2009年11月26日木曜日

【書評】教員評価【田島】

「検証 地方分権化時代の教育改革 教員評価」苅谷剛彦ら著、岩波書店
教師は生徒に通知表を通して評価をつける。では、教師は一体どのように勤務評定されているのであろうか。2000年代から導入が志向されているより成果主義的な「新しい教員評価」について、本書は宮崎県
の実例を挙げて検証をしている。
「評価」を研究対象としているため、教育現場以外での組織を考える際にも活用できそうな内容が多く、面白く読むことが出来た。

【印象に残ったポイント】
・「改革」とは受け手との擦り合わせで改革案が「受容される形」に変化する過程までを言う。

宮崎県において、行政側が最初提示した評価制度(積み上げ式)は現場からのフィードバックを受けてより受容されるもの(チェック方式)に変化した。これに対し筆者は、「改革案をより現場の文法にあったものに緩和することは妥協や後退ではないし、緩和されても最初投げかけたこと自体でメッセージは伝えられている。」、また「『改革』とは送り手からの一方的な改革案そのもののことではなく、それが現場に合う形に翻訳されて定着するまでを言うのだ。」という主旨の記述をしている。わたしはこれに非常に刺激を受けた。

代替わりも近づき4期生が主体で何かをやることが増えてきた。自分も微力ながら実際やってみてわかったのだが、何か新しいことを提案するのってとても勇気がいることである。少しでも上手くいかないと「自分のやり方だめだったんだあ」と凹む。凹んで臆病になる。これからは上記のような考え方を導入して自分のモチベーションを維持していきたいし、他の人にも寛容になりたいなと思う。送り手と受け手は違う人なんだから、最初は受け手に完全にマッチする案を出せないのは当たり前。提案したことは無駄ではなく、そのこと自体でメッセージを伝えられているのである。


・評価方法 積み上げ式とチェック方式 ~どこまで理想のモデルを提示するか。

宮崎県の例では「積み上げ方式」と「チェック方式」という2つの評価方法の種類が提示されている。「積み上げ方式」とは、目標達成をレベルわけする方法、「チェック方式」は要素ごとに目標達成を見る方法である。例えば、金先生の提唱する「voice or die」も一種の「積み上げ方式」である。「質を気にせずたくさん発言すること」が「レベル1」、「発言の質を高めること」が「レベル2」というように求める行動をレベル分けし、低いレベル(レベル1)を達成してのちより高いレベル要求する評価方法である。この方式のメリットとしては低いレベル→高いレベルと一つの人材育成モデルを明示できることで、送り手側からのメッセージ性が強い。逆にデメリットとしては、低いレベルができていなければ、高いレベルが部分的に達成されていてもそれを評価しないことから、受け手の納得感が低いことである。さらに、送り手の提示する人材育成モデルが、受け手個人の持っている理想像とズレが有る場合、抵抗感が強くなる。

どの程度目標、理想のモデルを提示していくかについては現在の金ゼミでも直面している問題である。多様な価値観が混在しているなか、一つの目標を提示するということはとても労力のかかることであり、権力など「浸透させるための補助的力」が必要となってくる。だからといって「多種多様だから」という理由で統一された目標を作ることを諦めることもまた問題ではないだろうか。組織のスタンダードを作らなければ、人が「その組織にいたい」と思わせる理由すら失わせてしまう。多様性を承知で一定の目標を提案する行動力、しかし構成員をそれにガチガチにあてはめるのではなく、エゴイスティックなコミットを認める寛容さ、この2つの側面が合わさって上手くいくのではないかと考えた。実際、宮崎県の例でも積み上げ式は受容されなかったが、行政の求める目標を伝える手段としては有効であった。目標提示によってうまれる摩擦は組織にとってポジティブなのかもしれない。

・評価と給与は関連させるべきか ~報酬というインセンティブの有効性

「新しい教員評価」を教師の給与と関連させるかについては激しい賛否両論がある。そして教師たちの間では否定的な意見が多い。これは教育現場には(有名校への合格者数は別として)、売り上げやノルマなどといった客観的普遍的な評価指標が存在しないことが関係していると考えられる。「成果」の定義が曖昧なため、成果主義的な評価が給与にまで影響することに抵抗感を感じるのであろう。

一見すると、「報酬」というインセンティブは必ずいいモチベーションにつながるように思えるが、実際はそうではない。「報酬」は往々にして目的と手段の履き違えを引き起こすと私は考える。多様性があっていいという場所に「報酬」が出現すると、全員がその方向に画一的になる危険がある。またそういう場合、「報酬」をもらえる部分まで達すると人はとたんに頑張らなくなってしまう。
みんなの意欲がある場合には、むしろ「報酬」を用意しない方が、自由に自己表現が行なわれるのではないか。例えば、もし金ゼミの単位評価が「発言の量と質」によって決まるなんてルールだった場合、議論の時間はもっとぴりぴりしたものになっていると思う。

・教員評価について
私は教員評価に対して(それを給与に関係させるかは別として)、授業を受ける側である生徒からのフィードバックも不可欠だと思うのだが、どうもそういう話が出てこない。今度母校に行くので、その時それが何故か探ってみたい。

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