2009年9月25日金曜日
夏休み書評『クラウド化する世界』
本書では、過去の歴史と照らし合わせ、クラウドコンピューティングの発展と展望、さらに社会(企業や一般の人)への影響についても述べている。本書を読むことで、歴史を学ぶことに対しての示唆が得られた気がする。歴史は問題を発見するための学問と言えると思う。
かつて、中央発電所の登場によって、各工場は自前の発電所を持つ必要がなくなった。自前の発電設備をつくるには非常に高額な費用がかかったが、中央発電所の登場によって企業は電気を必要な分だけ、しかも安価に購入することが可能になったのだ。これと同じような現象がクラウドコンピューティング。
過去の歴史を見ると、様々なヒントが隠れているのだと思う。自前の発電所→中央発電所へのシフトがかつてあったように、自分→あちらへのシフトがクラウドコンピューティングだ。歴史は繰り返すと言われるのもしかり。その繰り返しになかなか気づけないのも事実だが。本書の後半では、クラウド化する世界とそこで予想される負の部分にも歴史的な事実と照らし合わせながら触れている。かつて、生活のあらゆるプロセスの電化が、家庭や労働者にもたらした「負」の面が存在するように、このクラウド化する世界にも多くの「負」の可能性も存在している。今まで読んだ本と大きく違う点はここだと思う。明るい未来ばかりが語られがちなネットの世界も、筆者のような冷静な分析も併せて必要なのだと思った。
2009年9月23日水曜日
フランス(ボランティアで思ったこと編)
そもそも、なぜボランティアなんかに参加しようと思ったかと言うと、様々な国から集まった学生と一緒に働く経験、そして英語のみの環境で暮らすということを一度はしたいという思いがあったから。正直、ボランティアとはいえ、人に貢献しようというような気持ちは微塵もありませんでした。その代わり、現地の人々とは人一倍交流しようと努力したし、他の学生とも積極的な付き合いを心がけた。
感想。今までの人生の中でも抜きんでて楽しかった。
作業は全部英語とフランス語。次の日の予定や献立なんかは全部自分たちでディスカッションして決めた。作れたらモテるといわれるあの肉じゃが、人生初肉じゃがを海外で作った。毎日仕事が終わるとみんなでビールを飲みながらゲームをしたり。休日は近くの町やパリへみんなで出かけた。どれもこれも最高に楽しい経験。国籍も文化も違うのに、短期間でここまで仲良くなって楽しめるのは日本ではなかなか経験できないこと。最後は別れを惜しんで泣きだす人もいたし、自分もずっとこの場所に残りたいなんて思ったりもした。
思えば、自分には、何かに全身全霊をかけるって経験があまりなかった気がする。ある意味「冷めてる」みたいな。けど今回のこのプログラムでは、何か今までとは違うものすごい達成感と満足感が得られた。たぶん凄く熱中してたんだと思う。それは色々な縛りから解放されて、生身の人と人とのコミュニケーションができる楽しさによるものだと思う。熱中できることって素晴らしい、冷めてるのなんてカッコ悪いじゃないかと心底思った。
人と人との生身の交流のすばらしさ、そして熱中することの尊さ。今回の旅で肌で感じたこと。この経験は僕にとって一生の宝になると思います。
フランス(旅で思ったこと編)
フランスで何をしていたかと言うと、ノープランの旅約1週間と、ボランティアという名の大自然の中でのスローライフ2週間。旅は、特に宿もとらず、行きたくなったところを自由にまわれるようにした。途中バスがなくなってヒッチハイクしたり、食事も何もないド田舎でおばちゃんに町まで車をだしてくれるように交渉するはめになったり、いくつかエキサイティングな経験はありましたが、いたって充実した旅でした。
その中で特に感じたのは、この3週間、全てのしがらみや人間関係、肩書も何もない、ただの菊池優になったということ。それはそれで気分はいい。メールも何も返信する必要もない。明日の予定を意識する必要もない。そして馬鹿みたいに外人と酒を飲んだり。けれども、一方で時々「早く帰りたい」と思うこともあったし、色々と心残りなことを思い出しては焦ったり。自由だからこそ、強く意識させられることがありました。この何とも言えないアンビバレントな感情も旅の醍醐味の一つだと思います。解放感と焦燥感、喜びと焦り。この二つの感情は確実に秋学期へのモチベーションになったと思います。この気持ちを忘れずにいきたいです。第一回はこんなところで。
ナマステインディア
インドでちょっと感じたこと2
今年の本会議はインドで開催された。2年夏に旅行でインドへ行ったことがあったため今回2度目のインドであった。私は、本会議への参加を決めたのは、インドをもっと知りたい、同年代の学生たちと話してみたい、という軽い気持ちからだった。実際に参加してみて、その両方を得られたのは言うまでもなく、それ以上に思いもよらぬものを得た。それは「人と交流するということの尊さ」。
文字におこすとやや気恥ずかしいが、これは心の奥底で強く感じていたことである。
今回、インドではコルカタ、チェンナイ、デリーと3都市を回ったのだが、どの都市においても、その点を強く感じることができた。
どの場面においても、はじめて出会う人ばかりで、まずは自己紹介からが通例。テーブルディスカッションや観光を通じてお互いを知っていくのだ。別れるころになるとその別れを惜しみ出会えたことに感謝する。帰国後、必ずメッセージを送りあおうと約束までとりつける。感情豊かなメンバーの中には泣きだす人もいた。こんなにも短期間にみず知らぬの他人と強い絆で結ばれる。こんなにもexcitingで心が満たされる経験は少ないであろう。
