2009年5月25日月曜日

【書評】ハリウッドはなぜ強いか【戸高】

赤木昭夫著『ハリウッドはなぜ強いか』

 読んでいて『ハリウッドはなぜ強いか』という題の割には、映画論に終始していたり、細かい収益モデル、製作システムをだらだらと書き連ねているだけであったりと、さほど真新しい発見や、奇抜なものはなかった。
 そもそも「ハリウッドは」と銘打っているのだから、もっと他国の映画産業との比較を行ってくれてもよかったのではないか。フランスの映画産業や、ハリウッド映画とフランス映画の比較については触れていたが、一言で文化的要素の違いと片付ければやすっぽくなってしまうだろうが、ハリウッドの娯楽的な面とフランスの芸術的な差異はあるだろうし、簡単に論じすぎているのではないかといった印象を受けた。
 また、ハリウッドを語る上で外せない「赤狩り」については全く触れられていなかった気がする。この「赤狩り」によって多くの才能がハリウッドから迫害されたはずなのに。あまりハリウッドの暗い側面には目を当てずにただただエンターテイメントとしてのハリウッドをつらつらと述べているといった印象だった。
 

 フランスのヌーヴェルヴァーグ期の話も出ていたが、個人的に好きな作品を書いておく。
 『パリところどころ』という短編オムニバス映画なのであるが、その中のジャン・ルーシュによる『北駅』(1965)が傑作である。
 ヌーヴェルヴァーグの特徴の一つとして低予算でラフに即興、フィクションだけどもドキュメント風といったものがあるが、この『北駅』は15分程度の作品をこれでもかというほどの長回しで撮影しているのが1つの特徴にあげられる。
 作品の概要としては倦怠期の夫婦が喧嘩し、女は家を飛び出す。そこに絶望した男がやってきて女に一目ぼれをする。執拗に女につきまとう男だが女はかたくなに拒否をする。そこで男は自殺をしてしまうといった、言葉に表せばこれだけのストーリーなのだが、今の映画、映像作品だって言葉にしてしまえば数行で終わってしまうような中身のない作品が多い。
 そんな中身のない作品に2時間もかけているのに比べて、『北駅』はたった15分の作品である。しかもその15分の中に長回しにより作られる異様な緊張感と不安感が物語の最後で一気に解放される筆舌しがたい感動を作り出している。
 現代のハリウッドの大作といわれるものは、本著にも書かれていたが、とにかく製作費をかけまくって、映画を受容するそうも若者が多いため大味な作品が多くなっている。そういった大味で、デジタル加工を施された映像を楽しむのもいいと思うが、フランス映画(ロメールの引退作品である『我が至上の愛』は人間のみがおりなすドラマで余分なものがない。映像も美しい。)や初期ハリウッドのように何気ないカットで楽しませ、シンプルな作品が少なくなっていると、私が受講している映画演劇論という授業の教師も言っていた。
 先述した教師や、私の映画好きな友人も言っているのだが今の映画にはテレビ的な要素が介入してきており、余分なものが多すぎるのではないか。映画にしかできないことを映画では追及してほしいものである。

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