2009年8月31日月曜日

夏休みブログアップ【栫井】

アップが大変遅くなり、すみません。

8月17日から10日、メディア産業実習の授業の一環で、某ファッション雑誌のインターンに行かせていただきました。

企画の打ち合わせ、スタジオでの撮影、ブランドの展示会、取材、そして街中でのスナップ撮影と、誌面を創っていく、さまざまな作業に参加しました。華やかに見える雑誌の裏側は、思っていたよりも地道で、マスコミの方がよくおっしゃる意味がわかった気がしました。一つの企画を出すのに、昔の雑誌を読み込み、現在のデータをとって、きちんと裏づけをしていかなくてはならないということ。スナップ撮影で一つのカットを撮るのに、炎天下で何時間も立って女の子に声をかけていかなければならないということ。アイディアを出し合って、どんなシチュエーション・ロケーションで撮れば一番効果的かを考えて、出来上がった写真を見たとき「良い物が撮れた。すごく可愛い」と言っている編集の方を見て、その写真が仕事の原動力になっているんだろうな、と感じました。

やった仕事の中に、昔の雑誌から今回の企画の資料をコピーする作業があり、創刊(1975年)からの雑誌を読んでいたのですが、昔は一冊一冊の重みが違う!比喩的な表現ではなくて、本当に厚さが違って驚きました。1990年代、2000年代前半の雑誌は、めくってもめくっても広告ばかり・・・。1つ1つの企画の合間に何ページもの広告がはさまっていて、時代の違いを見せつけられました。昔は広告が進んで雑誌に入れて欲しがっていたのに、最近はシビアになってきて、広告を入れられるように自分たちで考えていかなくてはならないとのこと。(アイドルを出すなら、そのアイドルがやっているCMの製品を入れるとか)雑誌は時代を象徴する代表的なメディアだと思います。誌面だけでなく、広告でも象徴しているとは思いも寄りませんでした。

ちなみに、私が行ったのはいわゆる赤文字雑誌の編集部だったのですが、ハーフを多く起用しているだけあって、モデルのスタイルが本当に良い!股下だけで私の腰を越えてるんじゃないかと思いました・・。
編集部の女の人も、お洒落で細くて肌が綺麗!そんな人だから雑誌を作っているのか、環境が人を作るのか・・うらやましい限りです。

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8月が終わろうとしていて、夏休みも残り1ヶ月を切りました。
もっとたくさん刺激が受けられるように、もっともっとアグレッシブに、もっともっとエゴイスティックに日々を過ごしていきたいです。

最近いろいろな面で、自分は空っぽだな、と感じることが多いです。
でも、空っぽなのは良いことだと思っています。素直にいろいろインプットされていくから。

2009年8月30日日曜日

政治とアニメ

 こんにちは。今日不在者投票に行ってきましたが、人であふれていて今回の衆院選に対する関心の深さを身をもって感じることができました。

 さて、投票を行う上で各政党の政策、マニフェストを比較するのは当然のことで、主に景気対策や雇用、教育・子育てなどに注目が集まっています。しかし今回のブログではアニメと政治のかかわりについて少し書きたいと思います。

 僕が以前から書評をアップする際にも取り上げていた「国立メディア芸術総合センター(仮称)」というものに対する自民党と民主党の対応の差が一部で注目されています。この「国立メディア芸術総合センター(仮称)」は、「クールジャパン」と称され、海外でも注目を集めている日本のアニメやマンガを「芸術」としてとらえ、国が117億円の予算をかけて施設を作るといったものです。
 この建設案は自民党が提案したものですが、民主党は「箱もの行政でしかない」と大反対しています(http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/090828/osk0908280303006-n1.htm)。実際にアニメーター側からの意見でも反対が多く、「お金を出すなら現場に使って」「アニメを政治の道具にしないで」といった意見も出ています(http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090822AT1G3001Z21082009.html)。
 実際、クールジャパンと騒がれている割にはアニメーターの現場の厳しさは一般職のそれとは比較にならないほど厳しいものです。http://www.mypress.jp/v1_writers/tyryk/こちらのサイトにもまとめられているように、新人アニメーターの月収は6万円ほどでしかありません。そんな業界でも世界一のクオリティの作品を作り続けている日本アニメーション業界を突き動かすエネルギーは、アニメーターの作品にかける情熱である、と僕は思います。ただ単純に好きだからつらくても頑張ることができる。
 しかし、そのアニメに「政治」という要素が絡んでくるとどうしてもその情熱が冷めてしまう気がしてなりません。現場のことをしっかりと理解していない政治家に「クールジャパンだ。」と言われて膨大な予算の下、ただ施設をつくられてもそれは作り手の声を無視したただの箱でしかないのです。

 そもそも日本は「クールジャパン」を推進していますが、その政策に明確なビジョンがあるとはとても思えません。

【90年代から「クールジャパン」が議論されるきっかけとなったグローバル化やネットワークによる自由なコンテンツ流通は、国内外の消費者が積極的にメディアコンテンツに対するアプローチを行うようになった結果であった。しかし、事業者はその状況を活用することなく、むしろその進展を否定し、抑える方向に走る傾向が強かった。そのため、近年になっての従来の流通経路の崩壊ショックはより大きなものとなり、その国内市場のテコ入れにコンテンツ産業促進政策が費やされ、本来的な目的である積極的な海外展開にまでは手が回らない状況が続いている。

 加えて、日本固有の商習慣やメディア産業構造による海外との取引の困難さ、日本市場と比べて対象となるアジア圏の個別国市場規模では圧倒的な違いが確実にある。国際展開を望まれている当事者=メディアやコンテンツ事業者にとっては、大きなコストをかけて国際展開するメリットはあまり見えない。日本だけでも十二分に儲かるのだ。それゆえに、まさに「ガラパゴス島」状態が続いてきた。】

 という風な記述がこちらのコラム(http://japan.cnet.com/column/yuji_mori/story/0,3800087763,20392031,00.htm)にある。まさしく日本のアニメ、コンテンツに対する政策は、細かい部分で修正されながらも大きく見れば変化していないのだ。
 僕自身はやはりまず現場を見直すべきだと思う。ニコニコ動画や同人市場がにぎわい、さらにネットツールの進展で「誰でもプロクリエイタ―になることができる。」と言われている時代であり、確かにネットで注目を集めプロになったクリエイタ―もいるが、やはり賃金や労働環境の面で、いざプロになるというとどうしても障壁が高くなる。現場環境が整備されないままならば、これ以上の成長は見込めず、また明確なビジョンがないまま政治道具にされることで、モチベーションの低下にもつながる。
 モノを創るのはヒトである。そのヒトのことを第一に考えた政策を打ち出してほしいものです。


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 そんなこんなでぼくのなつやすみも後半戦にさしかかろうとしてますが、前半戦はびっくりするほど誰かと一緒にいます。
 4期生とも絡むことが多く、なかなかに楽しい夏休みです。最後に写真でも貼って終わります。







2009年8月29日土曜日

最近の出来事

すみません、一日勘違いしていました!!;;
遅ればせながら、夏休みのブログアップです。

韓国から帰国した後、すぐに新潟のサークル合宿に赴き、それから数日間富山の祖父母の家でのんびりと過ごしました。
それ以降は、主に懐かしい友だちたちに会う楽しい毎日を送っています。
授業がある期間は課題やサークルでほぼ毎日予定が埋まってしまっていて、なかなか大学外の友だちと予定を合わせることができませんでした。その分、久しぶりに再会した友だちから、会えなかった間のいろんな話を聞くことができました。
「友とぶどう酒は古いほど良し」という諺が(確か)あったと思うんですが、昔からの友だちは自分のことも相手のことも知っている分、会っていてとても落ち着きます。不思議ですがなんだか自分の一部のような気がしてきます。友だちと過ごした思い出が今の自分を作っているからそう感じるのかなあと思います。
中・高と同じ授業を受けていた友だちたちは、今はすっかりそれぞれの進路で頑張っていました。大学では出会えない違う分野で頑張っている人と対等に楽しく話ができることも、昔からの友人と会うことの楽しみの一つです。
それぞれがそれぞれの経験をしているから、友だちの話す言葉は、自分の今まで気がつかなかったことをたくさん教えてくれます。例えば、就活を経験した高校時代の部活の先輩の「就活は楽しい。試験現場でいろんな知り合いが増えるし、いろんな業界の会社のえらい人に直接会って質問できる。こんな機会は人生でそうそうないこと。」という言葉は、今までネガティブなイメージしかなかった就活も、人によってはこんなポジティブに捉えられるのかとびっくりしました。
管理栄養士の資格取得を目指している友達は、病院においての管理栄養士の地位が理想に反して低い現状をなんとか打開できないかと真剣に考えていました。帰宅して調べてみると、この話題は栄養士や病院医療の世界でとても問題になっていることでした。外国から取り入れた「チーム医療」の概念が結局日本では教科書のなかの理想論になってしまっていること。病院において栄養士の地位は看護士よりも低く、多くの栄養士が病院の人目の触れない地下などで働いていること。現代「食育」はますます注目されているにも関わらず、栄養士が直接患者に栄養指導をできる環境は十分ではないみたいです。友だちが直面していなければ、全く知る機会もなかったであろう問題でした。
友だちに会うと、バカみたいな話をして、自分を飾らないでリラックスできると同時に、身をひきしめられる思いもします。進む分野が違っていても、その道その道で悩んで考えて行動して、真剣に生きている人はなんて多いんだろう!友だちだけでもこうなのだから、私がまだ知り合ってない人の中にも、きっとたくさんいるんだと思うと、私もがんばろうとすごく思います。

大学から知り合った友達や、金ゼミのみんなとも、将来こんな友だちになりたいなあと本当に思います。そのためにも、私自身がまた会いたいって思ってもらえるような人にならなくてはと思います。

8月に吸収したことをいかして、
9月は自分を育てる夏休みにしたいです!

2009年8月28日金曜日

九州、天草の旅

東京に昨夜戻ってまいりました、小山です。
インターネット環境が整っている、っていいですね、T内君。


というわけでだいぶ遅れましたが、ブログアップです。

九州から帰ってきたばっかりなのでまずは九州報告。
私も皆のように写真を上げたいけど、写真は友人がくれるまで手元にないので、文章だけで。

九州はまだまだ夏も盛り。連日が真夏日でした。そこで、まだ海に入れるだろうと高校時代のクラスの友人たち8人で熊本は天草の海に行くことに。朝5時半集合で出発。途中で所々に寄り道したので、天草についたのは昼の12時前。それから昼ご飯を食べることも忘れ、ひたすら、はしゃいだ。子供のように、ひたすらに、あそんだ。
日が暮れる前に旅館にチェックインするために海を離れる。
しっとりとした砂浜を離れ旅館に到着。
すぐに温泉に入って汗を流し、夕食。
ずらっと並んだ夕食に舌鼓を打ちつつ、軽く酒を飲み、花火をし、部屋でトランプに興じた。
まるで監督者のいない修学旅行。

朝風呂から始まった翌日。朝ご飯を食べてすぐにチェックアウトし、いるかウォッチングへ。船にのって天草沖にでるのだが、そんなところにイルカが多い。10頭はいただろうか。しかも手を伸ばせば届くような距離を泳いでいる。
イルカウォッチングを楽しんだ後は近くの店で海鮮丼。新鮮な海の幸を楽しんだ。
天草沿岸をドライブし、今度は山に登る。目指す先は天文台。天文台近くの山頂で天草の眺望に感動し、天文台でプラネタリウム。まさかの直径5メートルのドーム。まったくもって現代的なプラネタリウムとはかけ離れたそれを、しかも独占できた。最高の時間だった。今度はちゃんと夜に本物を見てみたいと思う。
最後に温泉に立ち寄って、日焼け肌をいじめながら湯につかる。夕暮れ時の沿岸。
大牟田に戻ってきたのは夜9時30分を過ぎたころだった。たった1泊2日だったけれど、高校時代に戻れた気がした。
そんな最高の夏休み。

2009年8月27日木曜日

東京の夏

住宅街の和菓子屋
交番の打ち水

こんばんは!夏休みが楽しくて仕方ありません。終わってしまうのが恐ろしいです。

今年の夏休みは私にとって少し特別な夏休みです。なぜならば、これといってしなければならないことがないからです。やろうと思えば何でもできる時間がある。これは小学6年生以来のことでした。中学・高校の夏休みは部活・受験勉強の繰り返し、そして去年はアメリカへ語学留学。
何をして、どのように時間を過ごすのかを決めるのはすべて自分。強制も義務もない。そんな夏休みも半分が過ぎました。やりたいことがはっきりわかっていて、予定通りにしっかり行動できているかと言えばそうではないけれど(むしろほとんどできていないかもしれませんが)、自分なりの今年の夏休みのコンセプトは比較的順調に遂行できていると思っています。

そのコンセプトとは・・・・

「日本(というか東京)の夏を楽しむ」ことです。
私は東京に住んでいますが、知っているけれど行ったことのないところがたくさんあります。同じ東京と言えども、山の手地域、丸の内、下町、多摩、八王子・・・・そして東京周辺の県etc. 何となくひとまとまりに考えてしまいますが、実際に行ってみると驚くほど雰囲気が違う、ということがあります。それでも自分は東京に住んでいる。普段はいつも何かに追われ、ゆっくりと見たり感じたりしている余裕はないけれど、いつも私が歩き回ってるこの街には、意外とおもしろいことがたくさんあるのです。それらをこの夏休みを通して発見していきたいと思っています。ちなみに、私はクリスマスよりもお盆が好きです。なぜなら、皆が帰省したり行楽地に行ったりして、空になった東京のアスファルトにじりじりと照りつける太陽の光がいかにも夏らしいからです。
ということで、炎天下の中徒歩で東京の方々を巡る企画が順調に実行されています。まだ3か所しか行けていませんが・・・

