藤原治著「ネット時代 10年後、新聞とテレビはこうなる」(2007年、朝日新聞社)2009年9月27日読了
※金ゼミのローテーションでも回っている本ですが、本書は自分で買って購入して読んだものです。
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新聞社のインターンシップに行くにあたり、新聞業界の今後の流れに関する理解を深めておこうと思い購入した本。自分の努力不足によりインターン前には読めなかったが、かえってインターン後に読んだことで、より現実的に「新聞社の未来」に関して考えられたように思う。大手三大新聞社のひとつとして、大きな力を担う「朝日新聞社」が本書を出版しているということは、一見すれば自虐的である。しかしその姿勢は、いずれ必ずやってくるであろう「新聞崩壊」の波に対して、逃げずに立ち向かおうとする新聞社としてのプライドの表れなのかもしれない。
本書によれば、現代の「新聞離れ」を起こした理由は大きく分けて3つあるとされ、以下のような考察が述べられている。(「2011年新聞・テレビ消滅」による考察と重なる部分も多いが、本書においてはより多角的な考察が行われていて非常にわかりやすかった。)
●戦後の高度経済成長による「裕福な社会」の実現、そして1995年以後のインターネットの誕生と発達により、人々が大衆から分衆、そして個人へとその在り方を変化させていった。こうした「個人」である人々にとって重要なことは「共通の価値観や認識」を得ることよりもむしろ「自分なりの価値観や認識」を持つことであり、「マス」=「大衆」向けである新聞の存在意義はもはや無くなった。
●現代の人々は情報の信頼性よりも、速報性とアクセスのしやすさを求めている。信頼性に足るか否かはその人個人が判断可能であるからだ。よって、新聞が信頼性を売りにしても、それは読者を惹き付けるきっかけにはならない。
●現代の人々とりわけ若者たちは、自分個人とは全く関係のない社会の出来事に無関心であり、新聞を読もうとするインセンティブがそもそも無い。
以上が筆者の意見である。しかし私は、「若者たちが社会的に無関心である」という考えについては反論したい。若者が社会的に無関心であるならば、彼等は最近の流行や政治動向を全く追わないということになる。しかし実際にはそうではない。昨今の政権交代の流れやイチローの9年連続200本安打記録達成という話題に若者たちは強い関心を寄せ、街中で配られた新聞の号外に対し真剣になって手を伸ばすという様子も見られた。若者たちは社会的に無関心なのではない。アクセスしやすい情報がそこにあれば、それに対してすぐに関心を持つ「可能性」を担った人々なのだ。新聞記事の情報に対するアクセスのし辛さが解消されれば、若者の関心をひきだすことは容易ということだ。
私は新聞が好きだが、その一方で、新聞の読みづらさをひしひしと感じている。持ち歩きにかさばる、手が汚れる、電車の中で読み辛い、文字が細かくて目が疲れる、わからない単語があってもそれに対する説明が少ない・・など、挙げていけばきりがない。新聞という紙媒体のこのような「特色」が、若者たちを遠ざけているとすれば、それは解消すべき「問題点」となる。よって私は、amazonのKindleのようなハードウェア、いわゆる「電子新聞リーダー」を開発し、より容易にそして快適に新聞紙面が読めるような仕組みの提案をしたい。いつでもどこでも簡単に新聞記事を読めるようになれば、若者は自然に、自分とは関係の無いところにある情報であってもより大きな関心を持つようになるのではないか。
新聞社の強みは、豊富な人材とその良質性、そして「権力の監視機関」としての存在意義にある。「新聞=紙媒体である」という姿勢にこだわるあまり、その強みをも消してしまうようなことがあってはならない。新たな媒体を開発する、あるいは紙媒体にこだわらずに「コンテンツプロバイダー」としての役割を全うする、など、ネット時代を生き残る対策を立て、新聞社の強みをより生かしていくような対策を講じるべきだ。
2009年9月27日日曜日
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