2009年9月25日金曜日

神コレで思ったこと。

 
 先日、私は友人とKOBE COLLECTIONというファッションショーに行った。
KOBE COLLECTIONは、TOKYO GIRLS COLLECTIONなどと同様に、F1世代を対象とした小売販売を目的としたファッションショーだ。よって、バイヤーやメディアに向けた既存のファッションショーと違い、ショーモデルでなく赤文字雑誌を飾るモデルたちを起用したり、ショーの合間にライブがあったりと、高いエンターテイメント性を特徴としている。
 暗闇の中に一本伸びるランウェイを、ライトを浴びながら闊歩するモデルたちの様子は、本当に筆舌に尽くしがたいほどかっこいい。その姿に魅入られた観客である私たちは、言うまでもなく暗闇の中にいるone of themでしかないけれど、きっとショーのあいだ誰一人としてそのことに気を留めてはいないだろう。ショーは観(魅)る人の現実を忘れさせてくれる。
 私は、幼いころから非現実を作り出すものが大好きだ。ファッションショーや、ミュージカル、演劇、小説、ダンスステージ。舞台という箱が作り出す魔法は素晴らしい。観客席の照明が消えた瞬間、私たちはそれまでの一切の現実を忘れ去り、ただ光の中の主人公としての人生に集中する。そして幕が閉じた瞬間、何事もなかったかのように日常は再び動き出す。
 私が非日常に魅かれる所以として、もしかしたら古くからある日本人の思想に影響されているのかもしれない。柳田國男は「現代日本人はハレとケが曖昧になっている」と自身の著書で指摘している。私たちは、都市生活の発展により、祭りのような地域社会に根ざしたハレに触れる機会が少なくなっている(祭り自体は現在でも存在しているが、あくまでそれは能動的な関わり方に限定されている。)からこそ、既存のものではない、新しいかたちのハレを求めているのかもしれない。
 そんなことを考えながらショーを後にした私は、またすぐ飽きることなく次の劇場へと足を運ぶのだろう。
 だってケの“ケガレ”を取り払わなくてはならないから。

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