2009年6月26日金曜日

【ホンヨミ!】対話のない社会【斉藤】

 対話のない社会 中島義道

 本書は4年ほど前に読んで、内容がとても自分にとって新鮮であり感化されたため、この機会に再び読んでみようと思って手にとった。
 日本は私語は氾濫しているが、対話ができない人が多いと思う。対話ができるとは、適切な時に適切な言葉で適切な音声ではなすことができる能力であると思う。時に関しては、相手が応答や意見を求めている場合、自分の意思を表明しなければならない場合。適切な言葉とは、相手に見合った言葉、また最も大切なのは決して暗黙の了解に頼ることなくしっかり最後まで言い終えることである。音声に関しては、場所によってトーンを臨機応変に変えることである。
 簡単なことに思えるが、私は特に大学の授業において、日本人の対話能力のなさを実感することがある。対話ができる、ということは決しておしゃべり好きのことではない。特に語学の授業で感じるのは、多言語を話しているからかもしれないが、全く聞こえないような小さな声で話す人、授業に関係のないことをひそひそ話す人、質問されても全く声を発しない人、最後まで言葉を言いきらない人が目立つ。自分もその一員かもしれないので、対話能力が欠如しているかもしれない。
 これは対人コミュニケーションについてのことだが、実はメディアと人のコミュニケーションでも対話の欠如が感じられる。マスコミュニケーションは、不特定多数の人に情報を投げかけることであるが、それは誰もが期待する情報ではないので、「適切な」と前述した事柄に当てはまらない。日本にはマスコミュニケーションが氾濫しているが、これもまた「対話のない社会」の象徴であるのではないだろうか。

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