・皇居内堀通り一周の旅

実際には5キロくらいしかありませんが、暑かったため結構な時間がかかりました。
コース:日比谷公園→霞が関→桜田門(警視庁前)→国会前→三宅坂ジャンクション(最高裁前)→国立劇場→半蔵門→千鳥ヶ淵(北の丸公園)→九段下→竹橋→永代通りから大手町→二重橋(といく予定でしたが丸善に行くため丸の内へ)
こうしてコースを眺めると、あたかも国会など有名どころ巡りのように見えますが、私が印象に残ったのは、・夏の千鳥ヶ淵は、青く生い茂った桜の木が涼しげで気持ちが良かったこと ・千鳥ヶ淵戦没者墓地の周辺がひんやりしていてなんとなく怖かったこと ・九段下あたりのどこかの交番がこち亀に出てくるやつみたいで、しかも水打ちをしていたこと(これを見たとき「いいねぇ!!」と、おっさんみたいに言いたくなりました)



・麻布十番涼納祭 麻布十番→六本木→広尾→恵比寿 の旅

麻布十番涼納祭は、日本各地からの出店があり、それらの屋台で郷土料理を食べることができます。また、各国大使館による出し物として、これまた各国の代表的な料理を食べることができます。日本で最も屋台の多い祭りとして知られています。そのためほんとうに混雑していて歩くのがやっとでした。この祭りが行われたのは麻布十番商店街。六本木の近くにあるイメージから麻布十番は高級な街と思っていましたが、実は蕎麦屋などが有名な昔ながらの商店街。一度平日にも行ってみたいものです。その商店街の入り口から六本木方面に戻りずっとまっすぐ行くと広尾に出ます。広尾もまた高級なイメージとは違い大通りを一歩中にはいると、「おもひでぽろぽろ」に出てきそうな商店街があります。そこから大通に出ると、明治通りになっているので沿って歩けば恵比寿に到着。

・戸塚の住宅街の旅

神奈川ですが。
意外と新しい街だな、という感じがしました。多摩ニュータウンのような住宅向けに開発された街。新しく大きな集合住宅が多い。そこで発見した和菓子屋がとても素敵でした。別に由緒ある老舗というわけではなく、普通の住宅の一部を店として利用している。住宅街の中にある店。東京ではあまり見ません。普段どのような人が買いに来て、どのような生活をしているのか。思わず写真に撮ってしまいました。そこで買った水饅頭を蝉しぐれがふりそそぐ公園で食べたこともまたよい夏の思い出になるでしょう。



散歩を目的に歩く。普段ならとても余裕のないことです。五感を鋭くして歩いてみると、今まで見れなかったもの、感じることができなかったものに触れることができる。東京とその周辺だけで、こんなにも夏を感じる手段が豊富にあるのです。フルに活用しなければもったいない!住んでいるのだから。

余談ですが、夏に限らず徒歩でいろいろな場所を歩くのが好きなので、なかなか面白い地域をご紹介します。
・東陽町→木場→門前仲町→茅場町→日本橋→丸の内周辺
(東西線沿いです。東陽町など道路以外なにもないところから、勝どき橋を渡るときの臨界の風景が最高です。)
・柴又、亀有、堀切、お花茶屋(京成線沿いです。下町だったら浅草などが王道かもしれませんが、こちらはもっと生活感があるので見ていておもしろい。土手は「男はつらいよ」に出てくるそっくりそのままです。和みます。かと思えば薄暗いガード下や、得体のしれないものが流れ着いている人気の少ない土手など、怪しいところがあるからまたおもしろい。)
・高田馬場→早稲田→神楽坂→飯田橋
(早稲田通りをずっと歩きます。早稲田の雰囲気が出ています。)
・ゆりかもめの台場より手前
(ゆりかもめからの風景は、華やかな台場地域というイメージがありましたが、お台場海浜公園より新橋寄りの地域(竹芝、日の出など)を見ていると、意外と古びたビルのベランダに錆びた家具が投げ込んであったり、早朝に人がぼーっと立っていたり、ここで誰がどんな生活をしているのだろう・・・と思うような一面もあるので興味深いです。)

ちょっとAmazon行ってきた。

今週の東洋経済がAmazon特集だったので、それに関していくつか書きます。


 まず、発覚したのが、Amazon.co.jpの流通センターが近所にあったということ。ということで野次馬根性で行ってきました。
まわりは倉庫や工場が多く、人影もまばら。それこそここでバイトをしてる人くらいしかいませんでした。
奥行きは大体3〜400mでしょうか。
横から見た図。ちなみに日通の敷地です。


以下気になった点をメモ。

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- 物流インフラ + ITインフラ の両方を持つ

  →強みである一方弱み。(コスト高)


- Amazon.comの多様なDL販売


- Kindle…物流インフラを無くすもの(ペーパーバックの延長?)

      iPod/iTunesモデル(垂直統合)

  ⇔SonyとGoogleのオープンモデル


- fulfillment by Amazon …物流インフラの提供

  checkout by Amazon / webstore by Amazon …ITインフラの提供(販売 / 運営)


- Barnes & Nobleを2008年に抜く


- 電子書籍のメリット

  貸し借り・中古に制限、誤植直せる→アーキテクチャ制御できる

  段階的販売→バージョン化しやすい


- Amazonの顧客は3種類

  customer・seller・developer


- Google:広告収入→トラフィックを増やす

  Amazon:小売り収入中心→取引を増やす

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 Amazonはかなり「本屋」というイメージが強いが、思った以上に(特にアメリカでは)インフラを活かした「小売店」であり「プラットホーム」である。驚いたのは「fulfillment by Amazon」「checkout by Amazon」 「web store by Amazon」のサービス。日本の「マーケットプレイス」のような製品単位の仲介ではなく、中小企業、大企業(ラコステなども!)の両方を相手にしたAmazonの小売・流通システムの切り売りを行っている。

 今回は紹介されなかったメカニカルタークなども含め、非オークションでの財・サービス売買のハブになっていくのかもしれない。(オークションはebay中心、無料モデルはGoogle中心か?)


 キンドルによる電子書籍の問題。Amazonはキンドルで完全にAppleのiPodモデルを真似ている。独自端末の開発、そして独自の電子書籍規格azwと行った具合に。その一方でソニーはpdfやマイクロソフトのxps、アメリカの出版業界標準のePubなどに対応している。また、ソニーはGoogleや図書館と連携し、リーダーでパブリックドメインの書籍を取り込んだり、図書館から「貸し出し」できるようにした。

 ウェブサービスはなんだかんだ言って地域性に左右されるものではないか、と感じた。世界的に拡大している(主にアメリカ初の)サービスだって各国に対応したローカライズが必要になっている。そう考えると、(特に世界的なブランドを持っている)ソニーのような「家電」を軸にしたメーカーは圧倒的に使いやすさ、便利さを追求すれば市場を奪うことができるのではないか。

 しかし、Amazonのキンドルでは電子書籍が他のものに比べ安く、紙の書籍よりも安い。これはやはりペーパーバックの先のモデルとして位置づけられているためか。安さと早さを重視した価格のバージョン化の一形態としてはキンドルの方が有利か。そうなるとソニーはややハイエンドなモデルへ転換する必要があるのか。どちらにしろAmazonはコンテンツを売る入り口としてキンドルを売り、ソニーはGoogleなどが提供してくれるコンテンツをえさにリーダーを売る、と言える。

参考

2009年8月26日水曜日

Google和解期限まであと8日

遅れてすみません、昨日の担当の分をアップさせていただきます。
24日に、福井健策弁護士による「データベース化する世界と、著作権の課題―Google和解期限を目前に―」についてコンテンツ学会を聞きに行ったので、整理を兼ねて書きたいと思います。

Googleブック検索ではすでに700万冊をデジタル化済みです。(Googleにはbookスキャナというのがあって、人の手ではなく空気でページをめくって本をスキャンしているそうです!)
そして9月4日に、この裁判の和解結果の選択期限が迫っています。

米国作家協会と全米出版社協会が原告となり、Googleを被告にして訴訟を起こした米国での訴訟
の特徴は、
①「クラスアクション」であったこと。
クラスアクションとは日本にはない訴訟手続きで、たとえば公害事件などに多い。同じ影響を受けた人が多くいるとき、全体を代表して誰かが訴訟を起こし、オプトアウトしなかった者以外の利害関係者全体に、代表者の訴訟結果が及ぶ制度。クラスアクションでは、弁護士による訴訟ビジネスになることが多いらしい。

②「版権レジストリ」の存在
これからブック検索を運営する上で、権利者に利益を分配したりなどの管理を行うために設立された新団体。書籍の著者ら権利者は、配信停止など自身の意思を表明する際にはこの版権レジストリ宛に情報を送らなければならない。その結果、書籍の権利者が誰なのか、入金先はどこなのか、などの本来なら得られない貴重な膨大な情報が自然とここに集まることになる。経済的インセンティブなく、権利者の自分の作品への愛情といった感情が自然にう彼らの重要なデータを自ら持ち寄らせていることがとても大きな意味を持つ。また、このレジストリの管理はGoogleではないもののアメリカの作家と出版社による。世界中の権利の情報がアメリカに握られることへの危機感は否めない。

そしてこの訴訟を通じて日本が突き付けられ、受け止めるべき問題は
◎膨大な情報がデータ化されて流通する今、誰がその覇権を握るのか
◎日本では、たとえば書籍をデジタル配信する権利は誰が持っているのか

⇒今まであうんの呼吸や信頼関係に頼り、契約書を重んじてこなかった日本はデジタル化にあたって権利の所在の明確化を突き付けられて困っている状況。情報のマルチユースと多数権利が当たり前の現在において、非競合性を持つ、「情報」を独占・管理することは非常に難しい。
解決策として、著作権版JASRACのような権利を一元化する団体の設立も考えられる。これを行うためには、データベースを集め⇒許諾を出して、使用料を分配するというステップが必要となる。


とても印象的だったのは、『契約書に明確に書かれているのに、わざわざ相手に質問して口頭で説明を受けて、契約書の文字よりもその言葉を信じて安心してしまう日本人の甘さをよく目にする』という言葉。口頭では当然悪いことは伏せ、好印象を与えることしか言わない。契約は契約書に従うのが当然なのにお人好しになっては自分が馬鹿を見ることになる。気をつけようと思った。

フェアユースの位置づけがよくわからなかったのだが、フェアユース制度が導入されれば、著作権の扱いが容易になるということ? もう少し勉強が必要。

今回初めて学会に参加して、夏休みでゆるんでいた脳を久しぶりに動かした気がしました。本を読んでいて今回お話を聞くのを楽しみにしていた福井さんの説明はわかりやすかったし、面白い方でした。知識だけでなく自分のこれからについてもいろいろな意味で刺激を受けられて、充実した時間を過ごすことができました。

まだ合宿しかしてない

前回のブログアップします。
竹内です。

戸高代表との合宿@SFCから帰宅しました。タイトルの通り、まだ合宿しかしてないですwつまり、この夏休みはほとんど金ゼミ生の誰かしらといたことになります。三泊四日の合宿にもかかわらず、ビデオのトラブルや映像の取り込みなどに時間がかかったせいでびっくりするほど作業が進みませんでした。夏休みももう半分くらい過ぎているので、気を引き締めていかなくてはなりません。

今回は、SFC合宿で勉強していた電子ペーパーについて少しお話します。

電子ペーパーとは、非常に少ない消費電力で作動するディスプレーを指します。ペーパーという名からもわかるように紙の特性も兼ね備えたディスプレーです。日本ではデジタルサイネージとほぼ同義の言葉として使われているようです。

電子ペーパーの利点は、消費電力が少ないこと、折りたたみ可能なこと、メモリ機能があることにあると思います。紙の使用を最小限に抑え、さらに消費電力が少ないためエコな製品として期待されています。

電子ペーパーの応用例として、時刻表のリアルタイム表示などがあるようです。メモリ機能によって書き換えが簡単なので、刻々と変化するものを通時的に表示しなくてはならない場合などでは有用だと言えます。

しかし、便利な電子ペーパーにも応用例にはいろいろと不満があります。電子ペーパーが使われているものの多くは、電子ペーパーでなくとも普通のディスプレーでも十分通用するものが多いからです。先に挙げた時刻表の例もいままでのディスプレーで代替可能です。電子ペーパー導入時のコストがまだまだ高いということもありますが、もっと電子ペーパーでなくてはならない応用の形があるのではないでしょうか。特に折りたためるという特徴は活かされていないように思えます。電子ペーパーのもっとも革新的な面は折りたためるディスプレーということにあると思うのですが。

