2009年9月23日水曜日

インドでちょっと感じたこと2

今年の本会議はインドで開催された。2年夏に旅行でインドへ行ったことがあったため今回2度目のインドであった。私は、本会議への参加を決めたのは、インドをもっと知りたい、同年代の学生たちと話してみたい、という軽い気持ちからだった。実際に参加してみて、その両方を得られたのは言うまでもなく、それ以上に思いもよらぬものを得た。それは「人と交流するということの尊さ」。

文字におこすとやや気恥ずかしいが、これは心の奥底で強く感じていたことである。

今回、インドではコルカタ、チェンナイ、デリーと3都市を回ったのだが、どの都市においても、その点を強く感じることができた。

どの場面においても、はじめて出会う人ばかりで、まずは自己紹介からが通例。テーブルディスカッションや観光を通じてお互いを知っていくのだ。別れるころになるとその別れを惜しみ出会えたことに感謝する。帰国後、必ずメッセージを送りあおうと約束までとりつける。感情豊かなメンバーの中には泣きだす人もいた。こんなにも短期間にみず知らぬの他人と強い絆で結ばれる。こんなにもexcitingで心が満たされる経験は少ないであろう。

同時にこんなにも多くの幸せを大人になってから感じることができるだろうか。否とは言えないが難しいであろう。これはある種学生の特権であるかと思う。大人のように会社名など自分を定義づけ幅を狭める障壁が少ないのが大きいであろう。何にも縛られず相手を見れる、どのような人であるのか、相手の口から出た言葉・態度のみで感じとる。非常にシンプルである。そこには相手に対する偏見や壁をつくりだす余地はない。

数多い交流機会を頂いた中で、とりわけ自分の中で、非常に印象深く残っている一場面がある。コルカタでのホームスティをさせて頂いた際のことである。ホームスティをした先の学生とは、学生生活のことや将来に関してなど多岐に渡ることを話すことができたのに加えて、その家族とも交流をすることができた。みず知らぬの日本人学生である自分を本当の家族みたいに扱ってくれた。別れ際には、自分に「いつでもここに戻ってきても良い」という温かい言葉をかけてくれた。学生とその家族とまでも交流を行えることができたことはとても良い経験となった。

 交流はその場限りで終わってしまっては悲しすぎる。本会議は終わりface to faceで言葉を交わすことは難しくなったが、SNSやメールなど文明の利器を利用し、この交流の芽を大事に育てていきたいと思う。時差を気にしながら・・・。

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