同時にこんなにも多くの幸せを大人になってから感じることができるだろうか。否とは言えないが難しいであろう。これはある種学生の特権であるかと思う。大人のように会社名など自分を定義づけ幅を狭める障壁が少ないのが大きいであろう。何にも縛られず相手を見れる、どのような人であるのか、相手の口から出た言葉・態度のみで感じとる。非常にシンプルである。そこには相手に対する偏見や壁をつくりだす余地はない。
数多い交流機会を頂いた中で、とりわけ自分の中で、非常に印象深く残っている一場面がある。コルカタでのホームスティをさせて頂いた際のことである。ホームスティをした先の学生とは、学生生活のことや将来に関してなど多岐に渡ることを話すことができたのに加えて、その家族とも交流をすることができた。みず知らぬの日本人学生である自分を本当の家族みたいに扱ってくれた。別れ際には、自分に「いつでもここに戻ってきても良い」という温かい言葉をかけてくれた。学生とその家族とまでも交流を行えることができたことはとても良い経験となった。
交流はその場限りで終わってしまっては悲しすぎる。本会議は終わりface to faceで言葉を交わすことは難しくなったが、SNSやメールなど文明の利器を利用し、この交流の芽を大事に育てていきたいと思う。時差を気にしながら・・・。
2009年9月17日木曜日
カナダ旅行(1)
アップできていなかった分はこれから投稿させていただきます><;
先日、カナダでの3週間の滞在を終え帰国しました。
私が過ごしたのは、カナダのバンクーバーやアメリカのシアトルから程近いビクトリアという人口約33万人の港街です。アジア系の人々も多くいるバンクーバーとは異なり、ビクトリアは人口の85%を白人が占め、また、観光客もアメリカやヨーロッパなどからが多いようです。古いイギリス調の街並みは大変美しく、ゆっくりとした落ち着いた雰囲気です。気候も年間を通じ穏やかで、カナダ国内で最も温暖な地といえます。(とはいえ、朝晩は9月ですら大変冷え込み空気も乾燥しています)
街の人々はとても親切でやさしく、例えばバスを降りる際も、お店で注文を受け取る際も、いつも「Thank you」と一声かけます。私はこれまで、お金を支払っているお客がサービスを受けるのは当然という意識をもっていましたが、そうした自分の驕った考え方や態度は改めねばと反省しました。「Thank you」の一言を口にするだけで、サービスを提供する側も、そしてお客の側も良い気分でいられるというのはもちろんのこと、多くの社会は人々がそれぞれ職業や役割を担い協力し合うことで成り立っているのだということを再認識しました。
非常にささいな日常の出来事も、異国の地に身を置くと不思議と普段とはちがう視点から物事を見つめてみることができたのは、大変おもしろかったです。
ここ ここ ここはどこ
ということで名古屋に小学校1年からの友人と来ております。名古屋のネカフェから更新させていただきます。関係ないですけどネカフェって8時間1500円弱でいけちゃうんで東京とかなら家借りるよりも安くつくんですよね(1ヶ月30日として45000円)。
さて、夏休みブログアップ最終回ということで、最後くらいは夏休み、特に韓国合宿以降の旅行で気づいたことを書きたいと思います。
この夏休み、京都は宇治、出町柳(左京区)周辺、伏見、鞍馬、貴船。滋賀県豊郷町。大阪は吹田の万博公園、ミナミ、あいりん地区、新世界、そして実家の八尾。鹿児島県は屋久島。そして愛知県は名古屋と、無駄にさまざまなところに行きました。
そして特に「ここはどこ?」って感じたのはやはり屋久島とあいりん地区でした。
屋久島はみなさんご存知、世界自然遺産に認定されている屋久杉で有名です。僕も周囲の人間の9割以上ががち登山装備(トレッキングシューズとかウェアとか)で身を固める中、普段とかわらないなめ腐った姿で往復約8時間かけて縄文杉を見に朝の4時に起床してトレッキングしてきました。
困難を乗り越えて見た縄文杉は、7200年前からの歴史を感じさせ、本当に筆舌に尽くしがたいほどの感情を抱きました。
ほかにも東京では見ることができない、星が降るかのような夜空。高さ88メートルから流れ落ちる大滝。青い海、青い空といったように、都会では感じることのできない自然を堪能してきました。
しかし、そこで思ったのはいくら自然がすばらしくとも、それは普段触れることができないから感動できるのであって、やはり都会育ちの僕にとってはコンクリートジャングルの方が落ち着くことができるということでした。
屋久島に滞在している間、一度野宿をする機会がありました。民宿でとまる予定ではあったのですが、バスの最終便を18時ちょっとすぎという早い時間でのがしてしまい、民宿まで帰ることができなくなってしまったのです。
野宿をするにもそこは温泉くらいしかなく、田舎の中の田舎であったので、とりあえずある程度開けた町まで歩こうと、歩を進めはじめました。
するとその道はアップダウンも厳しく、都会みたいに街灯などはほとんどなく、本当の真っ暗闇の中を4時間かけて歩き続けることになりました。
いつ終わるかわからない暗闇を歩き続けた後、人家の光が見えてくると今まで感じたことのない温かみを感じたのです。
先述したように、屋久島は星空が驚くほどきれいで、流れ星もしょっちゅう見えます。しかし、人工的な光の方が感動することができたのです。「そこに人がいる。」という安心感から。
もちろん都会だと終電などは24時前後まで走っているし、終電がなくなったとしてもネカフェやファミレスに入って時間をつぶすことは容易です。そんな都会のあたりまえが屋久島では一切通用しないのです。