最後は不満になってしまいましたが、電子ペーパーという話題を通して代表と話せたことは刺激になりました。今後の応用の形をもう少し考えてみたいと思います。

2009年8月25日火曜日

韓国合宿感想

遅くなりました。ネットと触れ合える環境にやっとたどり着いたのでアップします。
以下、本文

韓国合宿は自分が作った、という自負があるだけあって、プラスのフィードバックを多くもらえたことについては素直に喜ばしい。ただし、マイナスの評価をもらっていたことが事実でもある。来年の合宿係りに引きつぐときのいい材料になるだろう。来年の合宿を4期がどうするか、楽しみだ。もちろん、韓国合宿を超えたものにして欲しい。
さて、1日目、成田空港集合にしていたものの、時間に全員間に合ったので、出発は予想よりスムーズに済んだ。神経質になりすぎて、自由を束縛しすぎていた点は否めない。緊張よりも気を大きく持つところは大きく持とう、自分だけ消耗しても馬鹿らしい。合宿後半、特にヨーロッパ旅行では実践できた部分もあると思う。宿その他特に問題もなかったようで、よかった。ただ、携帯電話をもっと借りても良かったのでは、という指摘もある。確かに、そこは会計やゼミ代と相談して決めておくべき部分だった。全てを必要最小限で抑える必要はない。必要になりそうな部分には力を割くべきでもあるのだ。また、先述したように緊張した部分が多いだけあって、初日はすぐに寝た。初日から盛り上がっていた人もいたようで、そちらに参加できなかったことは残念だ。ちなみに、初日から焼肉を楽しめたのは嬉しい。
2日目以降は特に合宿として問題なく、また、なれはじめた。自分のなかでの力配分が分かったので、だいぶ楽になった。
3日目は企業訪問だったわけだが、自分は拵井を迎えに行くために企業訪問には参加しなかった。この、自分がいなかったときに色々と事件が起こり、少々緊張を感じたものの、その後の3期生の話し合いなどを経て、けがの功名とでもいうのか、結果的にはいい方向に向かったと思う。
4日目以降の映像制作では、カメラ担当として貢献できたと思う。俳優達が頑張ってくれたので、いい素材が撮れているはずだ。
7日目、最終日に板門店にいけたことは自分の世界を広める体験として有効だった。歴史、北朝鮮、南北朝鮮と、自分の認識を少しでも変えることはできたと思う。

やはり、百聞は一見にしかず、体験に勝る価値はない。
韓国だけでも海外旅行という点で、素晴らしい体験をした。

そして、もちろん合宿という点で、今回の韓国合宿はエゴイスティックに見ても、良かった。最初の2日間は先述したように力配分がわからず、すぐに寝たけれども、3日目以降は夜更かしした。内容も真面目なものから、遊び(もちろんこれも真面目だが)まで、幅広く満喫できた。この夜の体験は相当な価値を持っていると思う。3期生と話し合った夜、映像制作とその打ち上げをやった夜、東大門に遊びに行った夜、金先生に色々と相談した夜。自分を成長させる要素は多々あった。

実践できたもの、実践できないもの。最初の目標を振り返ると色々ある。ただ、全体としては及第点以上のことは出来たと思う。ブログを見ると、皆、何かしら得たものはあるようなので、全体への貢献という点でも及第点だろう。
韓国で得た経験、アドバイス、色々なものを手に入れた。ヨーロッパ、トルコでの旅行に全てを活かすことができたわけではない。が、残りの夏休み、秋学期を使って、コレまで以上に貪欲になろう。

黒海、上空にて

2009年8月24日月曜日

旧友との再会

こんばんは!勝部です。ブログアップの担当は明日のはずなのですが、明日はやることがあり、忙しくなりそうなので、暇な今のうちにアップさせていただきます。

大阪に帰ってほとんど世捨て人のような生活を送っていたのですが、先日、中学のころの友達たちと再会することに成功しました。僕は、ケータイを持ち始めるのが遅かったので卒業以来、中学のころの友達とは、街で偶然あったりしないかぎり、特に連絡を取り合うこともなかったのですが、今回、約5年ぶりの再会を果たすことが出来ました。

6時に呼び出されて地元の夏祭りに。そこで昔のメンツと再会。みんなは、高校時代もちょくちょく遊んだりしていたようなのですが、僕は少しの部活と勉強ばかりやっていたので、本当に5年ぶりくらいの再会。あまりにも久しぶりだったので、最初は少し気まずい感じに。でもすぐに打ち解ける。僕が慶應に入ったのはなぜかみんな知ってるらしく(言ったつもり無いのに)、そのことでやたら攻められる。まあ、予想通りで悪くないけど(笑)。周囲の変化に少し戸惑う、ほとんどがタバコを吸うし、髪なんて金銀赤なんて当たり前、ギャル男みたいな奴もいてびっくり。でも良く見たら髪形しか変わってない(笑)。逆に僕は全く変わってないと言われる。自分では結構変わってるつもりなんだけど、みんながそういうのなら少なくとも外見はそんなに変わってないのだろう。でも内面はどうだろうか。

その後居酒屋に場所を移して飲み会。昔の話に花を咲かすが、結構いろんなことを忘れていることに気がつく。「ハガネの記憶力」を自称していたくらいなのに、いい思い出ばかり忘れていて少しショックだった。一つの目標、あるいはそれを大きく包摂する夢、「自分の理想」をがむしゃらに追いかけているうちに、大切なものを失くしてしまっていたことに気がついた。一方で、ノリというか、自然体のしゃべり方や振舞い方は、自分を含めてみんなそんなに変わっていなかった。多分、これからもあまり変わらないのだろう。僕の全身を使った大げさな笑い方は、今でもみんなを大いに楽しませたようだ。

その後は公園でバスケをしたり、カラオケをしたりして結局朝方まで遊びまわった。バスケは別に連取も何もしてないのに意外と上手くなっていて自分で驚いた。曲がりなりにもラグビーをやっていたからかな。カラオケはなぜか自分以外みんながプロ並みに上手くて、自分が歌っているときの肩身が狭かった。

何はともあれ、一度に約15人もの昔の仲間と再会できるとは思っていなかった。みんな変わっていたり、変わっていなかったりしたが、この時楽しいひと時が永遠に続かないことを知っている。それだけに僕は帰り道を歩きながら少し感傷的になった。今はまだ学生で、モラトリアムの真っ只中だから、目立った違いは見えていないが、これからはそれぞれの道を歩いていくのだろう。いや、学生とはいえ、もう既にそれは見え始めていた。と同時に、僕は今までの道を振り返った。この道でよかったのだろうか。もし、違う道を歩いていたら僕は今頃どうなっていただろうか、あるいはその道はどんな道になっていたのだろうか。正直言って今、僕は後悔しまくっている。傍から見れば上手く行っている方かも知れないけど、それは全くの別問題だ。でも二択でさえ1/2は絶対に捨てなければならない。だから、結局僕はどの道を選んでいても後悔していただろう。そして、これからもどの道を選んでも後悔し続けるだろう。それは受け入れよう、その道はそれしかないのだから。そう思うと気分が少し穏やかになった。

自称・歴女の夏休み~史跡巡り日誌その2~

 23日ブログ担当の大賀です。一日勘違いしていてブログアップが遅れてしまいました!すみません。たるんでますね・・。新学期が始まる前に生活習慣を整えないといけません。というわけで予告通り今回も史跡巡り日誌です。8月16日~19日まで友人と共に高知へ行きました♪


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 まずは何故高知なのか?その理由から。高知出身の方にはかなり失礼なことなのですが、私が高知に行くというと色々な人から「高知?!何も無いよ、何しに行くの?!」と不思議がられました(笑)確かに実際行ってみると田舎で、まあ普通の人が来たら何もすることが無いなあと思うだろうなあ・・という場所ではあったのですが、私のような歴女(自称)にとってはあこがれの地でした。高知と言えば幕末の英雄、坂本龍馬の故郷なのですから!
 坂本龍馬のことを知らない人はあまりいないのでは、と言えるほど、彼は現代に生きる日本人にとっても重要な存在となっています。龍馬は現在の高知県高知市(土佐)に生まれました。幼い頃は体も小さく泣き虫だったという彼は、17歳の頃に剣術修行のため江戸に赴き剣の腕を磨きます。その後土佐へ帰郷しますが、友人の武市半平太が結成し龍馬も参加していた土佐勤皇党が暗殺事件を起こしたことで、実行犯として疑われ(実際には龍馬は事件に関与していなかった)結果、脱藩。その後各地を転々とし、最終的には幕臣、勝海舟の元を訪れて彼に弟子入りをします。その後の龍馬の活躍は目覚ましく、土佐脱藩の仲間とともに長崎で亀山社中(日本で初めての「会社」とされている。のちの「海援隊」である)を結成したり、敬遠の仲だった薩摩藩と長州藩を結び付けて「薩長同盟」を作り上げたりと、「日本の未来」のために力を尽くします。しかし彼の働きは良くも悪くも多くの人々の目にとまるようになり、1867年12月、わずか31歳で凶刃に倒れ命を落としてしまいます。一瞬の光のような人生が、今でも日本人の心を強く打つのでしょうか。彼の故郷である高知には、龍馬の面影を偲ぶ人が数多くいました。
 龍馬の魅力は何といっても、「自由奔放なチャレンジ精神を持った若者」であったことと、そして、「幕府や藩といった内部のことに囚われず、日本という国を世界に対する『日本』としてとらえていた」ところにあるのでしょう。龍馬の銅像は桂浜に建ち、太平洋を真っ直ぐに見詰めています。その瞳はきっと、遠い遠い外国のことを見ているのでしょう。現代は、インターネットをはじめとする技術の発達で、諸外国の存在がより「近い」ものになっています。ですがその一方で私たちは、海外に対するあこがれの心を失い、「パラダイス鎖国」などと呼ばれてしまうような状態になっています。龍馬がこのような現代人を見たらどう思うでしょうか?怒るでしょうか。笑うでしょうか。呆れるでしょうか。

 龍馬が夢見た「未来の日本」と、それを背負っていく「若者たち」に、私たちはなることができているでしょうか。



●坂本龍馬の銅像と桂浜の景色


 桂浜から広がる太平洋は、遮るものなく真っ直ぐにカリフォルニアまで続いているとか。日本の海はあまり綺麗じゃないと思っていた私でしたが印象が変わりました・・・本当に青くて綺麗でした。

●坂本龍馬記念館

 龍馬は若くして脱藩して以来故郷に帰っていないので、史料の数としてはそこまで多くは無いのですが、とにかく記念館の中が綺麗で快適でした。海の近くの記念館ってそうそう無いですしね。ちなみに資料館の形は船をイメージに作られたものだとか。

●坂本龍馬生誕の地

 石碑の文字は吉田茂が書いたものらしいです。宿泊したホテルのすぐそばに在ったのでラッキーでした。何度も見に行きました♪

●番外編そのいち・路面電車

 路面電車がある町、高知。初めて乗ったのでドキドキでした・・楽しかったです。地元の方に尋ねたところ、高知で用いられている路面電車の車両は色々な国(ドイツやスイスなど)からいただいたものだそうです。この電車はどこの国のだろう・・?

●番外編そのに・はりまや橋

 ♪土佐の高知の はりまや橋で 坊さん かんざし 買うをみた♪ ・・という民謡で有名なはりまや橋!


●番外編・アンパンマンミュージアム

 アンパンマンの作者であるやなせたかしさんの故郷が高知なので、それにちなんで建てられたミュージアムです。さりげなくアンパンマンが大好きな私は大興奮!可愛かった・・!アンパンマンは単なる子ども向けアニメではありません。今になって見ると、その「深み」を味わえます。やなせさんの言葉をお借りすると、アンパンマンが行う「自分の顔をあげる」という行為は、「正義の行いをするためには必ず痛みが伴う」ということを示しているとか。深いです、アンパンマン。


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 というわけで以上です!次回はまだ決まってません。夏休み中にもう一つくらい史跡に行きたいところ・・!近場をせめてみようかと思ってます!

さいきん考えたこと

内山です。昨日体調を崩していて、そのときベッドの上で空を見上げて考えていたことを書きたいと思います。

悟りとは何か。死を恐れないこと?けれども死というのは、いざ迎えるとなるとたぶん簡単だと思うのです。わたしは死んだことがないから分からないけれど、案外簡単に迎えられると思います。現に、わたしの両親は、死自体を怖いと思わないらしいです。けれどもそうするとわたしの両親はすでに悟りを開いていることになります。たぶん、わたしの両親と同年代の方には、わりとそういう人もいるかも知れません。悟りとは、そんなに簡単なことなのか?

わたしは悟りは死を恐れないこととは別な気がします。正岡子規の言葉を借りるなら、悟りを開くということは、何があっても平然と生きていけるということ。何があっても同時なければ、それは悟り。そこには死も含まれます。けれどその、なんと難しいことか。愛する者の死も、平然としれいなければならないのです。自分の死を恐れないというわたしの両親が、家族の死を恐れないとは思えない。愛すべき人がいれば、それを失くしたら悲しむのか自然でしょう。そこで無感でいられたら、どんなに楽か。

たぶん非情に思えても、それとは別のところにあるのでしょう。わたしにはまだ、非情との差がちゃんと分らないけれど。楽と幸福は違う。非情ではない悟りをもし開けたら、それは幸福なのかもしれません。けれども出家して家族との繋がりを断つように、愛する者のそばではなかなか悟りは開けないのではないかとも思いました。感情移入するなという方が難しい。だから悟りを開くのは大変なのです。

何があっても平然と生きていける強さ。それが非情とは違うものなのだとしたら、手に入ったら人生を優雅に渡れるでしょう。皮肉ではなく。けれどもほとんどの人には大切なものがあって、だからこそより充実した人生を歩けるわけで、ならば無理して悟りなんてもの、開く必要はない気がします。大切なものを割りきれないのは悪いことではないです。後ろ髪引かれすぎるのは、もちろんよくないことですが。だからほとんどの人が、悟りなんて開けずに、心のまま、生きていくしかないわけです。たぶんそっちの方が人間らしい。その分大変だろうけど。

俗世で生きる人間にとって、悟りとは死を恐れないことだけで十分なのかもしれません。わたしは自分が死んだら親が悲しむし、まだ死にたくありません。自分の死を恐れない程度には、しっかり生きていきたいです。何があっても動じないようにするには、わたしは感情的過ぎるので、もう少しセーブすることを覚えつつ、揺さぶられながら、それをプラスにしていけたら、十分なのではないでしょうか。

あんまりまとまってなくてすいません!もしかしたら編集加えるかもしれないです。

ひとまずおしまい。

2009年8月23日日曜日

地球はひとつ!

