2009年11月24日火曜日

書評 神々のWeb3.0 小林雅一著

まずタイトルがかっこいい。この本はわずか1年前に執筆されたものだが、twitterやライフログ、クラウドという言葉さえ一切出てこない。しかし、そのプロトタイプや同じ原理のものを紹介している。改めて、私は「デジタル激動の時代」に立っていることを思う。

本書を読み解くキーワードは「アテンション・エコノミー」だ。マルサスの予言は外れ、人々は産業革命により飽食の時代を見ている。さらに、情報革命により、我々は情報の洪水に溺れている。しかし、おそらくこの先いかなる革命も覆せない希少資源がある。それこそが人々の関心、attention あるいは reputationだ。もはや豊穣な誤謬として認識される昔ながらの経済学では、100台のテレビが売り場に並べられたとき、全てのカタログを読破し、耐久性、価格、ディスプレイの画素数、保証年数、保証内容、修理工場の数、カスタマーセンターはフリーダイアルか、など無数の判断基準に照らし合わせて、総合的に購買行動がなされるという前提に立つ。しかし、そんなことをする人はおらず、むしろイメージガールの好みやブランド名などといった不合理な基準で購買行動を行う。これは行動経済学の原理でもあるが、その根本にあるのは、「人の関心が有限である」というアテンション・エコノミーのルールだ。

「収益性を度外視して人集めに奔る」という行為は、もはやシリコンバレーの常識だが、経済学的には不合理すぎる。しかし、アマゾンやグーグルもそうやってきたし、twitterやyoutubeも同じ道の途中だ、ゴールにたどり着けるかは別として。人の関心が金を生むという発想は、サイバースペースの世界には非常に合っているのだ。なぜか?それは全てがタダだからだ。ニュースや写真は今や全て無料で手に入る。従来メディアの経済的価値は失われた。しかし、社会的、文化的価値は失われていない。経済的価値を取り戻す立った一つの方法がある。それは人々の関心を利用することだ。

さらに突き詰めると、関心が経済的価値を生むのではなく、関心が経済的価値そのものになりつつある。なぜ、誰にも知られないのにペンネームでブログを書くのか?なぜ、歓声を浴びることがないのに、MAD動画を作り続けるのか?それに何より、なぜお金を生む勤務時間に怠惰でも、お金を生まないこれらの行為に貴重な睡眠時間を削れるのか?ただ、アクセス数が増えて嬉しい、それだけの理由で。それはお金より関心に重きを置いてるからだ。ごく少数の貧困層は別として普通に生きていれば、好きなものを食べて、好きな服を着て、車もバイクも、少し頑張れば家だって買える。小さいながら、自分の世界を持つことができるのだ。逆に言えば、いくらお金があっても、それ以上のことはできない。いくら頑張ってもフロリダに別荘を持つことはできないし、プライベートジェットを持つこともできない。悪ふざけで道を踏み外すこともできない。豊かな暮らしとは、そういうものなのだ。金だけのために生きる人は得てして、金のために働いていない。そんなものは十分にあるからだ。金を持っていることによって生まれる関心を享受したいのだ。つまり、お金は関心のための手段となりつつあるのだ。そんな状況で、ネットによるattention oriented architectureは理解しやすい。関心という目的が得られる場で、手段であるお金を生み出す作業は、完成したジグソーパズルをバラバラにするくらい簡単なことなのだ。


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