2009年9月17日木曜日

ここ ここ ここはどこ

 名古屋 私 近鉄線 乗り継いで 気づいた 明日は ブログアップ日

 ということで名古屋に小学校1年からの友人と来ております。名古屋のネカフェから更新させていただきます。関係ないですけどネカフェって8時間1500円弱でいけちゃうんで東京とかなら家借りるよりも安くつくんですよね(1ヶ月30日として45000円)。

 さて、夏休みブログアップ最終回ということで、最後くらいは夏休み、特に韓国合宿以降の旅行で気づいたことを書きたいと思います。

 この夏休み、京都は宇治、出町柳(左京区)周辺、伏見、鞍馬、貴船。滋賀県豊郷町。大阪は吹田の万博公園、ミナミ、あいりん地区、新世界、そして実家の八尾。鹿児島県は屋久島。そして愛知県は名古屋と、無駄にさまざまなところに行きました。
 そして特に「ここはどこ?」って感じたのはやはり屋久島とあいりん地区でした。

 屋久島はみなさんご存知、世界自然遺産に認定されている屋久杉で有名です。僕も周囲の人間の9割以上ががち登山装備(トレッキングシューズとかウェアとか)で身を固める中、普段とかわらないなめ腐った姿で往復約8時間かけて縄文杉を見に朝の4時に起床してトレッキングしてきました。
 困難を乗り越えて見た縄文杉は、7200年前からの歴史を感じさせ、本当に筆舌に尽くしがたいほどの感情を抱きました。
 ほかにも東京では見ることができない、星が降るかのような夜空。高さ88メートルから流れ落ちる大滝。青い海、青い空といったように、都会では感じることのできない自然を堪能してきました。
 しかし、そこで思ったのはいくら自然がすばらしくとも、それは普段触れることができないから感動できるのであって、やはり都会育ちの僕にとってはコンクリートジャングルの方が落ち着くことができるということでした。
 屋久島に滞在している間、一度野宿をする機会がありました。民宿でとまる予定ではあったのですが、バスの最終便を18時ちょっとすぎという早い時間でのがしてしまい、民宿まで帰ることができなくなってしまったのです。
 野宿をするにもそこは温泉くらいしかなく、田舎の中の田舎であったので、とりあえずある程度開けた町まで歩こうと、歩を進めはじめました。
 するとその道はアップダウンも厳しく、都会みたいに街灯などはほとんどなく、本当の真っ暗闇の中を4時間かけて歩き続けることになりました。
 いつ終わるかわからない暗闇を歩き続けた後、人家の光が見えてくると今まで感じたことのない温かみを感じたのです。
 先述したように、屋久島は星空が驚くほどきれいで、流れ星もしょっちゅう見えます。しかし、人工的な光の方が感動することができたのです。「そこに人がいる。」という安心感から。
 もちろん都会だと終電などは24時前後まで走っているし、終電がなくなったとしてもネカフェやファミレスに入って時間をつぶすことは容易です。そんな都会のあたりまえが屋久島では一切通用しないのです。
 野宿は通算3回目でしたが、毎回野宿をすると屋根があること、人工的な明かりがあること、人工的なあたたかさがあること(いくら南方にある屋久島とはいえ、夜は寒かったです)、普段の生活で当たり前にあることへの感謝を心に刻みます。そして、やっぱり自分は都会っ子なんだなぁと思い知らされます。
 よく「将来は田舎に移住して悠々自適に暮らしたい。」ということを耳にします。でも僕には不可能です。もちろん自然は大好きで、それこそたまに自然に触れてその力を吸収して日々の活力にするのは積極的にしたいですし、実際しています。
 しかし、それが毎日続くとなると僕には耐える自信がありません。なぜなら21年間大阪、東京という大都会で育ってきたからです。
 僕個人の考えというか、実感なのですが、精神的裕福さは物質的裕福さがあって成り立つ一面があるのだと思います。実際、何もない屋久島で野宿をせざるを得ない状況におちいった時、かなり僕の心はすさんでいました。しかし、物でそのすさみは十分に埋め合わせが可能なものです。
 そういった物質的裕福さに苦労しない大都会でないと、年単位で考えた際に、僕は生きていく自信がないことに気づきました。

 次に大阪だけでなく、日本最大のドヤ街にして、日本で1,2を争う危険地帯、あいりん地区に行って感じたことについて書きます。
 そもそもあいりんに行ったきっかけはただ単純に好奇心からというのが1つ。そして東京のドヤ街、山谷でホスピスを経営している方のお話を大学の授業で聞くことがあり、そこで実際に僕の地元、大阪のあいりんはどうなんだろうと感じたからです。
 たかが2ちゃんねるの情報 なのですが、あいりん地区に関する悪いうわさはよく耳にしていました。それなら実際どうなのかと思い、せっかく帰省しているので実際に足を運んで見ることにしたのです。
 そこで感じたのは「ここは同じ日本か?」という驚きでした。
 まず自動販売機で売っている飲み物の値段がおかしい。缶ジュース50円、ペットボトルでも90円がざらにありました。貧しい路上生活者が多いからでしょうか。
 そして路地裏に入っていけばいくほど異様さは増していきます。僕は海外は中国と韓国しか行ったことがないのですが、中国や韓国の路地裏の雰囲気と同じ感じがしました。わけのわからないものをわけのわからない値段で売っている人々。多くの路上生活者。泣き喚きながら警官に取り押さえられる老婆と子供。
 同じ日本、ましてやすぐそばには大阪の街が広がっているのにもかかわらず路地を1本踏み入れたら異世界が広がっているのです。まさに海外のスラムのような感じでした。
 あいりん地区で感じた緊張感は、板門店に行ったときの緊張感とはまた違うものの、それと同等かそれ以上の緊張感を味わいました。板門店では普段日本で接することのない軍人、そして危険地帯北朝鮮に近い場所ということで緊張感を味わいましたが、ガイドツアーで参加しているということもあり、差し迫った緊張感というわけでもなかった気がします。
 一方あいりん地区で感じた緊張感は同じ日本なのに!という感情からくる異様な緊張と、個人で行っているから誰にも頼ることのできない緊張の2種類が僕の精神をむしばんできました。実際、あいりん地区を出て新今宮駅まで戻るとどっと疲れがおそってきました。

 以上のように、日本でも僕たちが普段、日本と意識している実態とはかけ離れた場所がたくさんあります。来年の夏は海外にも行きたいのですが、もっと国内で見たことのない場所にもいってみたいという念が強まりました。

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