2009年10月15日木曜日

【ホンヨミ!】ルポ 雇用劣化不況【大賀】

竹信美恵子著「ルポ 雇用劣化不況」(2009年、岩波新書)
2009年10月14日読了

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 「自分自身が透明になってしまっている気がした」‐私はこの言葉を聞いた時、いいようも無い恐怖とやるせなさを感じた。小学校のときにクラスで起こったいじめを思い出した。いじめられる方といじめる方、そしてどちらの側にも立たずに傍観する方。傍観者は最も罪深い。傍観者にとってはいじめられっこもいじめっこも、「自分とは関係の無い存在」として無視してるのだから。先の言葉は、若くしてネットカフェ難民となり、公園で寝泊りをしていた女性が語ったものだという。私はとある新聞記者さんより、彼女の声を伝えられた。彼女は言った。「公園で寝泊りしていると、自分は誰にも見てもらえない。誰にも関心を寄せてもらえない。そこにいるのに、いないような気分になる。透明人間になってしまったように」
 日本社会には彼女のような「透明人間」が何人いるのだろうか。高度経済成長期の陰で搾取され続けてきた労働者、使い捨ての駒のように働かされた派遣社員や非正規社員、仕事もお金も帰る場所も無くさ迷うホームレス…。日本社会はけして「平和で幸せな」社会では無い。それは上っ面だけのものだ。
 本書は、朝日新聞の記者である著者が書いた「ルポ」だ。その名の通り、単なるデータの寄せ集めではなく、実際に「貧困」の現場にいる人々の声が生々しく描かれている。ひとつひとつのエピソードが心に迫ってくるので、あっという間に読んでしまった。読み終わったときの虚無感と悔しさは、妙に残る。私は将来、何らかの形で労働問題に携わりたいと考えている。その「夢」が確固としたものになった。それほどまでに本書に与える影響は、強い。

 「技能も賃金も高い『美空ひばり』はいらない。これからは、取り替えがきく『モーニング娘。』の時代だ」
 「一度履いたら踊り続けなければならない赤い靴の童話がある。夫はその靴を履かされていたようなものだった」

 どちらも衝撃的な言葉だ。前者は、派遣社員としての添乗員を管理する派遣会社の重役の言葉。後者は、「名ばかり管理職」の任に就かされた夫の心身が弱っていく様を目の当たりにした妻の言葉。企業の成長、利益のために、人がモノのように扱われているという現実がそこには表れている。

 貧困にあえぐ人々を「透明」にさせないために、私たちができることは何だろうか。ひとりひとりが気をつけなければならないことは、何だろうか。真剣に考えねばならないだろう。

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