2009年12月1日火曜日

【ホンヨミ!1204①】悩む力【かこい】

この場合の悩みは、現代社会において、ほとんどの人が一度は悩んだことがあろう、自分と他者とのつながりについての悩みである。
どうして現代では、このような悩みが多いのかというと、近代以降、人々がそれまでの封建社会から解き放たれて、自由を与えられたからだ。
自由を与えられて幸せになれるはずなのに、逆に悩みが増えてしまう。こんなおかしいことがあるのだろうかとも思えるが、筆者も言うように、不自由だったからこそ見えて、自由になったからこそ見えにくくなったものというのも存在するのである。

そのひとつが、近代以前は生まれたときに明示されていた、他者のとの関係性である。
今までは柵とも言える形で存在していた他者との関係から自由になったということは、つまり、誰とも自分はつながっていない、とも表現できる。そこから大きな孤独感、大きな不安が生まれるのだ。

筆者は、自我とは他者との相互承認の産物だという。
自我はひとりよがりに持つことは出来ない。自己中心的に考えるのではなく、他者とのつながりを丁寧に、そして作中の表現を用いるならば「まじめに」考えることで習得できる。

他者とのつながりを得るためのひとつの形が、「社会の中で働く」ということである。
自我は相互承認の産物だといったが、「誰かに認められたい」というのは、人間の根本的な欲求だ。認められて初めて、生きている実感が持てるし、そこにいることを正当化できる。

社会、つまり世の中の人にとって、自分が生きていいという証明書を与えられるためには、社会に何かを与えて、認めてもらうことが一番の近道だ。
それが働くことの意義につながると思う。

「誰かに認めてもらいたい」という欲求と、認めてもらえたときの嬉しさは、想像以上に大きいことを、最近実感することが多い。
認めてもらえると、他者とのつながりが自由、言い換えれば希薄に感じられることの多い現代で、ふわふわした自分の存在を、少しだけはっきり見ることが出来るようになる気がする。
ならば自分は、誰かが何かを働きかけていて、そのことを認識したときに、しっかりと認めてあげられる人、認めることを声に出せる人、自分がそうしてもらえたときの満たされた気持ちを、少しでも人に分けていける人になりたいと思う。

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