(M.J.アドラー, C.V.ドーレン著・講談社)
*******************
すぐれた読者になるための入門書。
読むという行為は受け身で従順な作業ではなく、極めて積極的な行為である。
そのため著者の述べていることを理解し、正しく筆者とのコミュニケーションを行うためには、熟達した読者にならねばならない。
その為さねばならないことの一つに「正しく批評する」というものがある。自分の判断を下さない人間は、本当の意味で学び得ない。もっともすぐれた批評家こそ、もっとも良き読者なのだ。
しかし、批評に入る前に、必ずその前の段階である「概略」と「解釈」が完了したことを確かめねばならない。
著者の主張に十分な根拠がなければ、それはあくまで個人的な意見の域をでない陳腐な書物であるといえるが、読者の批評にもそれがあてはまる。
読者自信の下す批評にも根拠がなくてはならないなだ。その批評は弁護しうる意見でなくてはならない。
著者の議論についていくのではなく、それを受け止めてはじめて、賛成、反対が意味をもつ。反論は、思い込みや気に入らないと言っているだけではないか注意せねばならない。
小説についても同じである。その本のどこをが好きかを述べられない人は本の字面をなでているだけでその下にあるものを読み取れてはいない。
自分の好みや見方を離れて、その本から自分の得た感動の原因となっているものを客観的に述べること。どこがよくて、どこがよくないかを具体的に論じ、またその理由を述べなくてはならない。
これからの人生において様々な本に出会っていき、読書していくのだと思う。まだ読書が浅い今の時期に読めてよかった。
読書。とてつもなく奥が深い。
読むという行為は受け身で従順な作業ではなく、極めて積極的な行為である。
そのため著者の述べていることを理解し、正しく筆者とのコミュニケーションを行うためには、熟達した読者にならねばならない。
その為さねばならないことの一つに「正しく批評する」というものがある。自分の判断を下さない人間は、本当の意味で学び得ない。もっともすぐれた批評家こそ、もっとも良き読者なのだ。
しかし、批評に入る前に、必ずその前の段階である「概略」と「解釈」が完了したことを確かめねばならない。
著者の主張に十分な根拠がなければ、それはあくまで個人的な意見の域をでない陳腐な書物であるといえるが、読者の批評にもそれがあてはまる。
読者自信の下す批評にも根拠がなくてはならないなだ。その批評は弁護しうる意見でなくてはならない。
著者の議論についていくのではなく、それを受け止めてはじめて、賛成、反対が意味をもつ。反論は、思い込みや気に入らないと言っているだけではないか注意せねばならない。
小説についても同じである。その本のどこをが好きかを述べられない人は本の字面をなでているだけでその下にあるものを読み取れてはいない。
自分の好みや見方を離れて、その本から自分の得た感動の原因となっているものを客観的に述べること。どこがよくて、どこがよくないかを具体的に論じ、またその理由を述べなくてはならない。
これからの人生において様々な本に出会っていき、読書していくのだと思う。まだ読書が浅い今の時期に読めてよかった。
読書。とてつもなく奥が深い。
0 件のコメント:
コメントを投稿