野宿は通算3回目でしたが、毎回野宿をすると屋根があること、人工的な明かりがあること、人工的なあたたかさがあること(いくら南方にある屋久島とはいえ、夜は寒かったです)、普段の生活で当たり前にあることへの感謝を心に刻みます。そして、やっぱり自分は都会っ子なんだなぁと思い知らされます。
よく「将来は田舎に移住して悠々自適に暮らしたい。」ということを耳にします。でも僕には不可能です。もちろん自然は大好きで、それこそたまに自然に触れてその力を吸収して日々の活力にするのは積極的にしたいですし、実際しています。
しかし、それが毎日続くとなると僕には耐える自信がありません。なぜなら21年間大阪、東京という大都会で育ってきたからです。
僕個人の考えというか、実感なのですが、精神的裕福さは物質的裕福さがあって成り立つ一面があるのだと思います。実際、何もない屋久島で野宿をせざるを得ない状況におちいった時、かなり僕の心はすさんでいました。しかし、物でそのすさみは十分に埋め合わせが可能なものです。
そういった物質的裕福さに苦労しない大都会でないと、年単位で考えた際に、僕は生きていく自信がないことに気づきました。
次に大阪だけでなく、日本最大のドヤ街にして、日本で1,2を争う危険地帯、あいりん地区に行って感じたことについて書きます。
そもそもあいりんに行ったきっかけはただ単純に好奇心からというのが1つ。そして東京のドヤ街、山谷でホスピスを経営している方のお話を大学の授業で聞くことがあり、そこで実際に僕の地元、大阪のあいりんはどうなんだろうと感じたからです。
たかが2ちゃんねるの情報 なのですが、あいりん地区に関する悪いうわさはよく耳にしていました。それなら実際どうなのかと思い、せっかく帰省しているので実際に足を運んで見ることにしたのです。
そこで感じたのは「ここは同じ日本か?」という驚きでした。
まず自動販売機で売っている飲み物の値段がおかしい。缶ジュース50円、ペットボトルでも90円がざらにありました。貧しい路上生活者が多いからでしょうか。
そして路地裏に入っていけばいくほど異様さは増していきます。僕は海外は中国と韓国しか行ったことがないのですが、中国や韓国の路地裏の雰囲気と同じ感じがしました。わけのわからないものをわけのわからない値段で売っている人々。多くの路上生活者。泣き喚きながら警官に取り押さえられる老婆と子供。
同じ日本、ましてやすぐそばには大阪の街が広がっているのにもかかわらず路地を1本踏み入れたら異世界が広がっているのです。まさに海外のスラムのような感じでした。
あいりん地区で感じた緊張感は、板門店に行ったときの緊張感とはまた違うものの、それと同等かそれ以上の緊張感を味わいました。板門店では普段日本で接することのない軍人、そして危険地帯北朝鮮に近い場所ということで緊張感を味わいましたが、ガイドツアーで参加しているということもあり、差し迫った緊張感というわけでもなかった気がします。
一方あいりん地区で感じた緊張感は同じ日本なのに!という感情からくる異様な緊張と、個人で行っているから誰にも頼ることのできない緊張の2種類が僕の精神をむしばんできました。実際、あいりん地区を出て新今宮駅まで戻るとどっと疲れがおそってきました。
以上のように、日本でも僕たちが普段、日本と意識している実態とはかけ離れた場所がたくさんあります。来年の夏は海外にも行きたいのですが、もっと国内で見たことのない場所にもいってみたいという念が強まりました。
2009年9月16日水曜日
夏休みのすなおな感想
今日はSFCにて、われわれてんむす班は映像編集を行ってきました。
一週間もの韓国合宿の間、私達がまわしまくったビデオカメラ。消費したテープはおそらく10本を越えていると思います。
使えるところを抜き出すために、今日はみんなで手分けしてそのテープを見続けました。
あんなに密度の濃かった韓国合宿も、一ヶ月もたつとなんだか遠い昔のことのように感じられます。テープを見ながら、「あーこんなことあったなあ」なんて、本当に久しぶりに思い出したことも多かったです。
「前期の感想は?」「なんのために金ゼミにいるの?」
しかし、4期の話し合いを映した映像から流れる金先生の問いかけは、時間の流れを感じさせず再び心をうちます。映像の中の私は、今の私からすると微妙に違う答えを返しています。美奈も書いていましたが、そういう時少し困惑します。その時その時は本気なのに、答えはどんどん変わってしまうからです。
韓国合宿に行ったのが8月の初め。
8月9月の夏休みの経験を経て、私の中の韓国合宿の位置づけは、ブログに感想を書いた時より変わった気がします。
思えば私は今年、とてもいい夏休みを過ごせたと思っています。
8月の初めは金ゼミの合宿に行って、異国の地と自分の限界と、集団の力を知りました。
8月の中ごろは富山に行って、子どもに戻って祖父母に思いっきり甘えさせてもらいました。
8月の終わりは、高校時代の友達たちに再会して、懐かしさとともに、友だちが進んでいる新しい世界を教えてもらいました。
9月のはじめは友だちと岩手に旅行に行って、日本の風景の美しさと、自分で体験・経験する楽しさを知りました。
9月の中ごろまでは、ライブにむけてほぼ毎日サークルの練習をして、努力と積み重ねの大事さと、仲間の存在がなんてかけがえないものなのかを実感しました。
そして、これから9月の終わりまでにかけて、大好きなてんむす班で映像編集をします。
金ゼミ、サークル、旅行・・・したいことを全部させてもらった夏でした。
あれもこれも欲張って全て中途半端だという見方もあると思います。インプットばかりで、全くアウトプットができない夏でしたが、しかしどれも私にとって本当にかけがえのないことを教えてくれました。(優先付けと取捨選択が出来てなくて情けないのですが、2年の夏ということで許して頂きたいものです!)
