2009年6月30日火曜日

【ホンヨミ!】ムーミン谷のひみつの言葉【大賀】

冨原眞弓著「ムーミン谷のひみつの言葉」(2009年、筑摩書房)
2009年6月30日読了

***

 私は「ムーミン」が大好きだ。幼い頃は、ムーミンというキャラクターの可愛さだとか、スナフキンの格好良さだとか、ニョロニョロの怖可愛さに魅力を感じていた。勿論その気持ちは今でも変わらない。だが今になって「ムーミン」という作品に感じる新たな魅力は、人間の真理を言い当てたような言い回しの素晴らしさである。本書は、1954年よりロンドンの夕刊紙「イヴニング・ニュース」に掲載されたムーミンの連載漫画より、各キャラクターの特徴とその名台詞を抜粋したいわゆるまとめ本だ。連載漫画本編を読んだことが無い人でも十分楽しめる。また筆者自身が、「ムーミン」コミックスの翻訳を担当した人物であるがゆえに、作品やキャラクターの解釈に妙な「こじつけ感」は無い。「ムーミン」を良く知らない人にも読んでもらいたい名著だ。以下、私が好きな台詞をいくつか抜粋する。

●何かを手にいれようと思ったとたんに、めんどうなことがおこるものさ(スナフキン) 
 自由な旅人、スナフキンらしいこの一言。スナフキンは常に自由であることを望む。たとえモノであっても、それに縛られて自分の行動が制限されることはあってはならない。「所有」には必ず「不自由」が付き纏うことを彼は知っている。だから彼は必要最低限のモノしか持たない。旅先で宝物を見つけたとしても、それを思い出の中にとっておけばそれで良い。
 人間は常に何かを欲しがる。そしてそれを常に手元に置いておかないと気が済まない。モノであれ、地位であれ、名声であれ、愛であれ、何らかの形あるモノを手に持っておかないといけない。「欲望」は、人間の最大の特徴であり、愚かさの象徴である。しかしその「欲望」に囚われているということはすなわち、人間は常に束縛されているということなのだろう。全てを捨ててスナフキンのように旅に出ることは難しいだろう。だが時には両手に抱えたものを手放して、ほんの少しの期間であっても自由を味わうのも良いかもしれない。

●そういうことは、自分からはいわないものなのさ(ムーミン)
 ムーミンはスナフキンの親友である。ムーミンはスナフキンのことが大好きで、彼がやってくることを心待ちにしている。彼等はいつも一緒にいるわけではないけれど、その間には「離れていても友達だ」という強い絆がある。だがムーミンは、スナフキンに対して「親友」だとかそんな言葉を使ったりしない。本当の親友は、わざわざ声に出して確認せずとも自ずとわかるものだからだ。周囲にも自ずと伝わるものだからだ。
 小学校のとき、「私たち、親友だよね!」と一番仲の良かった子に言われたことがある。確かに仲良しであったことには変わらないのだが、そう言われることには違和感があった。成程、違和感の正体は、こういうことか。わざわざ口に出していることはすなわち、親友であることに不安を感じていると露呈するようなものなのだ。

●生れるのは小さな子どもだけよ!(ミイ)
 ちびのミイは子どもらしい素直さと狡猾さを持った存在として描かれている。「ここに大物は居るか」という質問に対し、素早く答えたのが上記の言葉だ。確かにその通りだ。大物は大物として生れてくるわけではない。人間は皆、何も知らない赤ん坊から始まっている。どんなに素晴らしい人でも最初は皆子どもだった。そして、大人であっても子どもっぽい人だっている。だから真の大物なんて存在しないのだ。・・ミイの台詞を見ると「がんばろう」という気持ちになる。どんなに素晴らしい人だって、皆悩み多き学生時代を過ごしていたに違いない。ならばクヨクヨするのはやめて精一杯頑張ってやろうじゃないか!

0 件のコメント:

コメントを投稿