2009年11月20日金曜日

【書評】ハーバードからの贈り物【村山】

本書は、ハーバード・ビジネススクールの教授達が学期の終わりに、学生たちに対して自らが経験した試練や成功・失敗などについて語った15個の話をまとめた一冊である。
どれも多くの示唆に富んだ素晴らしい話ばかりだったが、その中でも特に感銘を受けた二つの話について触れていきたいと思う。
まずは、「完璧を求めるな」について。文字通りの意味だが、完璧を求める必要はないというより、完璧を求めてはいけないと言った方が正しいかもしれない。一般的に、人間は不完全であることに居心地の悪さを感じて、完璧であることに至上の価値を置く傾向があると思う。しかし、大事なことは、自分という人間を客観的に評価・観察することではないだろうか。つまり、長所だけでなく、不完全さや弱さといった短所にも目を向けて、間違いを認め、自分自身を出来るだけ多くの角度から見ようとすることである。本文に、「価値のない人間がいないのと同様、欠点のない人間というのはありえない。」という一文がある。その通りだと思うし、このように考えられれば気持ちが非常に楽になる。社会的に成功したと言われる人間だって、失敗した部分にスポットライトが当てられないだけで、必ず失敗や挫折を経験しているはずである。では、彼らの様な成功したと言われる人間とそうでない人間の違いは何なのか。それは、自分の犯した間違いや欠点を認めて、自分自身を冷静に見つめ直してしることではないだろうか。自分の欠点を認めることは想像以上に難しい。誰でも自分の良い所に目がいってしまうと思う。だが、自分の欠点に正面から向き合い、完璧である必要の無さを理解した時こそ、有意義な人生を遅れるのではないだろうか。

次に、「サラの物語」について。この章はたったの7ページですぐに読み終わってしまうが、個人的には本書の中で最も印象的だった。理屈で云々というよりは生理的に感動した。サラは非常に有能で勉強も出来て、将来有望な女性だったが、親の仕事を手伝い、高校を卒業するとすぐに結婚してしまう。多くの子供にも恵まれたが、彼女が40歳の時に夫を亡くし、8人の子供を養わなければならなくなった。彼女の能力を持ってすれば、高給・厚遇の職に就くことも出来たであろうが、子供と過ごす時間を優先して、ギリギリ家族が生活できる位の給料しか貰えない清掃員の仕事を選択した。ハーバードの学生にサラの話をするのは彼女の息子の一人。当時、彼は、清掃員として働く母親を恥ずべき存在と思っていたが、本当に恥ずべきは自分の考えであり、自分の振る舞いであることに気づく。サラは、身を粉にして働き、彼女の能力を持ってすれば実現できたであろう多くの可能性や夢を全て犠牲にして子供(自分以外の人間)のために尽くしたのだから。サラほど自分以外の人間のために自分を犠牲に出来る人間がいるのだろうか。自分に能力があればなおさら難しいと思う。この章を読んで、自分の人生は、自分を支えてくれる色んな人の人生や幸せの犠牲の上に成り立っているのだということを、改めて認識した。自分に関係のある多くの人の力があって始めて、自分は成長し、幸せを手に入れることが出来るのである。一番認識していなければならないことを忘れてしまっていた気がする。同時に、自分もサラの様に、自己実現を犠牲にしてでも、誰かのために自分の時間を使える人間になりたい、そう思った。

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