2010年1月3日日曜日

[書評0105④]市場・知識・自由[竹内]

ハイエクは、「われわれが合理的な経済秩序を建設しようと努めるときに、解決したいと思う問題は何であるのか」と問い、当時近代経済学の内部においても主張されていた一般均衡論が描くような集中的なよく組織された市場はなく、問題は「われわれが利用しなければならない諸事情の知識が、集中された、あるいは統合された形態においては決して存在せず、ただ、すべての別々の個人が所有する不完全でしばしば互に矛盾する知識の、分散された諸断片としてだけ存 在するという事実」にあるのだと指摘する。

社会の経済問題は、社会主義における経済計算のような「与えられた」資源をいかに配分するかという問題だけではなく、「社会のどの成員に対しても、 それぞれの個人だけがその相対的重要性を知っている諸目的のために、かれらに知られている資源の最良の利用をいかにして確保すべきかという問題である。どの人にもその全体性においては与えられていない知識を、どのように利用するかの問題」となる。情報は基本的には非対称的であり、その中で、情報の価値をどのように最大し社会にとっての最適解を見つけていくかが問題なのである。

つまり「個々の参与者たちが正しい行動をとることができるために知る必要のあること」を最も少なくすることができる機構だとして、市場システムを全面的に肯定している。

ハイエクは、様々な場所、時間、形態で様々な立場の人間が持っている、そしてそのことによって社会的生産が実に効率的に行われているような「知識」 が、特定の個人や当局による設計主義的な社会建設、経済建設の方法では決して有効に活用できないのだ。柔軟に変動する緩やかな制約が求められている。


市場設計において、政府の政府の干渉のバランス感覚が非常に重要だと改めて感じた。情報は野放しな状態ではスムーズに流れにくく、最低限の制度による制約は求められる。その制約も時代によって移り変わるため柔軟さが必要になると感じた。


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