2009年12月14日月曜日

ステージ

今週のゼミは、サークルの発表会のゲネプロという個人的な理由で、自分の担当する発表以外ほとんどゼミの場にいることができませんでした。
twitterでの実況や感想を読んでいると、全班の論文発表、4期生の所信表明、金先生のお話、OBの音田さんによるプレゼンととても内容の濃いものであったようで今回のゼミがその日であったことが非常に残念でした。特に、一年間共に話し合い、刺激しあってきた4期生の仲間の所信表明は、心からその場で聞いていたかったです。それぞれがどのように考え、どのように決断したのか。その道がたとえ金ゼミでなくても、決めた道ならば応援したいと私は思います。


今回私がそのような価値あるゼミに参加できなかったことも、また決断によって生じたひとつの結果です。

ゼミの感想とは全く関係ないプライベートな話で大変恐縮かつ恥ずかしいのですが、サークルの話を書きます。
私は1年生の時から大学のビッグバンドサークルに入ってトロンボーンをやっています。中学高校では弦楽部に所属していました。音楽は私にとって大切な存在で、なおかつ「合奏」という行為に愛着があります。
印象に残っている話なのですが、ある指揮者が学生オーケストラにこう言ったことがあるそうです。「合奏というのは、集団の中にいつつ、自分を最大限に表現するということだ。人生と同じだね。」拙い音楽人生ではありますが、私にとっても合奏していて一番楽しい瞬間は、自分が最大限の演奏ができて、それが周りの最大限の演奏と重なり、結果いる人数の何十倍もの相乗力を出すことが出来たときでした。あまり練習していないと自分でいっぱいいっぱいになるのですが、一生懸命自分のパートを練習していると、自分が演奏しながら同時に、全体のハーモニーの中の自分を理解できる瞬間があります。
「感性」が大事にされる「音楽」と金ゼミは一緒にできないかと思っていましたが、ふと考えると前述の「合奏」は「グループワーク」とよく似ていますね。私の音楽人生ももしかしたら金ゼミに活かせることがあるのかもしれません。
閑話休題、1年の時はサークル一直線でしたが、12月に入学前から志望していたメディアコム入所試験を受け、オープンゼミに刺激を受けこの金ゼミに入ることを決めました。しかし、サークルと金ゼミ、どちらもコミットが必要なコミュニティでした。最初は「なんとかなるだろう」とタカをくくっていましたが、金ゼミが好きになるほどに、その両立が非常に厳しいものとなりました。
自分の中の軸では、金ゼミから得られるものの方が大事だと感じられたので、サークルへの力の配分を少なくしました。しかし最後の最後に、12月の発表会でレギュラーに乗るオーディションを受けることに決めました。もし受かったとしたら論文との両立で非常に忙しいことになることはわかっていましたが、自分の夢と、そして自分としっかり向き合って、区切りをつけたかったからです。
客席でその音楽に心から感動して、1年の頃から、リサイタルでレギュラーで演奏することが私にとって願ってやまない夢でした。その夢と、音楽への愛、そして1年の時から苦楽を共にしてきた仲間たちとの思い出を「フェードアウト」で終わらせたくなかったことが一つ。もう一つは現実から逃げ出す自分に立ち向かいたかったからです。今年の3月、私はレギュラーのオーディションを受けるつもりでしたが、本番前日に自分から辞退をしました。練習があまり出来なかったことと、評価されることの恐ろしさから逃げを打ったのです。結果、果敢に挑戦をした同期の友だちがその座を勝ち取りました。私はそのことが非常にショックでした。結果自体よりも、たとえ結果がダメだったとしてもそれ以前に、自分は自分でチャンスを投げ捨てたのだということに気がついたからです。それ以来その時の後悔をずっと引き摺っていました。今回のオーディションの時も、実力的に合格できるかは正直自信がなかったのですが、受けてケリをつけることにしました。もうあんな悔しい思いは2度としたくなかったからです。自分の希望に自分から背を向けるまねはしたくありませんでした。
自分なりの猛練習の結果(jekiコンペのみなさんにはご迷惑おかけしました。)幸運にもレギュラーに数曲乗せて頂くことになり、先日無事発表会を終えることができました。

舞台袖から眺めたレギュラーの4年生のソロは、やはり本当にかっこよく心から感動するとともに、私は一つのことを思いました。この先輩たちは今日この日を迎えるために、音楽に没頭して、そしてきっとそれ以外の多くの可能性を犠牲にしてきたのだ。だからこんなに素晴らしい演奏ができるのだ。
某同期もtwitterでつぶやいているように、人生において一つ大切なものを得ることは一つ大切なものを失うことなのです。先輩の演奏は私の胸に問いかけてきました。「あなたは何をする?」

「効率が大事」、わかります。「学生のうちはなんでも手を出すべき」、わかります。
でも、学生時代を楽器に打ち込んだ4年生の先輩は、何ごとも器用にひょいひょいこなしてしまう人よりも、かっこいいように私は見えました。


金ゼミとサークル、ハイブッリトだったこの一年は、逆に私に「決断」を教えてくれました。
ゲネプロに出たことで私は有意なゼミに出ることができませんでした。全てを手に入れることはできません。今年は色んなことを経験させて頂いた一年でしたが、来年は色んなことを決断していきたいと思います。大事なものを手に入れたいからです。

前述のようなつぶやきをtwitterに流す某も、所信表明をした4期みんなも、日々可能性という現実と戦っているのだと思います。しかし失くす悲しみを乗り越えて、決断し続けることで、1ヶ月後一年後、ちょっと自信がでてきた顔をした未来に近づけるのではないかと、最近考えています。

1 件のコメント:

  1. 田島さん、

    おんだです、はじめまして(ですよね?)。
    私の話はいつでも聞けますんで、お気になさらずに。(してないと思うけど・・・)

    私が喋った内容は、複雑なことは分解してみると分かりやすいということでした。もっと言うと、分解するという行為が、「捨てる」という行為にも繋がってくると私は、思っています。

    また、お話しましょう。

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