9月に入ってからは、実はほぼブレストやプレゼンに関係ない生活を送っていました。
そして、なんとそれでもなかなか「楽しい」日々を過ごせてしまいました。
金ゼミがなくても、なんとか楽しくは暮らしていける。夏休みでわかったことです。
そのうえで今日、もう一度自分に質問してみました。
「なら、私にとって金ゼミとは?」
帰り道にてんむす班で寄った湘南台のサイゼリアで、その答えが少し見つかった気がしました。
わいわいおしゃべりの間に、ちらっと電子ペーパーの話や、宮村さんの今参加してる教育プロジェクトの話をしました。それは、私にとっての久しぶりの「ぷちブレスト」でした。
そのとき、自分のなかでじわっと何かが変わって、感覚が磨がれていくような妙な心地がしました。すごく久しぶりの感覚でした。
上手く説明できないのですが、私にとって金ゼミは「楽しい」とはなんか違うのです。
いろんなところで「楽しい」は感じられるけど、金ゼミにいる時以上に、自分自身が「本気」にセットされる瞬間はないのです。これは良いことなのかよくわからないけど・・・
成長したい。メディア業界の変遷を知りたい。いろんな理由があるけど、私が金ゼミにいる本質は、そこにあるのではないかと、今日考えていることです。
[書評]日本のポップパワー
また、日本のコンテンツにおける流通制度や表現の質は、まだまだ発展途上だと言える。しかし、それらが今後育っていく素地は整いつつあると思う。例えば、 コミックマーケットは表現の質や流通手段を見直すよい機会ではないだろうか。僕はコミケを現実世界版Youtubeだと思っている。コミケはその双方向性がゆえにインターネットの構造に似ている。 そのため、消費者の意見がクリエイターに届きやすい。これは、コンテンツクリエイターの育成という意味でも優れている。また、現在よく見られる多くのクリエイターを少数の中間業者(出版社など)が独占するという構造は相対的にクリエイターの立場を弱めることにつながり、新たな作品を生み出すインセンティブが減ってしまう。日本のソフトパワーを最大化するには、前述したような表現規制の強化よりもコンテンツ市場の構造改善の方が必要なのだろう。コミケやYoutubeのような消費者とクリエイターが直接的に取引可能なプラットフォームが増えれば、コンテンツ市場の改善やクリエイターへのインセンティブ強化につながるのではないだろうか。
2009年9月13日日曜日
20歳になって
私事で、ブログのアップが遅れてしまい、申し訳ありません。
最近関西は肌寒く、寝るときも長袖のジャージに靴下を履かなければ寒くて寝付けません。
(ちなみに、シルバーウィークに北海道に行くのですが、チョイスミスだったかな;^^)
僕が大阪に滞在している間に、季節もすっかり変わってしまいました。
振り返ればいつも、時間が経つのは早いですね。
突然ですが、私、明日9月14日をもって成人になります!
(確か金光さんも同じ誕生日でしたよね?おめでとう!)
金ゼミのほとんどの方はもう成人しているので、改めていうのも少し恥ずかしいのですが、
20代に突入するにあたって、いろいろ思うことがあります。なにしろ、名実ともに子供から大人になる瞬間ですから。今までは「なんで未成年だからってこんなにも行動が制限されるんだよ」と思う場面も多く、民法上の成年を18歳に引き下げるのにも大賛成だったのですが、今考えてみると、自分は守られていたのだなって思います。
19年間の人生を振り返って、僕はいろんな人に迷惑を掛けて、傷つけてきた気がします。特に両親。昔から何をするにしても好き勝手にやってきましたが、どんなときでも僕の意思を尊重して、何もかも許してくれた両親は僕にとっては何よりも偉大です。
それに対して、自分は人に貢献できたことがあっただろうか。アインシュタインは「人の価値は、どれだけ人のために生きたかによって決まる」と言ったそうですが、僕はどうだろう?この19年間は自分のためだけに生きてきた。これは当たり前のようで実は当たり前ではない。形の違いはあれど、人はいつでも人のために生きようとするものであるのではないかと思います。自分のためだけに生きるならば、進んで難しい職業に就いたり、ましてや家族を持ったりするという行為は、不合理だからです。
20歳になったからって、魔法にかかったように変わるわけではありませんが、これからは「まだ子供だから」といって言い訳が出来る年齢ではありません。帰京したらその責任を噛み締めて、自分の人生を前に進めたいと思います。最後に、誕生日を実家で迎えられて良かったと心から思います。
今必要なもの、ほしいもの
メディアコムの試験を受ける前に、森達也さんの本を何冊か読みました。彼はオウム真理教の報道のしかたをめぐって、勤めていたテレビ局をクビになり、いまはフリーで映画や執筆、番組制作をしています。『放送禁止歌』は私にはとても衝撃的でした。
それまで漠然と、テレビやネットに載っていることを鵜呑みにしちゃいけない、と思っていたことに対して具体的な理由づけなどが書かれていて、新たな視点に気づかされたきっかけでした。
この本は児童書なので、説明もわかりやすく、口語体で読みやすい本です。でも内容は決して浅くなく、いろいろな提言、アドバイスにすべて事実の裏付けがあります。時にはデータ、時には歴史的背景、そして筆者の経験など。ここがポイントだと思います。
”言うことは簡単だけど、裏付けがないと説得力がないんだな”と思いました。
データがあるからと言って信用できるわけではない、というのも本書に書かれていました。でもデータや関連した知識を示せることは、信憑性が増します。
自分で見て聞いて経験したことももちろん説得力があります。何より本人が一番熱く語れるからです。でも独りよがりの経験では視点が偏ってしまうかもしれません。
裏付けに必要な知識は机上の勉強で身につけることができます。同じ本を読んだら、得られる知識はきっと誰が読んでもそれほど差はありません。
経験は実際に自分の体を移動させて、五感をフル稼働させて吸収するものです。同じ経験をしても感じ方、受ける刺激はさまざまです。
じゃあ、今の自分にはどちらが必要なの?!
