんなイメージを持っていました。ドイツ人だからやっぱり大きいのかな、ビール腹だったりして…などなど。それはすべて属性からくるイメージでした。

でも一日を共に過ごして私の心に残った印象は、彼ら一人一人の行動、しぐさ、言葉であり、ドイツ人だから~とか理系だから~という内容ではありませんでした。

こうして言葉にしてみると当たり前のことです。遠く離れた国から来て違う言葉の大人でも、実際に自分が話すのは一人の人間。もし相手がどこかの社長でも石油王でも、自分が話したり接する相手は会社でも油田でもなく、一人の人間なんだ!ということです。


じゃあどうして私は今までそれに気付かず、昨日それを再確認したのか?
第一には、最初に書いたように、彼らの優しい心遣いが自分の力不足を救ってくれたからだと思います。理解しやすいように違う表現で言い換えてくれたり、二人がドイツ語で話したあとに、「(二人にしかわからないドイツ語を使って)ごめんね、ただドイツ語のほうが理解が早いから、ただそれだけの理由なんだ!」とフォローしてくれたり、一度ホテルに戻ったときも私が一人にならないように、二人が順番に部屋で用事を済ませてくれたり…
昨日の私には「目の前にいるこの人」の現在の状況しか、その人自身について判断する材料がなかったからこそ、一瞬一瞬を感情としても情報としてもダイレクトに吸収しました。もし相手について私がもう少し余分な予備知識があったなら、感じることをその情報と結び付けてとらえてしまっていたと思います。普段そういう接し方に慣れてしまっていたからこそ、限られた情報、限られた(英語)能力の中で気付いたことでした。

第二に昨日は自分一人に責任が与えられていたことです。案内役の準備をしながら考えた不安なイメージと、それを払しょくした数々の出来事は、一人だったからこそ感じられたことでした。



自分が接するのは一人の人間なんだ!ということ。
もちろん、相手が「ただの一人の人間」ではなくいろいろな付加価値がついているからこそ契約や取引が成り立ちます。会社の権力者だったり、国民の代表だったり。人によって発言の影響力もさまざま。でもだからこそ、会社名や名声のような表面だけに流されるのは違うな、と思いました。知名度がその人の魅力なのか、その人自身が魅力的なのか。それを見抜けるようにならなければいけません。そしてもちろん自分自身が魅力的でいられるよう努力しなければいけません。
ただ、自分が向き合ってるのも、人間!というくらいの気持ちで、力にびびってしまう必要はないと思います。

だからといってきれいごとだけではなく、自分がいくら魅力的でも仕事ができないと人生はあまりうまく進みません。でも、たとえば取引をするとして、自分の契約を成功させたいのならなおさら、いかに契約相手のその人自身と付き合うか、人として心を動かせるか、じゃないのかなと感じました。相手を通り越して、その裏に背負われているお金や事業の規模ばかりに目がいっても決して成功しないと思います。
一人の人間ということを意識すること、それは相手を尊敬するのでも、見下すのでもなく、対等に感じること、だと思いました。
そしてそれはたとえ言葉がうまく通じなくても相手に伝えられるかもしれない、と感じることができました。

2010年3月12日金曜日

 みなさん、20歳を超えて成人な訳ですけど最近いつ涙を流しましたか。
 赤ちゃんは泣くのが仕事と言われているようにしょっちゅう泣いていますし、小学生になるくらい前はちょっとしたことで泣いていました、僕は。
 でも中学生にもなるとなかなか泣くこともなくなります。本当に感動した作品を鑑賞した時、自分が懸けていたひとつの物事が終わった時、何かとの別れ。日常的体験ではそうそう涙をすることはないですよね。

 先日、twitterでもつぶやかせていただいたんですが、僕の母方の祖母が心臓の血管がどうのこうので入院したんですね。そこで8時間の手術をして結果的には助かったんですけど、僕にその知らせがあったのが術後4日くらい経ってからだったんですよ。
 就職活動が本格化してきて親も僕に気を遣ってか以前よりもあまり連絡をしてこなくなったんですが、それくらい連絡してきてもいいんじゃないのかと少し腹も立ちました。
 それで親からの連絡を受けてすぐさま電話をしたんですね、親に。すると親がちょうど病院にいるということで、入院中の祖母と電話することができました。

