2010年1月16日土曜日

今年度最後のゼミ

 今年度最後のゼミ。来年に向けたコンセプトについて話し合った。みんなそれぞれ足りないと思っていることや、改善すべきだと思っていることがある。ここがだめだと思うから、自分はかかわらない、手を引くのではなく、その意見を各々が反映させていくことで、ゼミは形づくられていくのだと思う。しかし、ある程度ゼミの方向性や、最低限のルールはすでに存在するわけであるから、どこまでその意見を反映させるべきなのか、が難しいし、考えるべき点だと思う。

 「社会を飲み込む力」=創造力をつけること、が大きな目標でありコンセプトになる、と自分は解釈しました。社会をに見込むとは、社会で解決済みの問題や、また権威ある人の主義主張に追従するのではなく、自分たちなりに新たな観点、切り口を見つけ出し、独自の意見を持つこと。こうすることにより何かを言われたときに、新しい価値をつけて言い返すことができる。そのためには、「行動力・伝達力・思考力」をきたえなければならない。それはゼミの普段の活動であるプレゼンや読書を通して個人が身につけていくものであり、またそこにグループワークや議論というゼミとして人が集まることで可能となる活動が加わることで鍛えられる。しかし、それを行うには原動力が必要だ。この原動力が「問題意識」だ。問題意識を持たなければ、何を議論すべきなのか、何を考えればいいにのか、何を伝えればいいのかもわからない。私は問題意識を持つことは、すごく難しいと思う。事実、私が1年間、ゼミで学んで、自分なりのしっかりした問題意識を持てたとは言えない。論文など通して思ったことは、やはり問題意識を持つためには知識や情報は本当に必要だと思った。今回の話し合いで、来年のゼミの内容をどうするべきかと考える際に、結構その辺を改善すべきではないかと思っている人が多かったと思う。(というか私はそう思う。)この1年間で、ゼミを通して本当に多くのことをやったと思うが、自分のなかでそれらを通して学べたことは割と断片化している。正直、もっとひとつのテーマについて深められたら、と思うことが多かった。確かに、やっていることはみな、「社会で未解決なこと」、「社会の新しい動き」、「思考力・行動力・伝達力」を高められるもの」、という点で一貫性はあったと思う。でも、やはり社会に出たときに、飲み込まれるのではなく、飲み込むための意見を示すには、もっと確固たるバックグラウンドが必要なのではないかと思った。それは、「社会で未解決なこと」、「社会の新しい動き」、「思考力・行動力・伝達力」を高められるもの」などのコンセプチュアルなことに加え、もう少し実質性がほしいと思った。言い換えれば、学問的な専門性。でもこれは別にこのゼミでやるべきことなのではなく、個人個人が学部ゼミなどでやるべきなのかな、とも思いますが、まだ自分なりに結論が出ません。
 今日ある授業で聞いた話なのですが、ある分野(学問)を究めた人は、その分野を通して理屈をこねたり結論づけたりすることができる。その分野を通して社会を見ることができるから。その分野が自分が社会を見る定規になる。
 要するに学生のうちに、経済、法律、憲法、など(割と専門的で確固たる分野?)を学んでおくと強いよ、ということらしいのですが、金ゼミにもこのような、社会を見る定規となるような分野をしっかり学ぶという要素も必要なのでは、と思っています。

 

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