――答えはわかりません。理想は、もちろん両方身につけることです。
最近の私は後者がより大切だと思っていました。いろーんなものに興味がある時に、実際に見たいし聞きたいし触りたいっ!!と思っていました。でも、単なる興味だけじゃなく、知識があって初めて楽しめるものもある、とこの夏休みで感じました。旅行での建物ひとつとっても、歴史の背景を知って実物を目にすると全然違います。これは単なる準備不足かもしれません。でも知識の引出しをいっぱい持っておくことは、説得力につながります。常識や教養と言われるレベルのこともです。昔習ったのに、短期記憶ですっかり抜けてしまっています。昔の自分に会えるなら、しっかり覚えておくんだよ!と言ってあげたいです。
でも同時に、いま、自分が自信を持って熱く語れるナニカが欲しい!と思っているのも確かです。他の人にはない何か。ちょっと面白い自分だけの世界。もしかしたら自分が気付かないだけであるのかもしれないけれど、見つけられたら!と思います。
ちょっと人とは違う深いものが欲しいと思いながら、初めての場所に行ったり見たり触れたり、新しく出会った人の話を聞いたり、の挑戦をしながら、
人並みな知識も欲しいと思って、自分で不足に気付いた部分の知識を、本を読んだり調べて補って、
という夏休みを過ごしています。
このブログを書いて、自分の文章に頭を悩ませている間に成年になってしまいました。
昔はもっとかっこいい人になっているイメージでした…
無理をして背伸びしすぎずにいきたいです。
【夏休み書評】海馬 脳は疲れない【栫井】
----------------------------------------------------------------
海馬 脳は疲れない/池谷裕二・糸井重里
生きることは、コミュニケーションをデザインすることである。噛み砕けば、人生は自分(たち)をいかに相手(あるいは世界)にわかってもらうか、という試行錯誤の連続であるということだ。
自分のことを自分でさえ、全部はわかっていないのに、まして自分の心が見えやしない相手に自分を理解してもらおうなんて困難至極だ。でも、自分のことを相手にわかってもらうことがコミュニケーションだ。そしてコミュニケーションという刺激のない世界では、人間は生きることが出来ない。その証拠にコミュニケーションレスな環境では、幻覚や幻聴で脳がむりやりコミュニケーションを作ろうとしてしまう。
この困難な条件を乗り越えて、きちんとコミュニケーションがとれている状態を、脳がきちんとはたらいている状態だとすると、つまり頭がいい人というのは、ある意味においては何かと何かを上手く結びつけることが出来る人なのだ。脳がきちんとはたらいていて、中にある情報を綺麗に引き出すことが出来るから、自分の考えていることも上手に噛み砕いて表現出来る。
頭がいいというのは、コミュニケーションを求められることでもある。この「られる」は可能の意味だ。送り手ではなくコミュニケーションの受け手のときも、積極的に刺激を受けたがっていれば、自然とコミュニケーションは磨かれていく。たとえば話し手に対して聞き手が質問をすれば、話し手は思ってもみなかった角度からコミュニケーションが図れるかもしれない。送り手と一緒に、そこに在るコミュニケーションの一歩先に行こうと出来る受け手こそ、頭がいい人といえる。
自分のことを相手に伝えたい。世の中のことを知りたい。知的好奇心は脳の活性化の源である。活発な脳を手に入れるため、欲を満たすため、上手なコミュニケーションを図れるように意識しなければならない。私の前に待っているコミュニケーションの発端は、活用しきらないともったいないですよね!
2009年9月12日土曜日
【夏休みシューカツ】逆求人フェスティバルに参加してきました!【大賀】
こんばんは!おーがです。気がつけばもうすぐ夏休みも終わりなんですね。早いような長かったような…そしてもう9月。秋の風が吹いております。ということは、私たち大学3年生にとってはシューカツの波が襲ってくるというわけでして…もはやもう逃げてばかりはいられない。ということで9月11日は、今まで怠けてしまっていた自分自身に喝を入れよう!というわけで、シューカツイベントに参加してきました。(それもただのシューカツイベントではありません。「逆求人」イベントです。
「逆求人」とはその名の通り、「求人」の「逆」。すなわち、企業側がブースを持って、学生がその話を聞きに行くのではなく、学生がブースを持って、企業側がその話を聞きに行くという変わった形態のイベントです。企業に合わせた形の自分をPRするのではなく、素の自分をPRすることができ、またその自分の姿勢と企業のビジョンがどの程度マッチングしているのかということを、企業の方々からのフィードバックを受けることで認識することができます!すごく魅力的なイベントだと思いませんか?私自身、「企業に合わせた自分を作り上げてエントリーシートを書くこと」にすごく憤りを感じていたので、非常に刺激を受けました。というわけでガチで準備して自分をPRすることにしました。

…ええと、はい、何というか、金ゼミの方々にとっては、「ああやっぱり…」という感じかもしれませんね…。はい、そうです。武士道です。私自身、自分の今までやってきたことを整理してみると、「武士道精神に即したものがほとんど(っていうか全部)ではないか!」と思うことが多くて。ってことは私は「武士道2.0(現代の武士道)」を体現した存在なんじゃないの?…じゃあそれをアピールしちゃえばいいじゃないか!という結論に至り、プレゼンテーションをしました。
.png)
3日間くらいかけてガチで準備をした甲斐あって、多くの企業の方々から好反応をいただけたのが純粋に嬉しかったです。やはり何事においても、「いい加減じゃないという姿勢」「一生懸命やったんだという姿勢」を全面に押し出すことは重要だと私は思います。初対面の人に自分の真剣さを知ってもらう一番簡単な手段だと思うんです。なので私は絶対に妥協しません。やると決めたからには全力でやります。今回の逆求人イベントでは、そんな私の精神が良い結果に繋がったのではないかなあと思っています。
今回のイベントでは、比較的新しい会社(ベンチャー系)が多く参加していました。私は新聞業界や出版業界といった「昔ながらの」マスコミ関係の会社にあこがれを抱いていたので、ベンチャー企業についてはほとんど知識も何もありませんでした。何となく、「仕事が大変そう」「女性が少なさそう」「安定していない…」という負のイメージを持っていました。ですが実際に企業の方々とお話をすると、そういったイメージはステレオタイプに過ぎなかったことを思い知らされました。新しい会社だからこそ、社員の方全員が非常に高いモチベーションをもって仕事をしている。若手であっても新しい事業にチャレンジできる。ワークライフバランスを実現するために努力を惜しんでいない…。知れば知るほど魅力的でした。就職活動において、全く自分の知らない分野についても理解を深めていき視野を広げることも重要だと再認識しました。
また、やはり自己PRに対するフィードバックをいただけたのが純粋に嬉しかったです。「武士道」の話に関して「面白かった」と言ってくださる方々が大半を占めていたことには驚きました。「武士道」というと、何となく、「過去の概念」というイメージがあるのかなあと思っていたので…私は少しマイナス思考だったのかもしれません。今後は自信を持って、「私は武士道の精神を体現しています!歴史が好きです!」を超えを大にして言いたいと思います!