海外に行っていて担当の日に更新できませんでした。ごめんなさい。
海外での出来事を書こうと思います。

皆さんご存じのとおり、韓国合宿のあとに三人のゼミ生と一緒にそのまま海外弾丸ツアーに行って来ました。
9日~20日
トルコ(イスタンブール)、
イタリア(フィレンツェ・ローマ・ヴェネチア)、
ドイツ(シュトゥットガルト・一瞬フランクフルト)、
スイス(バーゼル)、
オーストリア(ウィーン)です。

【おいしかったもの】
① ウィンナーシュニッツェル
ウィーンの名物料理。『地球の歩き方』に載っていた名店を探しまわって奮発!お皿からはみ出す手のひらより大きいカツレツでしたが、ぺろりと食べました。
② ドイツのパン
個人的にプレッツェルを本場で食べるという目標がありました。甘いパンも美味しかったです。ドイツにはパン屋さんが多くて、全部のぞいてみたいくらいでした。
③ ジェラート
イタリアは暑いので1日3ジェラートくらいしました。安いお店をチェックして買いに行ったりしました。ストラチアテッラ(?)というチョコバニラ味はおいしかったです。

パニーニ
イタリアについてからしばらく1日2~3パニーニの生活をしていましたが、飽きが来てしまい、しばらくパニーニは食べたくないです。
ケバブ
シシケバブとトルコ語で書いてあるので獅子肉かと思っていました。トルコ料理はボリューム満点で、一番手軽に野菜が摂れました。

【もう一度行きたい町、国】
① ドイツ
あんまり長く滞在せず、特に有名どころにも行きませんでしたが、町並みや食べ物や雰囲気など、もっと長く味わってみたいと思いました。
② フィレンツェ
本当に一瞬でした。ヴィーナスの誕生などいくつかの有名な絵画を筆のタッチとか細かい服の模様までじっくり見られましたが、街を見る余裕がありませんでした。お金があれば違う楽しみ方ができそうだなと思いました。
③ バチカン
システナ礼拝堂など、いろんな美術品がある博物館に行って歩き回りましたが、知識がなかったのとすごく疲れていたのでもう一度勉強して行ってみたいです。

【お気に入りの場所】
① コロッセオ
キリスト系の絵画や建物を見た後に、無骨ともいえるダイナミックなコロッセオを見てすっきりしました。そのあとのポロロマーナも好きでした。直射日光の中、みんなの疲れはピークでした。
② シェーンブルグ宮殿の庭
宮殿の裏手にまわって、小高い丘に登って宮殿と庭とウィーンの町並みを見降ろすスポットは本当にきれいでした。2日も行ってしまいました。のびのび広くて、時の流れがゆっくりになるような印象的な場所です。
③ ヴェネチア
一人での自由行動になったときに、地図も持たずになんとなく町を歩いてなんとなく水上バスに乗って車窓からの風景をお絵かきしました。写真を撮るよりも風景を注意深く眺めて、手を動かして、なぜか旅先ですごく集中しました。

ちょっとドッキリした思い出、お世話になった人などいくつもあげられますが長くなりそうなのでこの辺にしておきます。

長い間24時間ずっと海外を一緒に行動した三人には本当にお世話になりました。
出発までは本当にドキドキと不安でいっぱいでした。
いろんな人に心配をかけて、全員無事元気に成田に帰国できたことが、まず一番よかったです。
それだけじゃなく、振り返ると思い出もいっぱいです。いろんな有名なものよりも、何でもない瞬間が心に残っていたりします。喋るのも疲れてあだ名がどんどん短縮されていったり。一人では長い移動時間も、いろんな話をして相手の意外な一面を見たり。ふとした心づかいに救われたり……

また、この旅でも自分の準備不足も痛感しました。韓国合宿の反省に引き続きです。

この旅をして、自分の中で何か変わったかな?と問いかけるとまだよくわかりません。
でも海外で日本では見ないもの、経験できないことを感じたこと、そして友人との密度の濃い時間はセットで自分に刻み込まれました。
自分ではよくわかりませんが、少し図太くたくましくなっていればいいな、と思います。

2009年8月22日土曜日

韓国合宿の感想

遅くなってしまい、本当に本当に申し訳ありません。


今回の韓国合宿で、私にとって最も印象的で、最も体力や気力を使った出来事は、なんといっても最終日のゼミ生全員でグループに分かれて色んな話をする時間でした。
私は、自分が最も直さねばならない短所だと思いますが、正直自分自身について話したり、人に伝えることがそんなに得意ではありません。なので、このブログもいつも何を書こうか凄く悩んでしまいます。人が自分について知ってくれたときに絶望されるのが怖いのだと思います。しかし、最終日の話し合いの時間で、何人かの人といままでの自分についてだとか、みんなのことを沢山話すことが出来て、今までよりもっと仲が縮まってすごく嬉しかったです。きっと少しの勇気で人との距離ってぐっと近づくんだなと思いました。

もうひとつ印象的だったのは、韓国人の義理人情です。
わたし達の映像班は、街中のひとに適当に声を掛けて話を聞かせてもらうということをしていましたが、その中での出会いが私にとってとても衝撃的でした。
外語大で日本語を習っている学生数人にインタビューをしたとき、彼らは初めて会う私たちに焼肉を奢って下さり、その上タクシーの人に、私たちがホテルまで帰れるよう説明もして下さり、その上無事帰ったか心配だからホテルに着いたら電話してくれとまで言って下さりました。
出会ったばかりの私たちにこんなに心配してくれるのかと胸が熱くなりました。
この経験を一生忘れずに、私も彼らのように人と接していこうと思いました。

韓国合宿

韓国合宿おつかれさまでした。

韓国の合宿僕にとって意味のある事は2つあります。
1つは、ゼミ生と深く話せたこと
もう一つは、韓国の文化にふれられたことです。

1、ゼミ生との交流
韓国での合宿は、ゼミ生の交流という意味ではかなり成功したと思います。普段まったく話さなかった人ととも多少会話することができました。普段から仲のよい人との交流もさらに深まりました。
ゼミ生との交流の中でゼミの関わり方や将来のことなど疑問に思っていること、不安に思っていることはなどはみんな同じだと感じました。他の活動との兼ね合いだとかゼミに参加する意義など考える際にとても参考になりました。自分自身、今後の方向性であったり、ゼミとの関わり方に少し悩んでいた部分もあったので、うまく自分の中でみんなの意見を吸収していきたいです。特に、ゼミの運営権限が4期に移行してくる秋には、自分なりの考えを持つようにしていきたいです。

2、韓国の文化
同じアジア人でありながら韓国の歴史や今の韓国事情についてまったく理解していなかった自分に愕然としました。
特に、僕は歴史にまったく興味がなく、高校の半ばくらいから勉強することを放棄していたので早朝に行った世界遺産巡りなどはとてもよい刺激になりました。また、金光さんもおっしゃっているように、先輩方に任せきりにして自分で事前に調べることをしなかったため、せっかく現場に行っているのにも関わらず、理解の質はあまり高くなかったように思います。これは、普段のゼミにも通ずるところであり、今後注意していくべき点だと感じました。

次に韓国の現状について
通信インフラの部分では、韓国はおそらく日本より進んでいるという印象を受けました。そこら中に無線LANが飛んでいて、韓国ではあまり不自由なく生活できました。日本ではあり得ない事です。日本の通信インフラはあまり進んでいないと言われますが、実際にそのようです。いくらコンテンツが優れていても、インフラが整っていなくてはコンテンツに意味がなくなってしまいます。また、ビジネスモデルの点からもインフラビジネスはプラットフォームビジネスに類似していて効率的です。日本のインフラの向上は、思っていたよりの早急な問題なのだと肌で感じました。

みなさんお疲れさまでした。
そして、金先生、ゼミ生の皆さんに心から感謝の意を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。

@言う間の韓国

ただいま!
合宿からの濃ーい20日間を終えて昨日帰国しました。
みんなのブログやtwitterを読んだり、写真を見ていて早くも懐かしくなりました。合宿直後の勢いある感想は書けませんが、しばらく経ってみて今思うことを書きます。

今まで私にとって合宿と言えば、目標が決まった組織の中で、多くの時間を共にして、お互いによく知っている仲間と行くものでした。朝練とか夜練があるわけでもないし、なんとなく気楽に楽しく参加しよう!という気分でした。
実際参加すると、合宿の前にゼミの中でやってこなかったことやできなかったことが全部7日間のうちに凝縮されていたような気がします。ゼミ生同士でゆっくり話したり、一緒に街を探検したり、本音をぶつけあったり、先輩や先生と話したり質問したり…
正直、国内合宿でもできることもいっぱいありました。でも、海外での経験とゼミ内で深まることのコラボレーションができたのかなと思います。
また、韓国では街中を飛び回る無線LANに助けられました(特に駅で迷子になったとき!)が、ほとんどの人の携帯が海外ではOFFになった分、目の前にいるゼミ生同士での関係が深まったこともあるんじゃないかなと思います。LANが使えるロビーに自然に人が集まる風景もありました。矛盾しているようで、ちょっと面白い発見でした。

個人的には、合宿を通してもっと余裕をもつべきだったな!と感じています。
主体性が欠けてるよと四期に対して言われたことは、個人的にもすごくあてはまりました。人任せにしたり、誰かがやるという考えはやめます。それが結局自分のことは自分で責任を持つことにつながるし、気が付くと他人のせいにしていることもなくせると思います。
自分で意識を持って取り組めば、あらかじめ予想して一人のうちに準備や行動ができるので、結果的に余裕も生まれると思いました。
自分のことでは、今回のKTへの企業訪問も、先輩のように企業のことを調べて勉強してから行って、突っ込んだ質問をする。など、もっとできたことはあったな、と思います。韓国の名所(世界遺産やお土産など)も、日本で調べていけたことはいっぱいありました。
四期生としては、三期生と話し合いのときにした質問のほとんどは、合宿以前でも浮かぶ内容だったと思います。先輩に甘えたりさぼっていた部分がありました。かしこまった感じじゃなくても、四期でもっといろいろ共有したり、疑問を出し合ったりしていければいいなと思いました。

ゼミで得たいものとかゼミの自分の中での位置づけとか、人ぞれぞれ違う中の集合体だけど、これまでよりもちょこっと自分のさぼり癖を直して、事前にできることとか思ったことはぶつけて、ちょこっと余裕をもってゼミに参加していこう!と思いました。


辛いものも苦手で、韓流スターもよくわからない私には韓国は近くて遠い国でした。
でも、夜まで眠らない東大門市場とか、デポジット式の切符とか、夏休みまでやってる大学とか、街中にあふれる日本語、ほとんど茶髪がいない、すごい量のタクシー、同じ種類の店が連なる通り…書けばきりがないほどの日本との違いをそこここに感じながらも、さみしい気持ちはしませんでした。
一度ヨーロッパに行って、韓国の空港に戻ってきたときは、また韓国で泊まってから帰りたいな、と思ったほどでした。
機内食のビビンバには辛いチューブ味噌を入れて、相変わらずの辛さに困りながらも懐かしくて全部使い切って食べてしまいました。海苔巻、焼肉、トッポッキ、たぶんまた口の中が火事みたいに辛くなると思いますが、また食べたいです。食べるたびにこの合宿のことを思い出すんだろうなーと思います。


そして、かかわった全ての皆さんにお礼を言いたいです。ありがとうございました。

2009年8月21日金曜日

キャンプ日記

13日の担当でした、内山です。大変遅くなって申し訳ありませんでした。

20、21日とキャンプに行ってました。長野県の駒ヶ根という場所です。NK(=ノリのかたまり)キャンプという、精一杯馬鹿なことをしようというキャンプで、これでもかってぐらい笑いまくりました。一番楽しかったのは川に入ったことです。水着を持ってきていたかったので、私服のままバシャバシャ進むことになったのですが、童心に帰ったようでした。というのも、わたしの田舎は富山県なのですが、小学生のときはよく田舎に帰って、海や川で遊びまくっていたので、本当に懐かしかったです。あの冷たい水、ごつごつした石や苔のぬめりの感触が忘れられません。今回のキャンプで実感したのは、人って本当に無力なんだなということでした。夜は電気がなくちゃ何も見えないし、火がないと食べ物も食べれないし、夜の寒さも凌げない。川の流れにも逆らえず、油断したら溺れ死んでしまう。自然という観点からみると、わたしたちはその一部だけれど、きわめて他者に依存した、異質なもので、都会で生活しているとついついそれを忘れがちになってしまう。思い出せてよかったです。そして、わたしの周りにいてくれる、先輩や後輩、友人のことも。

