2009年5月21日木曜日

【書評】計算不可能性を設計する【戸高】

神成淳司×宮台真司『計算不可能性を設計する』

 僕自身社会学部に所属しているので宮台真司のことは以前から知っていた。宮台といい、東浩紀といい、最近の社会学者は面白い。社会学という学問が「社会」という曖昧で広い範囲を扱っているために、社会学という学問が生じた19世紀後半(貧困と社会に対する問題意識から生じたとされる)に比べれば対象とする分野が無限と言っていいほど現在では社会学の対象領域が広がっている。
 ITやコンピューティングを用いて、「ものづくり」とのコラボレーションを進めている神成淳司との対談でも、宮台は社会学という観点から、映画や音楽、SFといった様々な事例を出し、議論に肉付けを行っていた。
 対談形式の本は、自分が読んできた経験上、論が右往左往したり、首尾一貫してなかったりするケースがしばしば見受けられるのだが、宮台はもちろん、神成も人文科学に通暁しており軌道修正がうまい。読んでいて不快でない。
 宮台と神成の頭の良さがわかる1冊。

 本の内容は、ITコンピュテーションを用いることにより、現在コンピューティング技術が活かされていない分野にもどんどん応用が利いていき、へたすればコンピューティングは人知を超えるのではないのかだとか、スペシャリストとジェネラリストの必要性だとか、コンピュテーションにより、便利になった世界での人間性といった倫理的な問題についてなどが、幅広い具体例により対談形式で進められている。
 個人的にやはり、コンピューティング的な内容よりも、社会学的な内容に少しは通じているところがあるので、本の最後に話題になっていた「2ちゃんねる」について少し私見を。
 「2ちゃんねる」がなかった時代だと、人々が政治的問題やニュース内容について発言する場は限られていた。しかも発言する権利は有識者(この言葉の使い方もどうかとは思うが)にほとんどゆだねられており、有識者でなければ発言に気後れが生じ、なかなか発言できないといった事態もあった。
 しかし「2ちゃんねる」ではあるニュースが生じれば、「匿名性」のもと、自分の意見を学歴や社会的立場関係なく好きに意見を言うことができる。
 また、1つのニュースに対して、みんなが実況することにより、「同期性」を楽しむことができる。
 以上の「匿名性」と「同期性」が「2ちゃんねる」の核だと私は思う。もちろん「匿名性」であるから不適切な発言やガセネタなども飛び交うため、リテラシーがなければ「2ちゃんねる」での発言を真に受けて、それこそ「ネット右翼」や「ネット左翼」、極度の「マスコミ不信者」などを大量に生じさせかねない問題もある。
 また、「同期性」でいえば、「ニコニコ動画」など、動画放送中にコメントが右から左に流れるという機能があるサイトでは、その場にいないのに、誰かと同時に動画を見ているといった、「疑似同期」体験が可能となっている。
 神成淳司は実際に、シンポジウムを開く際、聴講者にチャットで質問や疑問を受付けながらシンポジウムを進めるといった同期性を重視したシンポジウムを開いているそうだ。
 シンポジウムなどでは最後にまとめて質問を受け付けるためになかなか実のある返答となっていなかったり、時間がなくて答えてもらえないことも多々ある。しかし、こういった形の質問や疑問の受付方をすると、即座に返答や、議題を変えることが可能で、より実のあるシンポジウムになるだろう。
 一度そういったシンポジウムに参加してみたいものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