 いざ祖母と話してみると声がいつも聞いていた祖母の声と違って戸惑いました。僕の母方の祖母は実家から徒歩3分程度の所に住んでいるので、下校が早い小学生まではほとんど毎日の様に顔を会わせていました。いつも馬鹿みたいに笑っていた祖母の声がここまで弱々しくなるのかと。
 本来、入院している祖母を僕が元気づけてやらないといかんのでしょうが、その祖母の声を聞くと何も言えなくなってしまい、しまいには涙を流している僕がいました。

 なんであそこで涙を流したのか、僕にはよくわかりません。別に祖母が死んだわけでもなく、危機的な状態に陥ったとは言え、助かったわけです。しかも僕は危機的な状態に陥っていた瞬間を目にしていない。
 ただ結果を突然聞かされただけなのに、電話をした時に僕は、祖母が夜に倒れ、病院に運ばれるも「うちじゃ手術はできない。」とたらい回しにされ、ようやく手術にありつけた光景を如実に感じ取ることができました。
 そんな祖母の大事な時に近くにいられなかった不甲斐なさかなんなのか、まだ僕にはわかりませんが、とにかく僕は泣いていたわけです。

 先日、祖母は予定より遅れてですが退院しました。退院予定日に僕は祖母に電話したのですが、その時の祖母の声はどこか元気でした。その声を聞いて僕はまた泣きそうになりましたがこの時はこらえることができました。
 
 一連の祖母入院騒動で僕は大阪に帰ろうとも思いましたが、親にも、そして祖母にも「就職活動をしっかりとしろ。」という言葉をもらいました。
 2月、3月は就職活動が中だるみしてくる次期だと、いろんな友人と話していても感じます。そんな時だからこそ自分も頑張ろうと一念発起することができました。
 しかし、僕は思うわけです。自分の仕事と祖母の命、どっちが大事なのかと。その祖母が就職活動に専念しろと言ってるのだから就職活動を大事にすべきなんでしょう。将来のことを考えたら就職活動一択なのも間違いないと思います。
 でも理屈じゃおさえることができない感情を持ってしまう僕もいます。もう祖母に会えるのは数日しかないかもしれません。そう思うと祖母を優先すべきなんじゃなかろうかと。
 
 僕は就職をしても大阪で働く選択はとるつもりはありません。その考えは高校時代から固持し続けてきました。
 「じゃあもし自分の親が倒れたらー」
 今回の出来事でこの考えが僕の頭により鮮明に浮かび上がる様になってきました。大阪と東京。新幹線で2時間半。飛行機だと1時間もすればたどり着いてしまう距離。でも近そうで遠いのも間違いない距離。
 
 東京、もしくは僕が働いている場所に親を呼ぶのか。老人ホームにいれるのか。
 こういったことは僕一人で考えていても意味がなく、親の意向も聞き入れなければならないし、もし僕が結婚できていたらば結婚相手の意向も聞かねばなりません。
 そもそも今考えても答え等でるはずがないことでもあります。

 だからこそ、とにかく早く仕事を決めることができる様に頑張って、仕事が決まればその足で大阪に帰ろうと。帰ってお世話になった人たちの顔を見てこようと思います。

2010年3月7日日曜日

【縁】というものについて

 こんばんは!ご無沙汰しております。大賀です。久々にブログに書き込むので少し緊張しています。皆さま、春休みはいかがお過ごしでしょうか?寒くなったり暑くなったり。なかなか安定しない気候が続きますね。小春日和になったかと思えば急に真冬に逆戻り。毎日スーツで外出しているので、着る服に迷うことはないのですが。風邪などをひかないようにご注意を!私は一回かかってからなかなか治らずに苦労しました。

