気の力/ 斉藤孝
日本の社会では、その場の空気を読んで、周りに気配りすることがとりわけ重要視されている。これは日本語の構造や表現にも現われていて、たとえ書かれていないことでも読者に文脈や語尾から判断するよう要求する性格があるそうだ。このことからいかに日本ではこの「気」というものが古くから重んじられてきた国なのか分かるだろう。最近では、空気の読めない人をさして「KY」などと呼ぶこともある。以前にも増して、場の空気も読むことが求められている気がしてならない。
しかし、空気を読もうと意識しすぎて、かえって間違った気の遣い方をしているケースも多いのではないかと思う。本書でも「自分自身のことには非常に関心が高いが、他者への関心は薄い、つまり自分のことだけに敏感になる人が増えているのである」と指摘されている通り、人にどう思われるかということにばかり気をつかい、本来気をつかうべきところに気がまわっていないことが多い。しかしこれでは、かえって周囲の人々を不快にしかねないし、その場が活性化されることもない。
こうした傾向は私自身にもあってよく反省するのだが、そんな時必ず思い出す言葉がある。大学一年の時にとっていた小人数セミナーの教授がよくおっしゃっていたことで、人を「気にする」のではなく「気をつかえ」という言葉だ。「気にする」ということは、実は自分を何より大事に思ってすることで、また、周囲から自分がどう思われているかを考えることは自分にとって何のプラスにもならない。「気にする」のではなく、相手のことを配慮し「気をつかう」ということが重要なのだ。なかなか難しいことではあるのだが、このことを常に頭において日々精進していきたい。
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