2009年9月1日火曜日

【夏休み書評】「2011年新聞・テレビ消滅」を読んで

 こんにちは!おーがです。一日早いですが明日は予定があるため、今日ブログアップをさせて頂こうと思います^^歴女シリーズはお休みして、今回は書評をアップします。今月中旬から参加することになったインターンシップの事前学習も兼ねまして読みました。

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佐々木俊尚著「2011年新聞・テレビ消滅」(2009年、文春新書)

 新聞が無くなる。テレビの視聴率は減少する一方…。そう言われて久しい。かつて大きな力を持っていたマスメディアは、今や「斜陽産業」となり、インターネットの力の前に平伏す存在となってしまっている。何故このような状況に陥ってしまったのか。マスメディアが今後力を維持するためにはどうしたら良いか。本書の題名は「新聞・テレビ」となっているが、現代のプラットフォームビジネスにまで言及されていて非常にわかりやすくまとまっている。知識を再整理するためにはうってつけの本だ。今回は、インターンの事前学習を兼ねているので新聞業界の現状に特化して読むこととした。

 何故日本の新聞が読まれなくなっているのか?その理由には、以下のようなものがある。

●マスメディアからミドルメディアへ
 マスメディアの「マス」というのはその名の通り「大衆」という意味だ。しかし現代日本社会において、「大衆」は存在しなくなっている。皆が好む「国民的流行曲」は存在しないし、世代を超えた共通の好みや話題も無い。社会が豊かになればなるほど、人々の個人主義が高まり、「皆が好きなもの」よりも「自分が好きなもの」を求めるようになったのだ。このような状況下で、大衆向けの情報は求められなくなっている。人々が求めるのは、自分の趣味に特化した情報のみだ。ミドルメディア―すなわち個人ブログやホームページなどが発する、「特定の集団に向けられた」情報の方が力を持っているのはそうした「人々の個人化」が原因にある。
●マス広告からターゲティング広告へ
 新聞の業績悪化の原因として、「広告」による利益が得られにくくなったという事実がある。ではなぜ広告主は新聞広告を載せないのか?理由は簡単だ。「マス(大衆)という、誰だかわからない集団に対して広告を打ち出すよりも、ターゲティングのしやすいミドルメディア向けの広告を打ち出す方が、確実な利益に繋がる」からだ。とりあえず広告を出しておくか、という意識はもう時代遅れなのだ。

●プラットフォーム化する世界
 かつての新聞業界は、「コンテンツ=新聞記事」に加えて、それを配信する媒体である「コンテナ=新聞記事」、そしてそれをさらに人々に配達する役割を担う「コンベヤ=新聞販売店」の全ての権利を担っていた。しかし現代のプラットフォーム化する世界において、こうした垂直統合は成り立たなくなっている。コンテンツがインターネットを介して、個人ブログやホームページ、2ちゃんねるなどの様々な場において配信させるようになったのだ。かつては全てを支配する「神」の領域に達していた新聞業界の在り方は、もはや消えてしまっている。


 ではこのような状況を打開するためにどうしたら良いのか。作者は、「マスメディアに代わる新たなメディアを生み出せばよい」としている。しかし私は、こうした厳しい状況下だからこそ新聞の役割に期待したい。私はボランティア活動を通して数多くの新聞記者の方々とお会いしたが、彼等は皆自分の仕事に誇りを持っていた。一人の新聞記者の方が私に言った言葉が忘れられない。「新聞記者は、社会の中にある暗闇に光を照らす仕事をしている」‐まさにその通りだと思う。ミドルメディアに対するニーズは高まっているかもしれないが、新聞という歴史ある存在が築き上げた力こそ、「権力を監視する」ために必要なのではないか。より綿密で正確な調査報道を進めれば、新聞が「消滅する」ことはないと思う。
 またそれと同時に、新聞を配信する媒体をもっと色々なところに広げても良いのではないかとも考えている。amazonが開発したワイヤレス機能リーダーkindleのように、「新聞を気軽に読める機械」を新聞社独自に生み出せば、より新聞が身近な存在になると思う。

 新聞に未来はある。私はそう信じたい。

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