2010年1月4日月曜日

【ホンヨミ!0105⑤】家族を看取る‐心がそばにあればいい【大賀】

國森康弘著「家族を看取る‐心がそばにあればいい」(2009年、平凡社新書)
2009年1月3日読了

***

 先月、祖父が亡くなった。突然のことだった。私は呆然とした。祖父の死を、すぐには受け止めきれなかった。「あの時ああしておけばよかった」-後悔の念が、どっと押し寄せてきた。不思議と、涙はあまり出なかった。ただぼんやりと、ああ、こうやって残されていくんだな、そんなことを思ったりもした。

 生きとし生けるものはいつかは死ぬ。それは当たり前のことなのに、私たちは「死」を恐れている。残して逝くことも、残されて逝かれることも、怖い。何とかして、避けたい。現代社会において、延命治療を望む家族が多いのは「残されて逝かれる」ことへの恐怖からだろう。‐本書はそんな怖がりな私たちへのメッセージだ。「死は恐るべきものではない」本書の主人公である柴田さんから、私たちに向けられた言葉だ。柴田さんは「世界一手厚い介護」を施す「なごみの里」という介護施設を、離島で経営している。彼女は、高齢者を「幸齢者」と呼び、思い切り我儘をさせて過ごさせる。生を強制することも、もちろん死を強制することもない。ただ自然のままに、家族と共に過ごすことのできる環境を提供する。やがて「幸齢者」たちは死に逝く。しかしそれは悲しむべきことではない。残された者は、「幸齢者」の死によって生きる力を与えられる。また当事者である「幸齢者」たちも、「あの世」で平穏に暮らすことができる。
 そんな風に書くと、「あやしい宗教書の類か?」と思われる人もいることだろう。そう疑うのなら、本書を手に取ればいい。本書は、宗教書でもなければ、医療書でもない。社会学の本でもない。ただ、自然のままに、「人間の在るべき姿」を書いた本だ。

 私が本書を手に取ったきっかけはやはり祖父の死だった。「死って何だろう」-私の中には、ここ一カ月の間、ぼんやりとこの疑問が渦巻いていた。人間の死をどのように受け止めるべきなのか、私にはわからなかったのだ。
 柴田さんは言う。死に逝く者に対して、「ただ手を握ってあげるだけでいい」と。死に目にあえなくても、それは悔いることではない、と。死に目に会えなかったのは、自分の死ぬ姿を見せたくないと思ったその人自身の意思なのだから。そういう場合は、死んでしまった者の体に触れるだけでいいのだ。‐思えば。私が祖父の死を受け止めることができたのは、死に化粧を施した祖父の胸元に触れ、その着物の中に「六文銭」を入れた時、だったような気がする。その時初めて祖父の体に触れて、私は気が付いたのだ。もう、祖父が「ここ」にいないことに。そうして徐々にその事実を受け止めることができたのだ。

 「死」は恐るべきものではない。忌み嫌うものでもない。その言葉を胸に、私は今日も、生きてゆく。

0 件のコメント:

コメントを投稿