大変だったけど、企画してよかったなと思いました。また行きたいです!金ゼミでもしてみたいですね、キャンプ。

帰省日記

ご無沙汰してます、勝部です。ブログアップのことをすっかり忘れていました。申し訳ありません。僕は今、大阪に帰って自由人の生活を満喫しています。予定は100%自分で作り、DVD、本、バイク、パソコン、昼寝など自分の好きなことだけをやって時間をつぶしています。

昨日はバイクで大阪を散策しました。最初は梅田に行くつもりだったのですが、道を一つ間違えて気がついたらミナミ(難波)、さらに天王寺の付近まで来てしまいました。僕は「北摂」といって大阪の中北部の地域で生まれ育ったのですが、梅田(大阪駅周辺)から北と南で雰囲気がまるで違うことに気がつきました。それは前々から思っていたことなのですが、バイクでしかも夜の街を走ると街の本来の姿が見えてきます。ミナミがどんな街かはとても僕の能力では言語化できないので、是非大阪を訪ねたときは終電が無くなった夜1時近くのミナミの街を自転車かバイクを借りて散策してみてください。きっと楽しいですよ。

そんな好き勝手な生活をしていて、一ついいことにきがつきました。それは早起きの素晴らしさです。僕は十分な睡眠が効率を高めると信じて、普段は自分の寝たいだけ寝ているのですが(それが許される環境であるのも大きいでしょうが)、帰省中はわけあって8時30分に起きることにしています。でも、昼寝をすることもありますが、寝る時間は夜2時くらいと普段とあまり変わりません。普段は10時間くらい寝るので、睡眠時間を半分くらい(は言い過ぎか?)に短縮しているわけですが、頭の効率は全く落ちていません。わずかなことを意識するだけで時間をたくさん使えるのはラッキーな気分になります。この習慣は帰ってからも是非継続したいものです。

ここ数日好き勝手にすごしすぎたので、残りの休みはもう少しアクティブにすごせたらなと思っています。

2009年8月20日木曜日

自称・歴女の夏休み~史跡巡り日誌その1~

 14日ブログ担当の大賀です。お盆休みの親戚襲来や旅行が重なり、ブログアップがすっかり遅れてしまいました。申し訳ありません!というわけで皆様お待たせ(?)致しました!Twitterなどで散々呟いていましたが、ちゃんとした形では残せていなかったので、夏休みの旅行記をアップしたいと思います^^まずは7月26日~28日にかけて一人で赴いた福島県会津から★


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 私が会津という土地に赴くのは2回目でした。昨年の秋に家族で行ってから、その魅力にすっかりとりつかれてしまいました。会津は、いわば、歴史が生々しく残っている場所です。かつてその地には会津藩と呼ばれる藩がありました。初代は保科正之という人で、徳川家2代将軍秀忠の子であり、また3代将軍家光の異母弟でした。会津藩は徳川家の血を色濃く継ぐ家系により統治を行われていた場だったのです。保科正之自身もそのことに重きを置き、会津藩の「家訓」として次のような言葉を残しました。「会津藩はたるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と。何があっても徳川将軍家だけは裏切るな-このような保科の教えは、歴代会津藩主及び藩士たちにも受け継がれ、やがてそれがひとつの「悲劇」を生み出すこととなるのでした。
 時は幕末。会津藩9代藩主松平容保もまた保科の教えを胸に、衰亡する徳川家を守るために心血を注ぎました。「京都守護職」という役職につき、尊皇攘夷派の志士(天皇をたてて外国を打ち払おうとする考えを持ち各地でテロ行為を行っていた人々)たちを取り締まる役目を全うしました。ちなみにこの京都守護職の配下にあったのが「新選組」です。(私が会津に惹かれた一番のきっかけはそこにあります)しかし徳川家の力が衰え、薩摩藩及び長州藩といった「倒幕派」の力が強まるにつれて、やがて会津藩も窮地に陥ることとなります。倒幕派が明治天皇を奉じ新政府軍となると、会津藩は必然的に「朝敵」(天皇の敵の意)とされ、集中攻撃を受けました。ちなみにその時既に幕府は新政府軍に対し恭順の意を示し、大政奉還をしています。会津藩は最も忠誠を誓った徳川家にさえ見捨てられ、「捨て駒」として新たな日本の礎となる役割を担わされてしまったのです。
 1868年6月より三ヶ月間続いた会津若松城下での戦争(会津戦争)では、婦女子をも含む多くの人々が死亡。会津藩の居城鶴ヶ城は一ヶ月間にも及ぶ籠城戦が繰り広げられたために、見るも耐えないぼろぼろの姿に変わり果てました。そうして日本は夜明けを迎え新たな時代「明治」を切り開きましたが、会津藩の人々の苦しみは続きました。会津藩の人々は「斗南」という本州最北端の荒野に「流刑」され、またどんなに能力があろうとも長い間新政府の政治体制に参加することができず、差別を受け続けました。白虎隊の悲劇などが世に知られるようになり、人々が「会津」という土地の持つ歴史の尊さを知ったのはつい最近のことだそうです。

 会津は美しい場所です。雄大な会津磐梯山、美しい鶴ヶ城、美味しい食べ物を作る大地。しかしこの地が多くの人々の血に染まったのはつい100年前のことなのです。その証拠に、未だに生々しく、会津の人々の間には戦争の記憶が残っています。(それがその人本人の持っている「記憶」ではないいにしても)長い長い世界の歴史から見ればほんの些細なことかもしれない。けれども私はその一瞬に、どうしようもなく惹かれるのです。


●鶴ヶ城(若松城)

 会津藩主の居城。会津戦争で破損し、1874年(明治7年)までその痛々しい姿のままだったが、その後取り壊された。その後1960年に再建され、現在に至る。内部は博物館となっていて、会津藩の歴史や資料を参照することができる。とても綺麗なお城です。

●鶴ヶ城から見た飯盛山

 白虎隊の悲劇で有名な飯盛山が、紅白の棒の後ろに見えます。白虎隊とは、会津藩が編成した藩士たちの隊の中でも年若い、15歳から17歳までの少年たちの部隊のこと。彼らは戦いの最中指揮官と離れ、自力で飯盛山に辿り着き、そこから燃えさかる鶴ヶ城を見て「城が墜ちた」と誤解をし(実際には城下町が焼けていただけでした)もはやここまでと、皆切腹をして果てました。唯一生き残った飯沼貞吉氏が後にそのことを語り、白虎隊の悲劇は世に知られることとなりました。

●会津藩校日新館

 会津藩に建てられた武士の学校、藩校です。10歳になると武士の子供はここに通い教育を受けました。日新館の教育は特徴的で、子供たちは「什の掟」と呼ばれる精神の基に武士道を身につけました。白虎隊士たちが学んだ学校もここです。今は再建され、博物館となっており、また合宿場としても用いられています。

●旧滝沢本陣

 会津戦争時に会津藩が本陣をおいた場所です。白虎隊もここから出陣しました。

 中には今も生々しく戦争時の弾丸の跡が残っています。その数の多さに当時の凄惨さを想い、思わず息を呑みました。

●松平家墓所の入り口

 現在、会津歴代藩主は山の中に眠っています。お参りをしに行こうかと思いましたがあまりの山道に断念しました・・・。体力があれば次回リベンジしたい。


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次回は高知坂本龍馬巡り記をアップしますね★

2009年8月19日水曜日

選挙

 19日担当のとだかです。みなさんお元気ですか。

 選挙権を得て初めての衆院選が近づいてきました。僕は住民票が大阪にあるので実際に投票しに行くことはできないのですが、不在者投票で投票しようと考えています。政治についてどうのこうの言うからにはまず自分が1票投じないといけませんよね。

 さて、衆院選が間近に迫った今日この頃、googleが「未来を選ぼう 衆院選2009」というサービスを開始いたしました。
 このサイトの概要は、自分の住所を入力すると、
・自分の選挙区がわかる。
・その選挙区の立候補予定者について知ることがでる。
・みんなが選んだ「5つの質問」への、立候補予定者や政党の回答動画が見られる。
・投票所検索により、投票所までのルートを検索できる。
 といったものです。言わば今回の衆院選のまとめサイトのようなものですね。みなさんもよければ利用して自分の地区の情報を得てみてください。

 選挙への注目が集まる中、以前のアメリカ大統領選でオバマ氏がYouTubeなど、インターネットメディアを利用して、勝利をおさめたのは記憶に新しい。日本でもインターネットと選挙、政治のかかわりをもっと密にすべきだという意見が多発しているが、現行の公職選挙法では選挙期間中は、ブログの更新、twitterのつぶやき、さらにはmixiでの足跡でさえも違法であるとされており、なかなかネット選挙が現実味を帯びてきていないのが現状だ。
 そんななか、先日秋葉原UDXホールで、MIAU主催のシンポジウム、「インターネットと選挙・政治を考える」が開催され、この模様はニコニコ動画で生放送された。この生放送を僕も見ていたのだが、日本とアメリカの人口分布を比較した発言が興味深かった。
 日本でなかなかネット選挙が進まないのは、日本の政治が「シニア向け民主主義」だからだそうだ。実際に日本の年齢別人口分布を見てみると、40代以上が過半数を占めており、逆にアメリカは40代未満が過半数を占めているのだという。アメリカはインターネットによく通じている若者層の人口が多いため、ネットでの配信や、政治に関する議論が声として反映され、影響を与えたのだという。日本は高齢者が多いため、どうしても高齢者向けの政治になり、ネットにも高齢者は疎いため、なかなかネットの意見が反映されず、またネットでの発信についても、徐々に解禁されつつあるが、アメリカのような状態にはならないのだという。
 だからこそ、若者がまず声を出し、政治を変えていく必要があるのだ。実際インターネットの日本における政治利用はまだまだ進んではいないが、そのインターネットを利用して若者が立ち上がり、政治を変えようと怒ると、その声は全国にすぐ波及し、ネット選挙開始のムーブメントを簡単に起こすことができる。
 そのため、生放送でも言われていたが、MIAUのような組織が実際に選挙に参加し、日本の政治を中から変えていく試みをとれば、一気にネット選挙が始まる可能性もあるが、やはりまずは個々人の意識から変えていく必要があるだろう。
 みなさん、選挙に行きましょう。

 

2009年8月18日火曜日

短期バイトから学んだこと

 夏休みブログアップ18日担当の斉藤です。

 今回は合宿から帰ってすぐ始った短期バイトを通して感じたことを書こうと思います。
私は今ある観光地で、その場所限定のおみくじのようなものを販売するというアルバイトをしています。具体的な場所や勤務内容についてはあまり口外しないように言われているので少し抽象的になってしまいますが・・・  8月中のみで全部で6回勤務があり、今3回終えたところです。朝の7時30分頃に出勤し、19時頃まで勤務します。宝くじ売り場のように狭い空間で、3人で仕事を回します。作業は単純で、おみくじを作り、結び、そしてお客さんを呼びこんで販売をします。このような単純な作業のため、特に覚えなければならないこともなく、初日から一人前に勤務することができます。

 さて、このような単純な仕事からでも学べることが結構あります。
まず、人間観察ができます。このおみくじ、実は1000円はいかないのですが結構な値段はします。なので、最初は一体だれが買うのだろうと思っていました。しかしこれが結構売れるのです。大人から小さな子供まで、さまざまな世代の人が買います。そこで私が気付いたことは、このおみくじを買いに来る大半の人の顔には輝きが見られないということです。特に小さな子供などは、「ほら、あんたこれ欲しいんでしょ」と言わんばかりに半ば背中を押されながらおみくじを選んでいきます。今の社会に生きる子供たちは、物質的に飽和状態なのだ、と改めて感じました。何か欲しい、と熱望することはもはやないのでしょうか。自分が小さい頃は、欲しいものがあると、大騒ぎをしてやっと買ってもらえるという感じでした。その分手に入ったときの喜びはものすごいもので、しばらくはずっと握りしめていたものでした。
飽和状態なのは子供だけではなく、大人も、ただなんとなく、その場の雰囲気に流されて買っているという感じがしました。最近、レジャー施設や観光地では、楽しむためには「消費」が不可欠です。そのような場所で思い切り楽しむには、あらかじめ設定された娯楽をお金で買う。買ってなんぼ、という雰囲気があります。そこではもはや「あれが欲しい」と熱望するような能動的な購買行動は起こらないのではないでしょうか。私たちも無意識のうちに、能動的な購買行動をしなくなっているのかもしれません。

 そして、仕事をするにあたって、ちょっとした気遣いがいかに現場を上手く回していくか、ということも学びました。この作業、単純ではありますが、意外とハードでした。休憩はありますが、ほぼ10時間立ちっぱなし、販売しているものの性質上ある程度お客さんを楽しませるために高いテンションを保たなければならない、蒸し風呂状態、お盆の時期だったので人混みがすごい、販売と呼びこみとおみくじ作りを同時進行させなければならない・・・ このような状況のなか時間が経つにつれて3人ともかなり疲労がでてきます。そんな時、「飲み物とか大丈夫ですか?」「これ自分がやりますよ」「ありがとうございます!」などちょっとした言葉ですが、これをマメに言い合うことで、自然ともう少し頑張ろうという気持ちになれるのです。自分もこのような言葉を積極的に発するように心がけました。また、作ると売るはだいたい分担しているのですが、この連携もとても重要で、一度作る人が効率を考えて一人別の場所で作っていましたが、その日は上手く現場が回りませんでした。作る側は売る側の様子を見ながら、売る側も作る側に声を掛け合い、お互いが見える位置にいることが大切です。連携するには、きちんと相手の状況を把握していなければならない。あらゆる組織にも通じることですが、結束はそのようにして出来ていくのだと感じました。