 さて、私の春休みは、「上がったり下がったり」。常にうまくいくというわけにはなかなか行きませんが、自分の将来のために毎日コツコツと頑張っています。そんな中で実感しているのは、「とにかく色々な人に会えるのが楽しい!」ということです。学生という肩書だけで、利害関係なく、色々な企業の人に会える。やろうと思えば社長と呼ばれるひとにだって会える。これって、すごく貴重なことなんですよね。

 私は、「人との出会いは縁だ」と思っています。今というときに私が生きていて、その人と出会えた。たくさんの人間が生きている地球の中で、その人に出会えた。それはとてもとても貴重なことで、とてもとても素晴らしいことなんです。だから、私は全ての人々との出会いを大切にしています。「あなたに会えてよかった!」と全身全霊で伝えるようにしています。

 最近は就職活動の傍らで、歴史関係の本なども読んでいます。そこで気が付いたのは、歴史も、人と人との「縁」が紡ぎだした物語なんだなあ、ということです。「ここでこの二人が会ってなかったらどうなっていたんだろう」と思わせるようなことばかり。土方歳三と近藤勇とか、坂本龍馬と勝海舟とか。数をあげればきりがないほどに。そうして、人と人との出会いが、その後何十年、何百年、何千年もの未来に影響を与えていく。…ひょっとしたら…私と誰かが出会ったことで、今後の時代が変わることだって、あり得るかもしれないのです。「時代」という言葉は大げさかもしれないですが、少なくとも、誰かとの出会いが、私の未来を変えていくであろうことは間違いないと思います。

 最近は、就職活動を「終える」ということはひょっとしたら寂しいかなとまで考えています。ひたすら貪欲に、前向きに。可能な限り挑戦し続けて、自分の納得のいく道を見定めたい。まだまだ終わってやるつもりはありません。突っ走り続けますよ!


***


 さて、長い前置きはここまでにして、お題を消化します♪

●金ゼミの思い出

 改めて考えてみると迷いますね…全部印象深いので!あえて選ぶとしたら、12月の最後のゼミで、誕生日をお祝いしてもらったこと&飲み会で花束とカードを貰ったこと、ですね!本当に幸せだったのを覚えています。ああ、生きててよかったあ!って思いました。正直、副代表としての1年は、辛いことも多々あったんです。だからこそ、嬉しかったんです。頑張った分だけ、人に認めてもらえたことが、本当に幸せでした。とにかく感動でした。本当にありがとうございました。
 「副代表」という立場は正直、微妙なもので。一体何をすればいいのか最初はまったくわからずに、迷いました。結果的には、先生、先輩・後輩、同期の話を良く聞いて、ゼミ全体を客観的に見つめながら問題点を探しつつ模索していきました。それがベストなやり方だったとは思っていません。もっと出来たことはあったんじゃないかなあ、と今となっては悔しさも多くあります。4期副代表のもえちゃんの力量に期待しています!

●印象的なフレーズ

 「All for one, One for all」‐金ゼミのキャッチフレーズのひとつですね。この言葉が印象的です。最近、企業のことを調べ、「組織」というものの在り方を考えるたびに浮かんできます。
 実はこの言葉、かつての戦国時代の日本にも存在していたキャッチフレーズなんです。石田三成が関ヶ原の合戦で使った旗印「大一大万大吉」。その文字の通り、漢字が並んでいる印です。この旗印の意味が、「大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために、万民が一人のために・・・という世の中になればすべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」とされています。まさに「All for one, One for All」です。昔の人の考えがそのまま今に受け継がれているのだから、個人的には感動しました。この言葉を来期の金ゼミでもうまく活かしていきたいですね!

●好きな本

 書評ではなく…ということなので、最近読んで印象に残ったものをひとつ。
 斉藤孝著「決めことば」(2010年、世界文化社)。幕末の偉人たちの残した言葉を集め、現代に生きる人々へのメッセージとしています。悩んだ時に読むようにしていますが、本当にお勧めなので、是非!


***


 長々と失礼しました!

MURAYAMA who continue failing.

