2010年1月3日日曜日

【ホンヨミ!0105①】学歴分断社会【大賀】

吉川徹著「学歴分断社会」(2009年、ちくま新書)
2009年12月読了

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 現代の日本社会は平等だ。本日より始まったNHK大河ドラマ「龍馬伝」を見ながら、ぼんやりと、「ああ、私たちは幸せだなあ」などと思わずにはいられなかった。幕末の土佐藩においては、「上士」と「下士」という身分制度があり、着るものから食べるもの、立ち居振る舞いまで全てにおいて大きな格差があった。もちろん、その他地域においても、公家・武士・商人・農民、そして「えた・ひにん」と呼ばれる人々と、封建的身分制度は存在していた。不平等な社会が当たり前だったのである。それが、今はどうか。日本社会において、人々は同じ人間として「平等」に扱われている。何と幸せなことだろうか!
 しかし、このような現代の状況は手放しで喜べるものではない。なぜならば、「平等主義」の社会の影に隠れた人々がいるからだ。ネットカフェ難民やホームレスといったいわゆる「貧困」に苛まれた人々がそれにあたる。日本社会は、実際にはけして平等ではない。かつての状態からは脱却したものの、いまだ、見逃されている格差があるのだ。本書はそんな格差のひとつとして、「学歴格差」をあげて検証している。

 個人的には、本書の筆者の意見は少々極端すぎる気もする。大卒/非大卒という二つの区分で、はたして格差は語れるのかどうか。大卒は本当に社会的に「偉い」人々になれるのか。専門学校卒は「非大卒」に区分されるが、専門的知識や技術を身につけているという点では大卒よりも社会的に通用する人間になっているのではないか。高卒の親から生まれた子供はやはり高卒になるのか。-数々の疑問が出てくることは否めない。人々の価値観が多様化した現代社会においては、「必ずしもそうとは言えない」という曖昧な言葉が生まれ得るだろう。
 ただ唯一言えることとしては、「大学全入時代には危険が潜んでいる」ということだ。誰もが(選ばなければ)大学に入れるようになった時代。それはいうなれば、誰もが無意味なモラトリアム期間を過ごす可能性があるということだ。何のために大学に入ったのか。何のために勉強をしているのか。くだらないことかもしれないが、しっかりと一人ひとりが胸に刻んでおく必要がある。そうでなければ、大学は、「ニート」や「引きこもり」といった人々の予備軍を社会に排出する機関となってしまう。

 かつての封建的身分制度下の社会に比べれば、私たちは自由に物事を選び、行動することができる。重要なのは、「自分自身が何を成し遂げたいのか」をしっかりと考えることだ。

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