 私は普段予備校で個別指導のアルバイトをしています。それはそれでやりがいはあるのですが、予備校に来るひとは、皆なんらかの向上心を抱いているという点で同じような人種が集まってきます。その意味で予備校は閉塞的な空間なのだな、と感じていたので、今回自分がやったことも考えたこともない仕事にあたることができ、社会の違う一面を見ることができたと思います。方々からさまざまな目的をもって(あるいは無目的だったり)やってくるお客さんと接して、毎日初対面の人と連携をして作業をし、それはとても疲れることではありますが、自分にとってとてもよい刺激になりました。まだあと3回あるので、稼ぐだけでなく新たな発見をたくさんしていきたいです。

コンテンツ学会サマスペ第1回

昨日はコンテンツ学会の初回だったので、まとめがてらに内容の共有をします。ちょっと長いですけど。


感想

 以前ゼミにお越し下さった時には各自の質問ベースだったので今回は中途半端だったお話が体系的に聞けた。と言っても、途中疲労困憊で意識が何回も飛んだんで(苦笑)、メモにも読めないものが多く苦労した。(ちなみにこのとき役に立ったのがtsudaってくださった方々や宮村さんのKMDの講義ログだった。)自分の確認のため、またtsudaったtweet統合のためのログをまとめる作業は追体験のようで楽しかった。

 渡辺さんが質疑応答で答えていらっしゃった様に、現在ネット通販でも商品をただ陳列するだけでは売れない時代となった。消費者同士のコミュニティを活性化することがすなわち購買に結びつくのだという。これは商品データベースをただ拡大するだけではシェアを奪うことは厳しいということであり、継続的に購買を続けてもらう「売場」ではなく、「市場」そのものを構築することが必要なのではないかと感じた。また、商品の取り扱いでいうと、wish listの非Amazon取り扱い品の様に取り込みが重要になってくると言えよう。

 今回の講演でいくつかの領域において日本のネット上への制度改革の障害となっているものがはっきりとした。具体的には法や利害集団などであるが、この障害がなぜ存在するのかという目的や意図をすりあわせることなしに、ただ闇雲に改革することもあながち良いとは言えないだろう。


以下まとめ

(based on 宮村さんの講義メモ・Tweet http://twitter.com/search?q=%23cgakkai

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渡辺弘美氏「日本はネットネイティブな国になれるのか」  

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ネットネイティブ:社会経済活動でネットが第一義的になっていること

nn(net native)度:ネットとリアルの利便性の度合い


nn度1:利便性で「ネット>リアル」


例1)音楽のDL購入。

海外…DRMフリーが主流になりつつある。

日本…DRMフリーは実現できていない。(権利者からの許可が得られていないため)

→音楽データの自由度では日本は遅れを取っている。


nn度0:ネットでは処理出来ず、リアルのみで処理可能。


例2)お金の送金。

海外…Paypalがデファクトスタンダードに。

日本…定額給付金で振込手数料が発生。Paypalは銀行法でアウト。

※日本のPaypalユーザーはシンガポール経由で、日本の法律では保護されていない。

※麻生内閣の資金決済に関する法改正で、Paypalのような送金ビジネスが出来る?

→マネーロンダリング防止法の本人確認がまだネックに。(ネット上でアカウントを作るには住基カードが必要になる)

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ドアデスクの話、創業時のビジネスモデルの話

2兆円ほどの収益を上げ、その半分がUS以外の地域での売り上げ

73 categories(Amazon.com)/ 45 categories(Amazon.co.jp)でサービスの差


日本でのKindleの課題

・書籍の最終稿のデータの管理者の特定問題

・XML形式になっていない

・図表が別の会社に移ってしまっている

・再販制の問題(電子ブックは再販の制限を受けない、再販による改変への権利者の想い)


Amazonの各種イノベーション

・affiliate(アーティストのアフィが7%)

・personalization

・recommendation(Attention>Interestを目指した)

・targeting(mail)

・share(顧客によるrating。機械的なので衆愚化?まだまだ発展段階)

・wish list(Amazonで扱っていない商品も載せることが出来る)

・Amazon Remember(iPhoneのモバイルアプリで写真を撮ると類似品をピックアップしてくれる。写真認識ではなく、メカニカルタークが代わりに探す)

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日米のネットネイティブ度の差のキーワード

・personalization

・social

・user experience

・virtual&real

・open


Personalized media(メディア、広告における)

例)NY TimesのMy times beta

iGoogleのように、読者によって関心のあるページを最初に表示できる

(BBCなどのほかのメディアのコンテンツもRSSで持ってくることが出来る)

→サイトの滞在時間を延ばす狙い


Vote

例)digg

vote機能によって、ここだけ見ればユーザの関心ある情報がわかるようになっている


Celeb + Visual Search

例)like.com

画像認識を利用してそれと同じ商品を探したりする


Market Place

電通博報堂いらなくなる


Social Media News

例)GM Europe

blogライクなサイト。会社が出したリリースに対してコメントを付けたりできる


Internet TV

例)hulu


Physical Interaction

→今後はハードを使ったインタラクションがメジャーになる?

例)MSのSurface

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日本と海外を対比した時に政策で決定的な違いが表れていることが。

例)ヘルスケア

・「一般医薬品の郵便等販売規制」に対する厚労省の見解

→パブリックコメントの参加者の意見を反映させる仕組みは無かった

・議事録upが遅すぎる

・レセプト(診療報酬)のオンライン化

→処理に数ヶ月かかる紙ベースから、オンライン化しようとして決めていたのが、一部の医師会や開業医の反発を受けて延期

・遠隔医療

→対面診療ができないと原則できないことになっています。例外は離島や一部の疾患のみ。

・電子処方箋

→電子データでカルテがあるのに、①薬局のフリーアクセスという問題(小さい薬局の排除になりかねない)から薬剤師会が反対している②診療録の外部保存の禁止、この2つの理由で未だに紙しか許されていない


・GoogleのPersonal Health Record

・電子カルテ、処方箋を自動的にImportできるし、匿名で第3者に情報を公開し、web上で色々なサービス(セカンドオピニオンなど)を受けることも出来る

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例)政治

・Obama cloud

→Flickr+Photosynth、Twitter(62機関以上)

・公職選挙法

→選挙期間中以外に選挙運動してはならない。選挙期間中はネットの利用は禁止。

・電子政府

→eTax。公的個人認証ソフトウェアをD/Lさせて、普通ありえないような処理を普通の人にやらせている

・「オープン・アイデア」

アメリカ:Change.gov

→国民から提案して、投票してください(diggみたいなの)で、これのシステムを提供しているのがsalesforce

イギリス:E-Petitions

→オープン・アセットとして警察署の所在位置などの情報を再利用可能な形式で公開しており、面白い事例については2万ポンドの賞金もあり

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例)教育

Kindle DX @University:教科書の電子化

・USのSchool of the future。

→教科書の配布停止、教科書の電子書籍化、電子黒板、ドアの開閉もRFID化する?

・日本は一時期流行ったものの、最近は投資が止まっている

→補正予算でIT増額?

※学校関連での障壁として、某インターネット系大学を作った人の話だと保健室がないから、体育館がないから駄目だという物理的な設置基準で国に没をくらって苦労したらしい。 

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Traditional vs Net Native

画一的 vs 個別化

一方向的 vs 双方向

提供者側 vs カスタマーオリエンテッド

閉鎖的 vs オープン

→日本は少子化でデジタルネイティブ人口が少ない、

 デンマークなどの国と比べるとネットサービスが全世代的には普及していない


2009年8月16日日曜日

【書評】イノベーションを生み出す力【栫井】

夏休みのブログアップ、遅れてしまってすみません。
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イノベーションを生み出す力 竹内弘高・楠木建

個人知から組織知、そして再び個人知へ循環し、フィードバックによってお互いを高めあうという構図が印象的だった。心の中でなんとなく思っていたことを、言葉に表して組織の中に持ち込み議論して、再び自分の中に入れていく。一見単純で当たり前のことのようだが、この変換が何事においても重要になってくることなのだ。この構図は、組織の体制をブラッシュアップしていく際にも重要になる。今回のゼミ合宿中にも今まで心にためていたことを外に出したことで、お互いに大きなフィードバックが得られたと思う。
本書では、イノベーションの材料はオープンソースという考え方によって得られやすくなるとしている。個人の外にある情報のプール、本書でいうところの「コモンズ」の意味を広げていけば、イノベーションのソースの見つけ方は無限に広がる。身近なところで言えば、より人の話を聞くことだ。相手が思っていることを聞き出せれば、今までの自分自身の考えを改め、違う次元にシフトすることができる。今の次元がずっと役に立つとは限らない。ここで言う脱コモディティ化のように、違う次元の考え方が必要になるとき、自分なりの「コモンズ」を持っていることは大きな手助けになるだろう。

2009年8月15日土曜日

韓国合宿の感想

韓国合宿の感想

今回の合宿はとても実験的で、韓国という海外での様々経験から学んだ事はもちろんの事、自分自身の事をより客観的に知る事ができた合宿でした。僕自身、これまで、合宿などのような自分以外の人と数日間寝泊まりし、行動を共にする活動に対して少なからず苦手意識を持っていましたし、実際、合宿参加前は少し憂鬱でした。しかしながら、今回の合宿では、事前に決められたPlanが少なかっただけでなく、それ故に、各個人の主体的な意識や行動が求められたこともあって、「苦手/苦手じゃない」というレベルの話を忘れて、当事者意識と緊張感を持つことができました。そのような状況のなかでの班活動等の経験を通して、つまらない「苦手意識」を払拭できた気がします。これは自分自身にとって、大きな収穫の一つでした。

振り返ってみると、印象深かった事がいくつもありますが、まず2日目深夜に戸高代表、岸本君と行ったKT関係の勉強会はとてもエキサイティングでした。岸本君も書いてらっしゃいましたが、深夜の3時間あまりの間、KTを関係の情報を洗い出し、目を通してまとめ、各人が発表・共有するという、ものすごい時間帯にかなりの集中力と密度でかなりの作業を行った事は純粋に楽しかったです。また、実際にKTを訪問してみて、KTのQOOKは、Actvilaプレゼンの時に自分たちが描いていたようなIPTVのイメージにかなり近いものを既に実現していて驚きました。特にIPの特性を活用したUCC(UGC)の充実には目を見張るものがありました。カラオケの共有や、pandra.tvをプラットフォームとしたUSERへのエンパワーメント手法などコンテンツに対する意識の高さを感じましたし、また、単純にUIの美しさに関しても感心しました。

映像制作の班活動では、「金ゼミ」をテーマに、せいしゅんぴんくのムービー制作現場や岸本君の班のインタビュー映像の裏側、デクスター班企画の交流パーティなど、各班の活動を追って記録する事を行いました。ですが、撮影した映像の内容以上に、班活動をとおして班のメンバーの個性や視点、ゼミでは見る事のできない表情を知る事ができ、班のメンバーの人間味を感じることができた事は貴重な経験でしたし、また同時に自分自身の事を知る機会にもなりました。てんむす班のみんなには、心から敬意と感謝の意を示したいです。

また、企業訪問・映像制作といったゼミ活動以上に、連日に渡って行った金先生やゼミ生との話合いから得られたものは計り知れません。印象的だったのは、「事前に決められているプランによって行動を縛られていると、逆に(それに従ってさえいればいいから)楽をしてしまう」という先生のお言葉でした。確かに、今回の合宿のように、ガチガチにプランが組まれているわけではない中では、責任感やコミットメントの差が生まれやすかった(自分を含めて、実際に差があった)と思うし、そのような中での当事者意識、主体性を各個人がどのようにドライブしていくかという事が問われたと思います。「ゼミ全体としての責任感」を生むために、各人がいかにして「責任ある自由」を果たして行くか、このことは今回に限らず後期のゼミにも活かしていけたらと思います。

合宿全体を取り仕切ってくださったジョニー君・戸高代表・大賀副代表、時間を割いて御指導してくださった金先生、お忙しい中わざわざ駆けつけてくださったハンさん、そして、3期生4期生のみんなに、重ねて感謝の意を示したいです。ありがとうございました。秋学期も、よろしくお願いします!