就職活動って、面倒臭いし、やりたくない…などと思っていましたが、実際にイベントに参加してみると本当に面白い!!色々な企業の方と、全く色眼鏡なしに語れるって、学生だけの特権なんですよね。今後本格化していきますが、常に前向きに楽しんでいきたいなあと思います♪頑張ります!
※株式会社ジースタイラス主催「逆求人フェスティバル」http://www.studenthunting.com/top/
2009年9月11日金曜日
書評 The Tipping Point 急に売れ始めるにはワケがある マルコム・グラッドウェル著
この本では、商品の販促であったり、何かしらのムーブメントを創り出す事を考えた時に、そのような感染的伝播を意図的に仕掛けることは可能なのか否か。その事にたいしてTipping Pointという切り口からの様々な視点が提供される。この本でおそらく最も重要なのは、
・少数者の法則
・粘りの法則
・背景の力
という「ティッピングポイントの3原則」という視点だと思う。社会にTipping Pointを仕掛けるためには、「社交」性・説得力・情報収集力などの卓越した社会的能力をもった「少数」の人々によって感染を始動させ、そこに人々の意識に粘り着くようなメッセージを載せて情報提示する。また、当該の社会環境や時代の状況のようなところにも気づきにくいヒントが隠れている、といったような事がポイントとなるが、すごく感じたのは、Tipping Pointという視点は、本書で述べられていたようなプロダクトの販促事例だけでなく、例えば社会にインパクトを与える「イノベーション」を具体的にどのように引き起こすか、という事を考える際にも有効な考え方だということだ。なぜなら、新しい価値が人々に(感染的に)広がらなくては、イノべーションとは言えないと思うからである。
そのような意味で、社会にイノベーションを起こすために、どのような領域に自分の力を集中すればうまくいくのか、という観点から読んでみてもまた新しい気づきを与えてくれる本だと思います。
2009年9月10日木曜日
宗教とは。
---------------------
「宗教とはなんだろうか。」と、最近よく思う。信仰は私たちに何をもたらすのだろうか。
イタリアのサンピエトロ大聖堂で見た、石膏に模られた神々しいキリストや、イスタンブルの街角のモスクで見た、唯一神アッラーに平伏すムスリムたち。私が今夏ヨーロッパで見た宗教は、日本人である自分にとって何か遠い存在であるように思えた。しかしその一方で、8月30日に行われた今回の総選挙では、歴史的な政権交代の背景に宗教法人の姿が鮮明に見て取れた。今週発売の『週刊ダイヤモンド』にもあるように、有力候補者の裏には、政治支援を行う新興宗教の後押しが依然として強く存在している。また、このような政治活動は、圧倒的な信者数があるからこそ成り立つものだ。では何故これほどまでに人々は信仰を持とうとするのだろうか。
私は、それは人々が自分の存在を証明するためだと思う。
わたし達は皆長い人生の中で、楽しいことがあったり喜んだりする一方で、もちろん苦しんだり怒ったり、ときに人生に絶望したりする。それらの負の経験を、「自分の人生に、神によって課された宿命だ」と考えることによって正当化できるのではないだろうか。そして、宇宙のなかで塵の存在に等しい自分という存在や、その人生を宗教は「信仰によって救われる」といって肯定してくれるのではないか。この世界に自分が存在する意義というのは、悲しいことだが古く古代ローマの時代から人々の悩める源であったと思う。
しかしここでひとつ問題が生じる。それは、自分が“存在する”ことを証明してくれる神が“存在する”ことを信じているのもまた自分であるという矛盾だ。有形無形に関わらず言葉という便利な道具を使って様々な物事が“存在する”ことを認めてきた私たち人間が“存在する”としている神という存在は、もしかしたら、神を“信じる”のではなく“認める”ことから生まれるのではないだろうか。だとすると、神もまた私たち人間によって存在が証明されている、相互依存の関係であり、私たちが考えるよりもっと脆いものなのかもしれない。
日本人は時に、「宗教をもたない稀な民族である」だとか、「宗教を持たない民族だからこそ、道徳心が欠如している」と批判される。
しかし私たち日本人も、窮地に立たされた時にはひそかにこう叫んでいるときもあるのだ。
「神様助けて」と。
2009年9月9日水曜日
コンテンツ学会サマスペ第2回
武山政直氏「代替現実ゲームと消費者エンゲージメント」
--
参考文献:http://en.wikipedia.org/wiki/Alternate_Reality_Game
http://fumi.vox.com/library/posts/2009/08/
http://kiwofusi.sakura.ne.jp/hashtag/output.cgi?name=cgakkai&start_id=3379775097&limit=15#sample
--
映画「A.I」
例)エンドロールの「Jeanine Salla - sentient machine therapist (感情を持った機械のセラピスト)」
→架空の人物だけど、検索するとホームページが存在。
→見つけた人だけ、更なる謎解きに参加。
- ARGにおいて、現実世界からフィクションへの入り口を「ラビットホール」と呼ぶ
映画「バットマン・ビギンズ」から「ダークナイト」の間にミッションの存在。
例)ジョーカーのメイクをして町中を歩く
→バットマンのコアなファンはノってくれる(メディアを通じたviral性)
--
ARGの要素
- story
- puzzle
- mission
- community
--
the art of the heist (2005) / Audi US, A3
例)ディーラーから盗まれた車を探す
(CM・blog・video・forumなどを利用)
特徴的な機能を売り出す(SDカードリーダーなど)
I am trying to believe (2007) / Nine Inch Nails
例)ライブTシャツに暗号
ライブ会場のトイレに未発表音源が落ちている
カンヌの広告賞取った
Trent Reznor “It is the art form.”
--
これからは出版?
