2009年9月6日日曜日

旅行中だからこそ考えられたこと

 9月1日から4日まで、父の実家で祖父母が住む滋賀県の田舎と京都を旅行してきました。
高校2年生の時までは休みになると必ず訪れていましたが、近年は何かと予定があり訪れることができなかったので2年半ぶりの滞在となりました。といっても、祖父母とも老人ホームに入ってしまったので、以前のように田舎の家でゆっくりというわけにはいきませんでしたが、自分にとって今回の旅行はとても有意義なものでした。

 祖父母の家に行くときは決まって私と父の二人で行っていたので、今回も父と二人で訪れました。家にいるときはほとんど会話を交わすことのない父でしたが、今回の旅行でたくさん父と話す機会があり、常に共に行動することで普段見ることのない良さや、人間性について考えることができました。
まず、仕事に対する価値観について。ちょうど私は将来やりたいことやつきたい職について何も考えがなく、進路をいずれは決定しなければならないことへの不安を持っていたので、「仕事は最初からやりがいがあるかないかなんてわかるもんか。人に依頼されて、役に立って初めてそこでやりがいがでてくるんだ。」という父の言葉はとても刺激的でした。それが正しいか否かは別として、一つの仕事に対する価値観としてそれはとても大切なことだと感じました。このことからも、父はとても物事に対して忠実な人なのだと思いました。そしてそんな性格がさらに表れ出たのは、自分の両親(祖父母)に対する態度でした。祖母は特別老人ホームに入っていて、もう父のこともほぼ認識することができません。そうであるのに、父は前回訪問していたときに、祖母がアロエヨーグルトを美味しそうに食べていたことを思い出し、時間がない中、スーパーまでヨーグルトを買いに駆けつけていました。また、少しでも祖母を楽しませようと一生懸命に何か話しかけていました。また、祖父はまだ健康なので、京都の旅行にも行きましたが、その時も父は祖父に負担をかけないように、楽しませるように、あちこち駆けずり回っていました。
こうした面は決して普段の生活の中では見ることができなかったので、私は父のことを好意的に見ていませんでした。しかし、父はこのような面を持っていないのではなくそれが滋賀の祖父母の方を向いているだけなんだ、ということがわかりました。

 そこで私が気付いたことは、自分は親のことを一人の人間としてみることができるようになった、ということです。今までは、上手く表現することができませんが、親は絶対のもの、親以外の何物でもないと考えていたのかもしれません。親が自分と対等の一人の人間である、ということに気づけていませんでした。親だから好きでなければならない、親のくせに・・・ とかそのような感情から超越して一人の人間として冷静に見ていくこと。自分のなかで自分と親との関わりが、一歩ステップアップしたような気がしました。

と、こんなことを考えることができたのも旅行ならでは。パソコンや携帯もほぼ使用せずに、目の物事や人だけを感じたり見続ける。普段の生活ではできないことです。
滋賀県守山市の本当に本当の田舎町、京都の鞍馬、岡崎、嵯峨野、嵐山。夏休みのシーズンも終わり少し静まり返った行楽地で、私の精神もほんの少し旅行をしました。

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