2009年11月29日日曜日

書評 わが生涯の戦い リチャード・ニクソン著

煙が目に「しみる」ようなアメリカ激動の時代。レッドパージ、冷戦、ケネディ暗殺、ベトナム戦争。数々の男たちが歴史に名を刻んだが、その中から最もドラマティックな生涯を生きた男を3人挙げるようせまられたら、私は迷わずリチャード・ニクソン、アーマンド・ハマー、ロイ・コーンと言うことができる(フィクション上の人物を入れられれば、ロイ・コーンではなくフォレスト・ガンプになるが)。

僕がニクソンに興味を持ったきっかけは「フロスト×ニクソン」というアカデミー賞にノミネートされた映画がきっかけだ。(ちなみに、この映画は「スクリーンのパワー」を示した箇所以外は、明らかに低級な作品で、本書を読めばその大半が大衆ウケを狙ったでっち上げだということがわかる。例えば、シークレットサービスの箇所はねつ造以外の何者でもない。ニクソンが生きてこの映画を見たら激怒していたことだろう。この手のメディアをニクソンは最も嫌うのだ。)

ニクソンの生涯の善悪は別とした影響の大きさは誰も意義を唱えないだろう。ニクソンにとってその生涯は戦いだった。客観的に見れれば、それは敵味方の峻別の明瞭さと言えるが、彼の人生には確信があった。それは、大統領を指導者と呼んで憚らないアロガンスにも繋がるが、「自分が全アメリカ国民を守る」という信念に他ならない。

また、ニクソンは家族を誰よりも愛した。僕の予想だが、きっと結婚してから浮気など一度もしたことがなかっただろう。彼にとって家族を裏切ることは神を裏切ることより罪深いことだったに違いない。そして、この家族愛は数少ないあらゆる闘争への力の源泉であった。

ニクソンはケネディと違って、貧しい生まれからペン一つで身を起こして、大統領まで上り詰めた。政治家になるということは、他の職業を選んでいたら得られ他であろう莫大な経済的利益を他人に譲ることだとニクソンは言う。大統領になりうる才能を持っていれば、ビジネスで成功することなど容易い。実際、同世代でビジネスで成功するものは何万人もいるが、政治家として成功するものは100人といない。政治家になるということは、自己利益追求のかわりに自分の目に映る全ての人々を守ることなのだ。時にはその命を犠牲にしなければ、ならないこともある。そういう志を持たぬものに政治家になる資格はない。逆に言えば、この志と求められる能力さえ満たせば、本質的でない「小さな」スキャンダルや「手続き上の」ミスは容認されるべきだと言う。僕も同意見だが、それはアメリカ国民に許されることがなかった。ニクソンはマキャベリストだ。

ニクソンはポピュリズムとも戦った。大統領は最も賢明な判断をしなければならない。しかし不幸なことは、最も賢明な判断が最も不人気な場合があることだ。ニクソンはベトナム戦争の責任の全てを民主党の前任者に押し付けることもできた。しかし、それはアメリカの国益に反することであった。そこでニクソンは最も勇気ある行動をとる。それは歴史上唯一のアメリカ大統領辞任という決断とも矛盾しない。

孤高の指導者。その実像は国と家族と仲間を愛し続けた勇気と博愛の強さの固まりだった。誤解されることもあっただろうが、私は何があろうとニクソンを信じる。なぜなら、彼の言葉には偽りがなく、示された行動には迷いがないからだ。

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