2009年9月13日日曜日

【夏休み書評】海馬 脳は疲れない【栫井】

昨日体調を崩してしまい、一日延期をお願いしました・・・12日分のブログアップです。遅れてすみません。
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海馬 脳は疲れない/池谷裕二・糸井重里

生きることは、コミュニケーションをデザインすることである。噛み砕けば、人生は自分(たち)をいかに相手(あるいは世界)にわかってもらうか、という試行錯誤の連続であるということだ。
自分のことを自分でさえ、全部はわかっていないのに、まして自分の心が見えやしない相手に自分を理解してもらおうなんて困難至極だ。でも、自分のことを相手にわかってもらうことがコミュニケーションだ。そしてコミュニケーションという刺激のない世界では、人間は生きることが出来ない。その証拠にコミュニケーションレスな環境では、幻覚や幻聴で脳がむりやりコミュニケーションを作ろうとしてしまう。
この困難な条件を乗り越えて、きちんとコミュニケーションがとれている状態を、脳がきちんとはたらいている状態だとすると、つまり頭がいい人というのは、ある意味においては何かと何かを上手く結びつけることが出来る人なのだ。脳がきちんとはたらいていて、中にある情報を綺麗に引き出すことが出来るから、自分の考えていることも上手に噛み砕いて表現出来る。
頭がいいというのは、コミュニケーションを求められることでもある。この「られる」は可能の意味だ。送り手ではなくコミュニケーションの受け手のときも、積極的に刺激を受けたがっていれば、自然とコミュニケーションは磨かれていく。たとえば話し手に対して聞き手が質問をすれば、話し手は思ってもみなかった角度からコミュニケーションが図れるかもしれない。送り手と一緒に、そこに在るコミュニケーションの一歩先に行こうと出来る受け手こそ、頭がいい人といえる。

自分のことを相手に伝えたい。世の中のことを知りたい。知的好奇心は脳の活性化の源である。活発な脳を手に入れるため、欲を満たすため、上手なコミュニケーションを図れるように意識しなければならない。私の前に待っているコミュニケーションの発端は、活用しきらないともったいないですよね!

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