2009年8月14日金曜日

韓国合宿の感想

菱木です。
金ゼミ合宿参加できて良かったです。
その理由は主に3つあります。
第1に、「金ゼミメンバーの素晴らしさを実感する
機会を得られたため」皆と同様にこれが一番大きいでしょう。
普段あまり接する機会のない金ゼミメンバー(ほぼ全員でした
。すいません)と話す機会を持てたことは自分の中で色々な
気づきや刺激を受けられました。とりわけ4期生は自分の中で
モブのような存在でありましたが、本当に色んな人がいるのだな
~と感じることができました。4期生個々に対してどんな人たち?
って聞かれても大部分は応えられる自信があります。全般的に
とても味がある人が多いな~という印象でした。同期に関しては
4期以上にセグメント分けしたらほんと綺麗に分かれるよな~こ
のメンツは。魅力と味がある人が多いな~と実感しました。

第2に、「異国の地でまたエナジーを充電できたため」
休暇ごとに自分を日本から脱出させ、様々な国へ飛ばせ
ているのは、日本では得られない強い刺激に対する欲求
であるかと思います。当初、そういった意味で今回の韓国
はカオス度が低いので期待薄だな~と思っていたのですが、
行ってみるといい意味で期待を裏切ってくれました。まず、
あんたら2交代制で生活しててるだろう~ってほどに夜遅く
まで起きている韓国の人たち。またホスピタリティマックスの
本菜の前に出てくるキムチや味噌汁などの数々。それだけ
で飯食えちゃうじゃんって感じでした。さらには国民性。
班の撮影でインタビュアーを探す際に用いたすいません作
戦から派生して予想以上の人々に繋がれました。日本では
まず考えられないですね~。あのやさしさというか義理人情
の部分を少しは見習おうと思いました。韓国とインドで1年分
のエナジー貯めできるでしょう。これで今年の冬は就活に専
念できそうです。

第3に、「達成した目標をきっちり達成できたため」
これは地味に嬉しかったです。これも慣習なんで。
インドの1日1カレー、ベトナムの1日1フォー、
中国の1日1ビアーなど数々チャレンジしてきましたが
インドの例外(カレーしか存在せず)をのぞき全て失敗
してきました。なんで達成できないんだと自分なりに分
析して臨んだ今回の韓国。失敗要因は自分の中だけ
に目標をとどめ周りに公言していなかったため、自分に
対する甘えが生じていたのだ。今回は早々に一日一
焼肉宣言を行った。途中挫折しかけたこともあったが、
無事達成することができた。ものすごい達成感だった。
この経験は今後の自分に大きく影響してくるであろう。
どのような形で生きてくるかは分からないが・・・。

最後にこの素晴らしい合宿を企画してくれたジョニーに
ほんとありがとう。ジョニーなしでは成り立ちませんでした。
また、今回の海外合宿の構想者でいらっしゃる金先生
ありがとうございました。

インドでの金ゼミ合宿が実現される日を待ちわびて締めさせ
て頂きたいと思います。


夏休みブログアップ【池亀】

合宿が終わりはや1週間。

それでは早速、夏休みブログアップの方させて頂きたいと思います。

夏休みブログアップのトップバッターということですが、なにせ韓国での日々があまりに濃かっただけに、日本へ戻って来てからの私の生活というのはいたって平凡なものに感じます。そこで、今回は私生活での経験ではなく、先日知った印象的なニュースについて述べたいと思います。

メディアコムでフジTV・安倍先生の講義をとっていた方はもうご存じかと思いますが、現在HBS在学中の矢野莉恵さんという方が起業され、street canvasという会社を立ち上げました。street canvasは、日本のアーティストと世界中のアート好きな人々をつなぐコミュニティをネット上に提供しています。そこではデザインコンテストが開催され、高い評価を得た作品はデザイナーズTシャツとしてLAで製品化され、世界中にネット販売されるそうです。(だいぶ省略してお話しているので、詳しい事業の内容についてはぜひ会社のHPを見て確認して頂きたいです。)

まだ無名のアーティストやアートに関心のある個々人をつなげ、さらに彼らの作品を、そしてその作品を通じ彼らの才能を、世界に向けて発信する場を提供したい。そんなstreet canvasのコンセプトに、私は非常に感銘を受けました。インターネット上に誰もが自己を表現できる場を設けたという点では、前期に学んだクリエイティブコモンズと共通するものがあるかもしれません。さらにstreet canvasの興味深い点は、そうしたネット上のオープンな場を設けるだけでなく、そのコミュニティからの評価が高かった作品を製品化し、世界中へ販売する機会までも提供してくれることです。才能があってもそれを世界へ売り込んでいくのは、決してたやすいことではないはずです。だからこそ、street canvasの事業は、日本のアーティスト及びカルチャーの、世界の舞台への大きな足かせとなる可能性を秘めていると思います。

ここまでずいぶんと話が長くなりましたが、今回のニュースというのは、実はそのTシャツの第一弾がついに完成したそうだということなんです。アイデアが構想となり、さらにそれが実現に向って始動し、ついにひとつの形として現れる。このプロセスには想像もつかないほどの苦労あると同時に、それと同じくらい大きなやりがいと喜びがあるような気がします。私はもちろんこのプロセスに携わったわけでも、間近でみていたわけでも全くありません。しかし、授業で矢野さんのお話をきき、そしてこのニュースを耳にし、これまでまったくと言っていい程関心のなかった『起業』というものが、少し身近に、そして魅力的に感じられるようなりました。

合宿の感想

内山です。サークル→金ゼミの合宿で、満身創痍という言葉の意味を少しは理解できた気がしました。行く前はサークルで疲れきっていて、4日に家に帰宅したときはこのまま寝続けたいと思ってしまいましたが、行ってよかったです。

わたしにとって一番の収穫は、この合宿で金ゼミが組織であることを認識できたことと、ゼミ生の人となりをすべてではないにしろ知ることができたことです。今までグルワーの班が同じではない人はもちろんのこと、同じ人でさえ十分に会話と言える会話をしたことがありませんでした。もちろん勉強にかかわる話はしたのですが、それぞれが何を考えているのかほぼわからない状況でやってきて、自分はそれが不満だったんだなということがよく分かりました。話してみないわからないことがいっぱいあって、社会に出たらその人の印象で判断されてしまうのは分かってはいても、勉学の仲間である以上、知っておきたかったんだな、と。仲間が先が目標が先かで、金ゼミは目標が先に集まった仲間だから、サークルとかとはわけが違うけど、ともに高めあっていきたいと思いました。あと、わたしは気が強くて、自分の考えとかを喋るのが基本的に好きで、そういった面を出せたのが枷が外れたような気がして、それがよかったです。

枷と言えば、わたしは見知らぬ人に話かけるのが基本的に苦手なのですが、今回の映像制作ですいません作戦を実行して、それが少しは緩和された気がします。予測できない状況の中で機転をきかせるというのは経験すればするほどいいと思うから、できてよかったと思います。

ここで得たものを次に生かせるかどうかが勝負だと思うので、気を引き締めようと思います。

2009年8月13日木曜日

金ゼミ合宿in韓国

こんばんわ。ゼミ合宿で得たものは多かったけど、サークル合宿では失ったものの方うがはるかに大きかったです、村山です。

さて、今回のゼミ合宿に関してですが、個人的には初めての海外ということもあり、不安だらけでしたし、色々な予定変更などで、その場その場での柔軟な対応が求められた合宿でしたが、終わってみれば、とても得たものが多かったと実感することの出来る合宿でした。

韓国での企業訪問や、学生へのアポ無しインタビューなどを始めとして、挙げれば切りが無いほど多くの貴重な体験をすることが出来ましたが、自分の中での一番の収穫は、同期、先輩そして金先生と腹を割って本音で話し合う機会が得られたことです。まず同期に関しては、すごく絡んだことのある人もいれば、ほとんど話したことの無い人もいたりで、今まで何となく付き合ってきた感じが否めませんでしたが、本音をぶつけて話し合う機会が得られたことで、今までほとんど話すことのなかった人とも沢山話し合うことができました。むしろ、今まで話す機会のなかった人とばかり会話しました。その結果、その人の考え・感性・哲学などを吸収することができ、今まで自分が持っていたその人へのイメージを良い意味で払拭することが出来ました。また、同期との話の中で、「ゼミ生同士の繋がりはどことなく上辺だけ」という話もあったりしましたが、それはうっすら自分も感じていたことだったので、皆思うことは一緒だなと実感すると共に、何とかその関係を打破していきたいなとも感じました。ただ今回、それぞれ同期同士で色々と深い話を交わしたことで、その辺も徐々に改善されてくるのではないかという期待も抱いています。同期の皆とはもっと色々と話していきたいと個人的には思っているので、何かそういう機会を作れればいいですよね。早速、栫井さんが始動してくれましたし。

次に先輩に関しては、今まで結構絡んできた方々は勿論のこと、ほとんど話したことの無かった方々と本音で話せたことがとても嬉しかったです。特に、菱木さん。代表、大賀さん、ジョニさんとはちょくちょく話はしていたけど、菱木さんとはほぼ全く話したことが無かったので、そんな菱木さんと3期と4期の合同ぶっちゃけトークの中で四回中、三回もご一緒させて頂いたことで菱木さんへのイメージがだいぶ変わりました。本当にゼミ生のことを客観的に観察しているなというのが率直な感想です。僕自身のことは勿論、その他の4期がどのような人間かという分析の部分で非常に納得できるところが多く、一見すると適当そうだけど、実はしっかり人のことを見ていてるんだなと感心させられっぱなしでした。また、今回は僕たち4期から先輩たちへ正直な想いを伝えられるということだったので、いくつか僕も指摘させて頂きましたが、中には後輩からの意見を次の日からすぐに実践しようと苦心している先輩もおり、頭の下がる思いでした。自分が先輩から指摘されたことも真摯に受け止め、少しずつ変えていきたいと思います。

最後に、金先生には、僕たちのために貴重なお時間を割いて頂いたにも関わらず、僕の不用意な発言で先生の気分を害してしまっただけでなく、ミーティングも中断させてしまい本当に申し訳なく思っています。あの後の面談で先生に言われたことは正にその通りと納得できることばかりで、今でもはっきり覚えています。すごい怒られたけど、今考えると自分の意識を改めて改革するのに必要なことだったのかなと思います。これからもご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。

これまで、ゼミ生間の人間関係について書いてきましたが、人と人が何かをやっていく上では、このことが一番大事なことなのではないかと思います。夢や目標は誰かに助けてもらわないとかないません。そのためには自分も誰かを助けてあげることが必要です。この理念からも、やはりゼミ活動を行っていく上で、ゼミ生同士の協力は不可欠な要素だと思いますし。


最後に、この合宿の始めから最後まで嫌な顔一つせず皆の面倒を見てくれた戸高さん、大賀さん、この合宿を何から何まで企画してくれたジョニさん、502で色々と相談に乗ってくれた宮村さん、岸本さん、貴重な話をたくさん聞かせてくれた菱木さん、小宮さん、韓国合宿を許可し、僕たちの活動を底から支えて下さった金先生、ktでの通訳やジャズコンサートなど、様々なバックアップをして下さったハンさん、企業訪問を許可して下さったktの方々、そして、一緒にこれらの貴重な体験をすることが出来た同期のみんな、すべての人に感謝を込めて、ありがとうございました。

韓国合宿の感想。

 結果的に今回の合宿はchallengingなものだった。いつも目の前に提示されるタスクから開放されて、何をするにも自分たちの責任、自分たちの時間配分で行わなければならない。そんな中で全体の団結が試され、乱れ、そしてまた団結していった。


 2日目深夜のKT訪問対策のガチ勉以降、一気に時間が経過していったような気がする。言ってみれば初日+2日目+3日目×5+最終日みたいな。これは多分深夜の過ごし方に大きく依っているかと。とにかく時間感覚がぶっ飛ぶくらい打ち込んでいたのか。


 KT関連のガチ勉は戸高代表、宮村さんと3人で。とにかく普段のNCを一気に3時間で発表まで持っていくような集中力と密度で楽しかった。というか自分知識飛び過ぎ。実際のKT訪問では日本・アメリカとは異なる韓国の視点からいくつかヒントを得た。例えばKTという企業がプラットホームのみならずコンテンツのレイヤーまで関わっていること、そしてそれを有効に使おうとしていること。また、その国のコンテンツのチャネルを意識してプラットホームを整備すべきということだ。少し先の未来像を具体的に見たような気がする。あと、コンサート。みんな寝すぎ笑 ちょっともったいないって。


 3期のみのミーティングや全員のミーティングでは皆の意見が聞けて、というより皆で意見を交わせて良かった。一人一人の意見はそれぞれ良く聞くものの、全員で意見を交わして何かを合意のもとに統合させていくというプロセスがすっごく有意義だったと思う。こういう機会はやっぱり今後も必要なんじゃないか。それぞれ個人個人とかグループで話した時(ロッテワールドの代わりの時含む)の「マジさ」みたいなものや個々人のバックグラウンド、ゼミの捉え方、ゼミとの関わり方が伝わってくる感じがそれぞれ印象的だった。

 

 映像制作の班では「電波少年」よろしくアポなしで突撃しまくった。それでも受け入れてくれた韓国の大学生、関係者の方々には感謝の気持ちで一杯だ。とにかく向こうの学生は勉強しまくっている。とはいえそれだけではなく、それが国の競争力にどうやって結びついているのかということが気になった。単に英語能力や学生時代の学習時間のみに限らず、様々な要因が関わっているのかもしれないのではないか。とはいえ、彼らの向上心というかひたむきさは世界でも通用するはずだし、こちらも大いに励みになった。ちなみに、ポップカルチャーは日本国内と同様なほどに伝わっているような印象を得た。(少なくとも映画と音楽、小説は)若者文化は共有されているといっても過言ではないし、彼らも大いに興味を持っているようだ。


 韓国には日本の80年代がまだ現存している。クラブカルチャーを通じてもそう感じた。(共通のフリや「場」の結束力、選曲などが日本とは異なる。)最大の理由はまだ韓国が戦時下であるということに収斂するだろう。それが今どう蝕まれ、いかに変化していくのかということに関して検討するにはあまりにも韓国を知らなさすぎる。とはいえ変化しつつあることは肌で感じられた。