多数の著名人を前にした論文発表会も非常にドキドキしたことを記憶していて捨て難いですが、一年を通して金ゼミの中で私が最も印象に残ったモノは、やはり、合宿です。その理由は、皆さんも容易にご想像できると思いますが、合宿の深夜ミーティング時に、僕の軽はずみな発言で金先生を怒らせてしまい、場をぶっ壊してしまったからです。それだけでも失礼な話なのに、僕のせいで何の咎もない同期の皆をも不必要なゴタゴタに巻き込んでしまったため、あの時のことは今でも鮮明に覚えているし、これからも一生忘れることはないと思います。それだけ自分にとっては、とてもインパクトの大きい出来事でした。自分にとってのインパクトには二つの側面があると、実感しています。

まず一つ目は、他者に感謝するということを再認識させられた側面です。日頃から、自らの時間を犠牲にしてでも、他者のために行動できる人に対して、自分は感謝できているつもりでしたが、それが不十分であるということに気付かされました。たとえ、言葉で感謝の気持ちを伝えたとしても、それが本当に心から湧き出てきた感情でなければ、その気持ちは相手に伝わらないものだと、今の自分は常々感じています。感情は、言葉(メッセージ)よりも、それを支える副次的な要素によって、相手に伝えられるものだと考えるからです。ですが、今までの自分は割と、言葉で「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えれば、それで十分だと無意識の内に決めつけて、相手に本当の意味で感謝できていなかったのではないかと、考えさせられました。他者への感謝、特に自分のために行動してくれた人物に対する感謝は、何よりも大事なことだと思います。お金よりも。そのことに改めて気づかされたのが、金ゼミ合宿(金先生)でした。つまり、自分にとっての金ゼミ合宿の位置づけは、新たな知識を獲得して、それを構築するというのではく、他者への感謝を通して、内なる気持ち・感情を豊かにするための合宿だったのだと、感じています。あの日以来、他者への感謝を忘れたことはありませんが、正直、今の自分は、意識しないと、この感覚を持続することが出来ない部分があるので、この気持ちの変化を一過性の衝動の様なものにするのではなく、日常生活の一部として、無意識でも態度に表象される位まで昇華させたいと思っていますし、それが今後の人生の目標の一つでもあります。

そして、二つ目は、宿泊部屋に戻った後に、金先生との面談で抜け殻状態になった自分の話を、同室の宮村さん、岸本さんの二人の先輩方が真剣に聞いてくれたという側面です。それ以前も、お二方とは真剣な話をしたことはありますが、悪までそれはゼミや勉強に関することだったので、よりプライベートな内容を真剣に聞いて頂いたのは、実質あの時が初めてでした。二人は、合宿で疲れが溜まっているだけでなく、深夜だったので当然眠いにも関わらず、嫌な顔一つせず、最後まで自分の話を聞いてくれました。それによって、自分の心がどれだけ救われたかは計り知れません。前日まで、笑顔だった二人の顔がいつになく強張って、緊張していた様子が、今でもまるで昨日のことだったかの様に頭に浮かびます。二人は、自分の話を最後まで聞いてくれた上で、それぞれ色んな言葉をかけてくれました。完璧に打ちひしがれていたので、二人がかけてくれた言葉は断片的にしか記憶していないのですが、自分の行動を単に否定するだけでなく、肩を持ってくれる部分もありつつ、その上で、今後どうしたらいいかなど多くのアドバイスをしてくれました。本当に、一日の、しかも超短時間の内に、物凄い密度の濃い、そうそう体験することの出来ない貴重な経験をすることが出来たのではないかと思います。

当時は、本当に辛い思い出でしかありませんでしたが、今となっては、今後の自分の人生にとって確実にプラスになる欠かすことの出来ない一日だったと確信しています。リスクを伴う行動をすれば、それだけ失敗したり、後悔したりする可能性は高くなりますが、その分、その結果は決して忘れることの出来ない、自分の人生を形成する核になるのではないかと思います。きっと、自分はこれからも多くの失敗や後悔を繰り返すと思います。ですが、単にそれを悪いことと決めつけたり、へこんだりするのではなく、自分の人生の糧にしていきたいと思います。

失敗万歳!!