2010年1月6日水曜日

【ホンヨミ!0105①】忘れられた日本人【村山】

本書は、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者が、文化を築き上げ、支えてきた伝承者、つまり、老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーを交えて生き生きと描いており、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の表舞台に浮かび上がらせた作品となっている。
本書を読んで私が特に印象に残ったのは「対馬にて」における村の寄り合いの話である。
この章は、過去の文献を探し求めて各地を巡っている筆者が、対馬の伊奈という村を訪れ、この村に古くから伝えられている古文書を見せて欲しいと、老人に頼んでいる場面である。古文書を見せてもらうことは出来たものの、しばらくの間、この古文書を貸して欲しいと筆者がお願いすると、このような問題は村の寄り合いで皆の意見を聞く必要があるとして、寄り合いが行われる。なぜ、このような寄り合いという手段を取るのかと筆者がその理由を尋ねると、「村で何らかの取り決めを行う場合には、皆の納得のいくまで何日でも話し合う。初めには一同が集まって区長からの話を聞くと、それぞれの地域組で色々に話し合って、区長のところへその結論を持って行く。もし、折り合いがつかなければ、また自分のグループへ戻って話し合う。用事のある者は家へ帰ることもある。ただ、区長と総代は、聞き役、まとめ役としてここに留まらなければならない。」、という説明を受ける。この寄り合いでは、時間の経過を気にするということはない。実際に、筆者に関する議題も提示されたのは朝だったにも関らず、午後になっても結論には至っていないのである。これには理由があった。村人たちは、寄り合いの中で筆者に古文書を貸すかどうかについて議論している間に、それと関連のある話題に話を移し、さらにそれと関連のある話題に話を移すということを繰り返し、しばらくしてから再び古文書の話に戻るのだが、いつの間にか、またこれに関連のある話題に話が移るというようなことを繰り返すため、筆者に関する議論の結論を導くことに時間がかかったのである。このようにして見ると、大変のんびりしているように感じるが、少しずつではあるが、話はしっかり発展しているのだ。
このようにして、決して結論を急ぐことなく話し合い、関連する話題を語り合うなどを繰り返し、村落共同体の一員として、地位に関係なく皆が互角に意見を言い合い、村人全体の共通認識を作り、議論の解決策を模索していくのである。このことを上手く表現しているのが、「寄り合いの場で食事をしたり、寝たりなだして、結論が出るまで話し合いは続いた。三日でたいていの難しい話もかたがつくが、皆が納得のいくまで話し合った。だから、結論が出ると、それはしっかり守らなければならなかった。」、という部分だと思う。このような皆が納得するまで話し合うというやり方は、現代の多数決を原則とする民主的なやり方から考えると、とても「非効率的なやり方」に見えるかもしれないが、しかし、「皆が納得のいく結論を得ることが最重要課題」としているため、あえて時間をかけていると考えると、我々もこのやり方に納得できるのではないだろうか。というのも、このような村では農業、漁業を含めた日常生活を村の人々みんなで協力して行う必要があるため、地位が高い人間だけの意思を尊重したり、多数決で結論を得たりするより、時間をかけてでも、皆が納得する形で決着をつけることの方がより大事なことだったのではないだろうか。

これまで、「忘れられた日本人」と似た種類の本は今まで他に読んだことが無かったので、とても新鮮で自分の新しい興味の領域を開拓できた気持ちであった。これを機に、これからも社会人類学系統の本も積極的に読んでいきたいと思う。

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