1. Cathy’s book (2006)
例)本+失踪した証拠の付録
P&Gのproduct placement
2. The 39 Clues (2008)
例)シリーズ本。(日本版はメディアファクトリーから)
スピルバーグとドリームワークスが映画化
3. The Amanda Project (2009)
例)失踪モノ。黒澤明「羅生門」のように様々な人物の供述をもとにする。
Fourth Story Media社…ARGに特化した出版社
--
考古学的story tellingと集合知
--
物語世界のRealityと没入感
→cross-referenceによって実感を得る(代替現実感)
--
産学連携プロジェクト(ADK・メディアファクトリー・DNP・慶應大)
ユビキタスエンターテイメント事業創造
例)RYOMA : The Secret Story (2009)
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0904/09/news079.html
http://keglab.jp/ryoma_arg_phase2.php
http://www19.atwiki.jp/ryomathesecretstory/
コアプレイヤーの行動パターン
・まとめサイト作り
・トピック作り
・ライブ感がある時にアクセス集中
不満専用トピックを設けても良かったかも
--
Social Marketing
例)GHOSTS OF A CHANCE (2008) / スミソニアン博物館
キュレーター役で謎解き
例)World Without Oil (2007)
石油が枯渇した未来の予測をする
例)Coral Cross (2009?) / ハワイ厚生省
新型インフルエンザを予測するもの
--
--
課題
メディア横断的なクリエイターの必要性
新たなビジネスモデル・プロダクションチーム・権利処理が必要に
→チームは制作委員会方式?(予期せぬ場合の意思決定権は誰が?)
--
質疑応答
- フィクションという信号を出さない方が良い?
→最近はフィクションかどうかは関係なくなってきている
アメリカは日本に比べ、法律スレスレのことに敷居が低い(ARGの認知度が高い)
- 出版社の方がやりやすい?
→ストーリーを既に持ってるが、多くは恊働的に
- ゲーム会社がARGを制作する?(可能性は低い)
→現在は代理店が中心。(ゲームメーカーに外注の場合もあり)ただし、ゲームメーカーから独立して作る人も。
- 実際にARGをやってみた苦労は?
→スタート直後が大変(それまでにイベントのタイムラインは組んでいるので)
意思決定のスピードを上げなければならない、休めないこと
- 公開期限は?
→従来のものは大体期限付き(通常2~3か月、運営側もこのくらいの方が楽)
他にはフェーズで区切るなどの工夫
持続、リピート可能なARGは今後の課題
(オープンエンドなものはチャリティーなど)
- 参加者の分布は?
→ネット好きの人(技術専ばかりではない)
- シリアスARGに参加させる社会的インセンティブを高めるには?
→コンテストなどを開く?(ウェザーニュースのゲリラ雷雨のように)
- ARGのイベント発生の適切なタイミングは?
1日にひとつくらいはタスクを置く
プレイヤーを迷わせない(小さなタスクと大目標の提示)
間延びさせない、運営側が明示的に出ないでヒントを出す
- 荒らしは?
基本的にプレイヤーによる自浄作用が働く
むしろ献身的なプレイヤーに不満感を与えないことが大事
2009年9月8日火曜日
旅行計画のすすめ(ヨーロッパ編)
というわけで、今回はたぶん金ゼミインド代表HISHIKIさんのインドラブに負けず劣らず外国ラブの俺が、どのようにして旅行の計画をたてて旅行に行くのか、ということを書きます。
とりあえず今回はヨーロッパ編。
そもそもヨーロッパ関係なく、旅行には必ず行きたい場所があってこそ始まるものです。
さて、それでは今回は先日ゼミ代が言っていたスペインを第一目標に考えてみましょう。
まず、調べるべきは旅行代理店のパンフレットです。なぜなら、その土地の見所がツアーとして売られているからです。どこに行けば何を見られるのか。これを手っ取り早くしる最も簡単な方法です。
スペインは、バルセロナ、グラナダ、マドリッドが観光としては向いているようです。
そこで、これは学生なので経済面にこだわっているからなのですが、どの成田からどの空港に行くのが最も安いかを調べます。
実はスペインに直接行くよりも、より便が多いパリからスペインに入った方が安いかもしれません。
また、パリ往復にしたら、スペインよりも多くの都市を訪問できるかもしれませんし、ヨーロッパは格安航空会社が発達しているので、パリを経由地にして飛んだほうが安いことも考えられます。このように、空港は経済面と日程を考慮した上で、選びます。ちなみに選ぶのは複数の格安航空券サイトを比較して、最も値段と都合のつくところにするのがオススメです。ただし、外国から外国に飛ぶ場合は、直接その飛行機会社のサイトで買う方がいいのでご注意を。上級者になると、現地の代理店にチケットを頼む人もいるようですが。
次に旅行中の都市間の移動。国内の移動ならば鉄道が。国外ならば鉄道と飛行機、そして船があります。
そこで登場するのがトマスクックの時刻表。
トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表
これがなければヨーロッパを旅することはできないといっても過言ではありません。ヨーロッパは鉄道網が発達しているので、この時刻表を使い鉄道で移動することがタイムロスを防ぐばかりか、車窓からの景観も楽しめるのでオススメ。もちろん、鉄道で移動するときはユーレイルパスを使って効率よく旅しましょう。夜行列車も多いので、宿代も浮かせられて一石二鳥なんてことも。
訪問する都市の選び方は、日程と経済面が先立つので、そちらにあわせて決めることが多いと思います。そのなかで希望にできる限り近づけるように組むことが苦心のしどころであり、逆に旅行準備の醍醐味ともいえます。この段階で1週間くらい悩むなんてことは当たり前。練りに練れば後悔せずにきっと良い旅行になります。
最後に宿。学生としてはやはりユースホステルに泊まりたいと思います。そこで役立つのがこのサイト
ホステルワールド
もちろん他にもホステル紹介のサイトはありますが、ホステル情報も一通りそろっているのでこのサイトがオススメ。宿選びは重要なので、これも時間をかけて選んでください。
最も重要だけど、最初の旅ではあまり考えないのが場所。駅から近いか、観光名所に近いか、または敢えて中間地点を選ぶか。慎重に選びましょう。
ざっと書きましたが、これらが何とかなれば後はどうとでもなる(笑)
現地ツアーなどは直前まで受け付けていることが多いので、中身の組み立てはゆっくりすればいいでしょう。
まぁ、こんな感じでヨーロッパ編を終わります。
次回あたりアジア編でもやってみます。
2009年9月7日月曜日
CHANGE…?
