2009年12月5日土曜日

【ホンヨミ!1204①】ウィキペディア・レボリューション【岸本】

 程度の差こそあれ、Wikipediaは私たちの生活の一部にすっかり溶け込んだ。分散型、フラットな組織、荒らし…様々な文脈で登場する、現在のウェブの象徴の1つ、Wikipediaの裏側を追った一冊。


 

 Wikipedia万能論を唱える人、Wikipediaは永遠にレポートのリファレンスに使われるべきではないと考えている人、とにかくWikipediaが好きな人、言語学や哲学が好きな人。などなど様々な人に読んでもらいたい。



 とにかく、本書で描かれているのはWikipediaが壮大な実験場であるということ。そして、成功のロールモデルを未だに模索しているということ。この2点だ。


 

 「Wikiって哲学のフォーラムやシンポジュオンに似ているんじゃないか。てか利用できるんじゃね?」などと個人的に前々から思っていたところ、その予感は思わぬ形で的中していた。

 Wikipediaのスタートアップ時の3人はもともと初期インターネットの哲学フォーラムで知り合ったとのこと。客観主義哲学や当時の共有文化であったハッカー文化(のちのオープンソースにも繋がる)からWikipediaは生まれた。



 Wikipediaもたくさんの失敗を重ねた。当初は投稿者は厳しく審査され、投稿内容も多くの限られた編集者による厳しい検閲を通じて行われた。これでは流行らない。

 「指示さえ明確ならば、多くのボランティアたちがこのような複雑なシステムを我慢強く利用してくれると思い込んだことだ。」と創始者のひとり、ラリー・サンガーの発言にもあるように、やはり明確さ以外にも、参入しやすさというものがCGMには必要だと言える。



 また、広告収入を目指そうとしたときもあった。この時、スペイン語版の編集コミュニティがごっそりWikipediaから退去し、別の百科事典サイトを立ち上げてしまった。

 ここで大きな痛手を負って以来、広告収入に頼るという事態はWikipediaでは2度と起こっていない。



 細かい変化は多いものの、核となる仕組みは同じだ。それは履歴の保存を第一に据え、投稿者に「大胆になれ」と様々な変更を認めることだ。

 言い換えると、編集の取り消しやすさと失敗の許容が認められる。どんなに議論が紛糾してもワンクリックで元に戻すことができる。

 保護、半保護や管理者などはこの原理を支える仕組みに過ぎない。



 しかし、世界で5番目にアクセス数の多いサイトとなった現在、「大企業病」(あるいは「イノベーションのジレンマ」?)がWikipediaを襲っている。

 例えばそれはルールの強制力の厳格化だ。(例えば改変やパクリを認めるコピーレフトからクリエイティブコモンズライセンスへの変化)それに失望した優れた書き手の引退というものもある。また単純にルールの複雑化による新たな書き手の減少というのもある。

 Wikipediaの歴史を踏まえると、ルールを分かり易いものにし、新規投稿者の参入のし易さを改善すること。更に何重かの階層構造にして、管理者だけヒエラルキー的に運用すること。こうした対策が現在必要なのではないか。


-------------------------------

 

 単純に面白いWikipedia知識もある。例えばポーランドのダンツィヒという都市のもう1つの呼び名「グダニスク」。ダンツィヒとグダニスクで熾烈な編集合戦があって、時代ごとに折り合いを付けたということ。



 また、英語版以外の各言語のWikipediaを見ると興味深い。どうやら一番編集合戦が穏やかなのは日本語版らしい。各言語の表記も問題で、CJKとまとめられる中国、日本、韓国の文字には手を焼いたみたいだ。また中国語の繁体字と簡体字の問題はユーザーによって解決された。

 カザフスタン語版も面白く、ラテン文字表記とキリル文字表記、更に右から左に書いていくアラブ語表記の3つが入り乱れている。また、もっとマイナーな言語も存在する。「古英語」やら「アラム語」やら「古代教会スラブ語」やら「チェチェン語」やら色々ある。また、似たような言語でも現実の主権国家体制、およびその国民化に基づき、Wikipedia上では分けられてしまう。



 また、忘れてはいけないWikiそのものにも大きな設計思想が潜んでいる。Wiki Wiki Webを開発したウォード・カニンガムは建築家のクリストファー・アレグザンダーの考えた「パターン・ランゲージ」に大きな影響を受けたという。

 アレグザンダーは、ユーザーのニーズを満たす建築はユーザー自身によって設計されるという考えに基づき、ユーザーが建築家と意志の疎通を図り易いように「共通言語」として細かい建築のパターン事例を設けた。

 アレグザンダーは建築家が一から十まで設計してしまうのではなく、「遊び」を設け、利用者と共に改善するという概念を建築に持ち込んだ。


 

 カニンガムはこのアレグザンダーの考えを更に推し進め、「エクストリーム・プログラミング(XP)」という開発手法を生み出した。

 いわゆる「アジャイル」と呼ばれる開発手法での代表格となったこのXPはよりユーザーの潜在的なニーズを引き出すことが出来る。とにかくプロトタイプというカタチに落とし込み、ユーザーを交えてテスト、そしてそのフィードバックを活かした改善、そしてまたプロトタイピング…という作業を素早く、反復して行う。

 


 これはデザイン思考に似ていると言える。整理すると以下のようになる。


- パターンランゲージ/Wiki

 設計者とユーザーが共通の前提を持って、共通の言語でやり取りする

- デザイン思考/XP

 設計者がプロトタイピング、ユーザーテストを繰り返すことでユーザーの潜在的ニーズを汲み取る(より「人間中心」)


 どちらも履歴を保存することによって素早く様々な改良を加えることができる。前者はかなりのコミュニケーションコストがかかり、後者は定量的にしろ、定性的にしろ熟練した分析を持たなければ、結果として時間的、経済的コストがかかる。

 ただ、後者は人間中心である、言い換えるならば直感的に使える、シンプルであるものである。

 現在の閉塞しつつあるWikipediaの現状を踏まえると、やはりユーザー、特に数多の編集者の使い勝手を意識したモデルへと変化すべきではないか。ただ、やや硬直的なので外部からの変化への圧力みたいなものがあってもいいのかもしれない。



※参考文献(どっちもPDFで読めます)

 Wikiの起源と進化 / 江渡浩一郎

 伽藍とバザール / エリック・レイモンド

0 件のコメント:

コメントを投稿