インターネットの普及によって、マスメディアをはじめとする従来的な権威の構造がフラット化し、従来のパワーバランスが崩壊・変化することで、世界が「フラット化」している事を明快に説明している。著者は主に毎日新聞の事例を例に、その地位を必至で正当化しようとしている既存のマスメディアの姿勢を指摘する。
「フラット化」とは、少数の人(マスメディアなど)の手に握られていたパワーが、無数の人々のものとして分散されることだ。マスメディアにとってフラット化がもたらす危機は下記の3つであると著者は述べている。
・匿名言論の登場
・取材の可視化
・ブログ論壇の登場
すなわち、匿名言論の登場によって、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が徹底的に問われる世界の到来であり、新聞社あげてのキャンペーンもいちブロガーの言論も同等のパワーを持つ可能性があるということである。
また、毎日新聞の取材を受けた「がんだるふ」氏のエピソードは大変興味深かった。「匿名でやっているのは卑怯じゃないですか?」という毎日新聞の質問に対して、がんだるふ氏は「著名人でもなければ、実名が信頼の担保とはならないんですよ。実名だと肩書きに引きずられてしまうということを考えれば、実名の発言の方が優れているという考え方自体ばかばかしくないですか。」と述べているが、このやり取りにも見られるように、批判や反論、それに対する再反論といった議論(や取材)のすべてがネットを通じて可視的になることで、新しい公共性が生み出される時代への変化しているのである。また、それにも関連しマスメディアへのカウンターカルチャーとしてのブログの存在感は今後ますます大きくなっていくという事を痛切に感じました。
著者はインターネットにおける議論は、ラディカルな民主主義であり、新しい可能性であると述べているが、マスメディアやブロガーといった肩書きとは関係なく議論するフラットな基盤を共有することがフラット化の意味する所なのだろうと思いました。
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