そこでの出来事をブログに書こうと思って期限を伸ばしていただきましたが、いざ書こうと思ってもなんだかぴんと来なかったので内容を変えることにしました。
最近、こうやってブログで自分の文章を書くことが少し億劫です。
億劫というか、少し怖いです。
最近の自分は考えることがころころ変わるからです。
この前まで一生懸命考えていたことを今日の自分は平気で否定します。
否定はまだ良くて、最近まで自分の考え・意見だと思って信じていたことに対して、やっぱり違うなって考えが変わると、いままでそう思っていた自分が恥ずかしいような気持ちになります。
この文章を書きながら、客観的に考えてみると、
「自分の意見が変わっていくのなんて自然なことだよー」と思うのですが、
最近は変化が起こる周期がはやくて、なぜそう変わったのか、自分でもよく整理できないままで戸惑っています。
そんな中で、ブログにアップすることはその時その時の自分の意見を公開して刻んでいる感じがします。
前回書いた自分と今回書く自分が別人みたいな気がして、”一貫性がないように見えるかな”とか、逆に、”今書いている自分は前回書いた時とは考え変わってるから前のイメージは捨ててね!”と言いたくなったりしてしまいます。
言葉にしたら、複雑で考えすぎているように見えるかもしれませんが、自分の中ではすごくシンプルな変化と戸惑いです。
考えている内容と、それを考える「自分」っていう器と、同時並行でくるくる変化が起きている夏休みです。
※題名の「CHANGE」は、オバマ大統領の演説で一躍有名になったフレーズです。偶然、彼の出身地は今回、私が家族旅行で行ったハワイでした。彼の出身校の横もバスで通過しました。
20回目の誕生日まであと一週間を迎えた私にとって、いまはCHANGEの時期なのかもしれません。
2009年9月6日日曜日
What's Leadership !?
先日、とある消費財メーカーのsummer business school的なあれに参加してきました。
とある消費財メーカーは業界世界一で、そこにいる社員さんのお話を伺っても尊敬できると思わせる人ばかりでした。そしてその社員さんを見ていて驚いたのは皆が若いということです。入社3年目にして大きなプロジェクトのリーダーを務めている社員さんが普通にいて驚きました。若くしてプロジェクトのリーダーを務めるということはキャリア上、すごく大きな糧になることだと思います。
さて、そのお話の中で「リーダーシップ」に関するものが、僕もゼミ代を務めているからか印象に残りました。みなさんはリーダーシップと聞かれて何を思い浮かべるでしょうか。みんなをひっぱって行く力だとか、まとめる力だとか、また人物像ならばWBCの優勝が記憶に新しいイチローをあげる人もいるかもしれません。
とある消費財メーカーの方がおっしゃる「リーダーシップ」とは「Strong Team Builder」であり、「Everyone Should Be Leader.」とのことでした。つまり、組織をより強い、よいものに導くことができ、それはある特定の人物がリーダーシップをとるのではなく、チームの全員がリーダーシップをとることができる、つまりリーダーになることができるということでした。
僕もゼミの代表ではありますが、就活でグループディスカッションやグループワークを行う際ではただ一人の人でしかありません。そんな時、自分がどんな立ち位置でチームに最高の影響を与えることができるのか考える必要があります。
ぐいぐい引っ張っていく人がいれば、その方向性が間違っているときや、議論が煮詰まったときに目的を再定義し、方向性を新たに見出す係りになることも考えられます。これがひとつのリーダーシップなのです。「自分のやるべきことはチームが一番の成果をあげること。」他に先導役がなければもちろん引っ張り型のリーダーになるのもありでしょう。
つまりはいかに自分が主体的意識を持ちながら、チームを客観的に見て、自分ができる、自分にしかできない役割を担うことができるか。それを常にこなすことができる能力をリーダーシップと呼ぶのです。
もう少しで秋学期のゼミが始まりますが、みなさんも1つこのことを念頭においてみればさらにゼミがよりよいものになるのではないかと思います。
2009年9月3日木曜日
【夏休み書評】戦略PR 空気をつくる。世論で売る。【宮村】
インターネットの出現によって、私達が普段接する情報量が12年前と比べ637倍にも膨れ上がった現在の情報洪水の中で、「明日の広告(佐藤尚之著)」でも言及があったように消費者は「疑い深く・賢く」なり、消費者にモノを売る事が容易ではなくなってきた。つまり、情報量の増大という「量のハードル」とコンテンツに対する厳しい目を持った消費者という「質のハードル」という2つの側面から商品訴求のハードルが著しく高くなってきている。そのような中で消費者に商品を売るために、そもそもの「商品を買う理由」自体を説得的に与えなければ消費者は動かない。消費者が商品を買いたくなるような「空気」、つまり本書が言う「カジュアル世論」を社会につくりだすことができれば、それは商品に対する信頼感や安心感を生み出し、結果として商品購入へと繋げる事ができる。これが戦略PRという発想の骨子だろう。
そのような「カジュアル世論」を生み出すには、消費者たちが潜在的にもっているインサイトを掘り起こすようなテーマの設定と、4マスやインターネットがもたらす公共性、インフルエンサーと呼ばれる人たちがもたらす信頼性、口コミがもたらす偶然性という3つのチャネルの設計が戦略の土台となると筆者は言う。「明日の広告」では、「広告はラブレターのようなものだ」という表現があったが、戦略PRは「ラブレター以前」の話、つまり広告に対するAttentionを引き起こす前の段階で、消費者の間のInterestを高めるような「空気」を生み出す事が焦点になのだろう。広告の場合と同様にPRにおいても徹底的に消費者本位という視点にたつ事が求められる時代である事を感じさせる本でした。「明日の広告」と合わせて読むといい感じだと思います。
あと、本書中に少し言及があった、Word Of Mouth Marketing Associationという所が出しているInfluencer Handbookを少しだけ見てみたのですが、インフルエンサーと呼ばれる人たちのタイプわけや、どのようにしたらインフルエンサーを効果的に「利用」できるのかといった事がまとめられていて大変面白かったです。