2009年12月14日月曜日

【ホンヨミ!1211①】バルサとレアル スペイン・サッカー物語【田島】

投稿が遅くなり申し訳ありません。

バルサとレアル スペイン・サッカー物語 フィル・ボール著

「フランコ独裁政権」というテーマの課題レポートを書くために借りた本。結局このサッカーネタはレポートには書かなかったのだが・・・。

なぜサッカーがフランコの独裁政権と関係があるかというと、スペインのサッカーからは、独裁政権によってさらに強化された地域間の抗争を読み取ることができるからである。
スペインはもともと地域の力が強い国であった。それぞれの地域で独自の文化が形成され、スペインという一つの国の中にもカスティーリャ語(スペイン語)、カタルーニャ語、バスク語など様々な言語が存在している。しかしスペイン内戦の後政権を手にしたフランコは中央集権を達成するために、公の場でのカスティーリャ語、バスク語の使用を禁止するなど非常に厳しい規制を地域に対して行なった。言語を奪われるということは、文化全てを奪われることである。結果地域からの反発は強まり、バルセロナ(カタルーニャ語地域)&バスク(バスク語地域) vs. 首都マドリード(フランコ政権)という図式が出来上がっていく。スペインの国内サッカーリーグにおけるレアル・マドリードとFCバルセロナの試合は、日本の阪神巨人戦を越える因縁の戦いとして認識されているが、それは観客たちが地域間の抗争をサッカーの試合に投影しているためであると言われる。

スポーツは本来純粋な行為であるといえよう。しかし、しばしば国や地域といったバックグラウンドから勝手に意味づけを付与されてしまう場合がある。例えば我々にとっての一大イベントである「早慶戦」(名前の順序ですら白熱する)はなぜ盛り上がるのか。なぜ立教戦じゃダメなのか。それは野球の試合が、早稲田と慶應という、学力に甲乙つけがたく均衡している(と思われている)2校の優越を決めるかのようにとらえられているからである。またWBCの日本対韓国戦の騒動も記憶に新しい。甲子園もそうである。スポーツに勝手な意味づけを行なうのは、観客でありメディアである。チーム側が注目度を高めるためにあえて煽ることもあるが。
スポーツもまた、ソフトパワーの一種ではないだろうか。中国はオリンピックを利用して発展を世界にアピールしたし、選手の性別を偽ってまでメダルをとりにいったという疑惑のある国すらあるほど、スポーツの結果はその国のブランド・イメージを大きく左右すると言ってよい。

スペインの地方分権はなかなか理解が難しかったのだが、サッカーを通してより馴染み深い形で理解することができた。言語も違う、文化も違う地域を抱えるスペインがどのように一つの国の総体を形成しているのか、さらに調べてみたいと感じた。

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