 また、板門店ではまさしく「想像の共同体」たる国家の矛盾についてしみじみ考えさせられた。けったいなコンクリ塊と等間隔に刺さった棒。その周囲の兵士が国境をはっきりさせ、それによって主権国家像がはっきりする。何と言うか、あまり国とか国境を意識しない人間が、いざこういう所にくるとどうも頭が麻痺する。これが平和ボケの弊害か。

 

 1週間の密度の濃い時間を通じてゼミ生の本音(その裏っ返しの建前も)を知ることが出来た。これを後期のゼミに活かしていければと思う。去年よりもガチに、かつチャラく出来た点では個人的に大満足。ただし、ゼミにコミットしすぎて買い物に行けなかったこと、デジカメを忘れてしまったことは未だに後悔しまくっている。とはいえ、思ったより全然英語が通じたし、異文化っぽいものにもあまり抵抗が無かったのが自分でも新しい発見だった。


 最後に、この合宿をコーディネートしてくれたジョニーならびに合宿係のひと、金先生とハンさん、そして合宿を充実したものにしてくれたゼミのみんなと韓国で出会った人たちに最大限の感謝の気持ちを伝えたい。

韓国合宿

まず、みなさんお疲れさまでした。
この人数を動かすのは大変なはずですが、まとめてくださった代表の戸高さん、副代表の大賀さん、準備から何から合宿に尽くしてくださったジョニーさん、お忙しい中私たちにたくさんの時間を使ってくださった金先生、私たちの合宿を彩るコーディネートをしてくださったハンさん、映像製作に協力してくださったたくさんの人たち、そして一緒にいてくれたゼミ生のみなさま、本当にありがとうございました。おかげでとても素敵な合宿生活を送ることができました。

今回の韓国合宿は、初めての連続でした。
初めての海外(もちろん韓国も初めて)、初めてのビジネスクラス、初めての英語での交流体験。。
そんな中でも、やっぱり印象に残っているのが、初めて金ゼミで腹を割って話せたことです。
先生や代表が大きな存在として在って、自分たちがいるという、トップダウンな組織に所属した経験が少なく、今回のように上下の関係について深く考えたこと自体、今までほとんどない経験でした。
明け方まで真剣な話を交え、自分の中身を開けてみたり、誰かの中身を見たり、普段はなかなか出来ないけれど、合宿という特殊な場を活用して、とことん話を突き詰められたように思います。

4期生プレゼンツのフリートークは、今回の合宿でも特におもしろかったことの一つです。今まで絡んだことの少ない人と今まで出ることの少なかった話題で盛り上がって、よりゼミ生が近く感じられました。いろいろ4期生の中でも意見が出て、試行錯誤を重ねた結果、こういう形になって本当に大成功でした。朝までアイデアを練って、準備したみんなに拍手!

この合宿で得られたことは計り知れないですが、特に自分自身に関して当面の課題をつかめました。これからまだまだ夏休みは続くので、ゆっくり課題と向かい合います。

そして最後に、今頃ヨーロッパでいろんな素敵なものを観ているであろう、ジョニさんみなちゃんまりあんぬたけうちくん、身体に気をつけて、すばらしい体験をしてきてください!

2009年8月12日水曜日

韓国合宿について

みなさま1週間の合宿本当にお疲れ様でした。

正直なことを言うと、私は当初、予定されていた企業訪問や大学訪問がいくつか無くなってしまったことに対して、とても焦りを感じていました。それは、自分がサークルの夏合宿を諦めてこの金ゼミの合宿に参加したという、極めて私的で金ゼミには全く関係ない事情から、今回の合宿をとにかく「成長できるもの、行く価値のあるもの」にしたがっていたという理由があります。そして、私はその「成長」は「企業訪問」だとか「大学生との交流」だとかの公的なものによって得られるものだと信じ疑いませんでした。
しかし、合宿が終わってみると、私の考え方に強く影響を与えていたのは、企業訪問や交流はもちろんですが、1週間外国の地で、考え行動し集団生活をしたという日常の小さな出来事の積み重なりによるものでした。
私はこの合宿の本当に様々な場面で、自分の小ささというものに気付かされました。家族以外の人間と1週間もの間始終行動を共にするということはそうあることではありません。しかも1日の行動はそれぞれの選択に任されていましたから、1週間の間にゼミメンバーそれぞれの人間性というものがずっとよく見えてきました。私は金ゼミのみなさんは本当に凄い人たちだと思います。それぞれが能力を持ち、深くて強い考え方を持っています。そんな人たちの中で私は尊敬の念を感じたり、時に自分の無力さに打ちのめされたり、逆に温かく励ましてもらったり、そんな1週間を過ごせたことが、私にとってとても貴重な経験になりました。特に6日目の班に分かれてのおしゃべりはずっと楽しかったです。
毎日の予定を、可能な限り自分たちで話し合って決めました。街角で偶然声をかけた韓国人大学生といっしょに昼ごはんを食べて親しい会話をし、「一期一会」を実感しました。日韓交流パーティーで、漫画家になるために単身日本で貧乏な留学生活をし、自分の頭で行動し生きている人に出会いました。この合宿生活で私が感じたことは、「自分から行動しなければ何事も動かない。そして、それは必ずしも一人で成し遂げられない。」ということです。自分が行動する大切さと、集団で協力することの大切さ、その両方を学ぶことができ、とてもいい経験になりました。人生において自分の考え方がずどんと揺さぶられるような体験をすること、それもまた「成長」ではないでしょうか。その意味で、私はこの合宿中確かに成長したのだと思います。

金先生や3、4期生からフィードバックをもらえたこともよかったです。当事者意識の欠如というのは耳の痛い言葉でした。人数が多いだけに権利意識が分散されてしまっているのは、私たち4期の悪いところです。これからは、自分のことと同様に「ゼミ」のことを考える軸を積極的に持っていくべきだと思いました。優等生とは、もう言われたくない言葉です。

さて、一週間過ごした韓国は、とても魅力的な土地でした。第一に、企業訪問で知りましたが、時に韓国の最新の技術力は技術大国とも言われる日本をも凌駕しています。qooktvは、アクトビラプレゼンの際私たちが思い描いていた未来のtvの形を日本よりも再現していました。デジタルサイネージの発達も目を見張るものがあります。そういえば、絵を描けるメールを提供している携帯もサムスン製でした。詳しい理由はわからないのですが、いい意味で日本よりもエゴイスティックな姿勢(まずやってしまおうという姿勢)が技術の発展と関連しているのではないでしょうか。
また、みなさんが書いていますが韓国の学生はとてもよく勉強しています。厳しい就職事情が影響しているとはいえ、純粋にそれは日本人にとって脅威です。大学のまわりで道を尋ねると流暢な英語(時には日本語)で教えてくれる学生ばかりで、その勉強量を感じました。それだけでなく、彼らは外国人の私たちに時にとてもフレンドリーで、時間を惜しまず笑顔で目的地まで連れていってくれることもあり、そのキャラクターは好意的に感じられました。
合宿中印象的だった言葉があります。日韓交流パーティーで出会った一人の韓国人の男の人(前述の漫画家志望の人)の言葉です。『韓国には、「袖が触れ合ったら友達」というような言葉がある。日本人は違う。会ってしばらくの間楽しく話したと思っても、向こうはこっちを深い友人関係だとは思ってくれない。僕は一度こうやって一度話した人を忘れないが、君たちはいつかどこかで僕にあっても忘れている。』日本人は愛想がよく礼儀正しい人間ですが、それは相手を立ち入らせないクッションでもあります。日本人という立場をドキリと再確認させられました。
韓国には差が大きい。とてもおしゃれできれいな所もあれば、一歩奥に入れば都市部にもまだ粗野な部分が広がっている。どこかアンバランスさを抱えた国、それが韓国なのではないでしょうか。日本と同じようで違う、そんな韓国が、私は今回の合宿でなんだか好きになりました。

とても実りの多い1週間でした。合宿係のジョニーさんを始め、金先生、ゼミ生、お世話になったすべての人に感謝したいです。

韓国合宿!

 率直感な想は、とても楽しかったということです。自分はあまり団体行動や宿泊行事はあまり好きではなかったけれど、今回は何かが違いました。
 ゼミ合宿と聞いたとき、最初は帰る頃には頭が知識でいっぱいになっている状態を想像していました。でも実際には知識以上のものが得られ、自分の考えも出発前よりは遥かにすっきりしています。韓国に行けば、何かしらの知識がたくさん与えられるだろう、最初はそんな受身的なスタンスで臨んでいたのかもしれません。だから最初は自由行動が多いことに戸惑いを感じていました。しかし、途中、3期生の先輩方が私たちと合宿の目的について共有する時間を作ってくださり、さらに金先生や4期生同士の話し合いや先輩に今まで話すことのできなかったことを聞いていただりして、自分にとっての金ゼミ合宿の意味、それからこれから金ゼミとどのような付き合い方をしていくかについての考えを自分の中でまとめていくことができました。
私がこの合宿を通して感じたこと学んだことを3つに分けてまとめてみようと思います。

『海外に行くということ』

映像制作のテーマが大学生だったため、何人かの学生と交流することができました。その中で自分が一番心に残った交流は、外国語大学の日本語学科の学生との交流です。このクラスは実は大学生はほとんどいなく、社会人(かなり年をとったかたもいました)が生徒として日本語を勉強していました。相手が日本語を話せるということがたくさん交流できた理由のひとつだと思います。彼らが社会人になっても日本語という言語を習得したいと思う理由は、公務員だから語学面でのスキルアップが必要、日本のポップカルチャーが好きだから、日本語がかわいい、などさまざまでしたが、驚くべきことは、たった1年ちょっと勉強しただけなのに、私たちネイティブスピーカーとほぼ対等に話ができるということです。これは第二外国語を学ぶ日本の大学生には見られないことだと思います。日本に触れたい、そのためには日本のことをよく知らなければならない。厳しい学力社会ということもあると思いますが、「相手に近づくにはまず相手をちゃんと知る」という意識が強く感じられました。これは、彼らの親切心にもつながることだと思います。
海外に行くと、その土地の文化や歴史、食べ物などに触れられるだけではなく、一人の人間として自分には考え付かないような考えを持っている人に出会うことができる。それは本当に刺激的です。韓国に行ったことで「異文化交流」という言葉がすごく現実味を持つものになりました。

『金ゼミのこと・金ゼミと自分の関わり方』

朝起きるのも、一日の計画を立てるのも、一緒に歩くのも、食事をするのも、シャワーを浴びる順番を決めたり明日起きる時間を決めるのも、すべて相手は金ゼミ生。そんなわけでこの合宿は何をするにも必ず金ゼミや金ゼミ生について考えることが必要でした。これも今考えればこの合宿の一つの意義だったのだと思います。
だからこそ他の金ゼミ生と自分の意識の差を直に感じていました。前から悩んでいた「自分はゼミにとって存在価値がないのではないか」ということも自分に迫ってくるようでした。しかし、先輩に個人的に相談したことや、金先生や4期生との話し合いを通して、自分は自分をあまり客観的に見ていなかったのだということがわかりました。一人で悩み続けることは、結局自分を狭い視野で主観的にしか見れていなく、なにを解決すべきなのかも把握できなくなるということだと思いました。「一歩を踏み出すべき時は勇気を出して踏み出す。しかし自分の関わり方を無理に変える必要はない」そう仰っていた先生、そしてそれを個性だとも言ってくださった先輩。また7日の部屋ごとのトークのとき、「焦る必要はない」「もっと遊んだほうがいい」とアドバイスしてくれた先輩、自分に対して思っていることや印象を真剣に言ってくれた4期生。自分は大学に入ってからどの集団にもコミットしてこなかったために信頼できる先輩や同期がいなかったのですが、この合宿を通して今自分はそんな方々に囲まれていることを知り本当にうれしく思いました。自分は、この合宿では思うように自分を発揮しきれたとは言えませんが、今後の取り組み方やゼミをどうしていくかを考える切り口になったと思うので、合宿後をより大切にしていきたいと思っています。

『プライオリティーとコミット』

この二つは似ているようで違うと思いました。人にはさまざまなバックグラウンドがあって、所属している団体も今一番必要なことも違うと思います。そんななか、ゼミのことを最優先にして、たとえばグループワークに常に出席することができないこともあるのではないでしょうか。数多く参加するかことも大切かもしれませんが、たとえそれができなくても「コミット」は誰もができると思います。例えば自分は1回しか参加することができないけれど、その一回は必ず他のことは考えずに今取り組んでいることについて全力で考える。どれくらい自分がそのことに対して真剣になれるか、それがコミットの一つの尺度でもあると感じました。


お疲れ様でした!そして秋学期からもがんばりましょう。

韓国合宿の感想

みなさん、韓国合宿おつかれさまです。そして旅を続ける4人、体には気をつけて楽しんで来てね。

さて、合宿に入るまでは長いと思っていた7泊8日の韓国合宿でしたが、実際日程も中盤を過ぎると本当にあっという間に過ぎて行ってしまいました。今振り返ってみると、まさに夢のような楽しいひと時だったと感じています。

てんむすでの班行動、ぴんくや岸本さんのグループとの同行撮影、真夜中の4期生ミーティング、午前3時の焼肉、時間を忘れての(完全に)夜通しの語り、6日目の語り部屋、7日目夜のカラオケと夜空の下でのライブ鑑賞などなど、この合宿での思い出をあげたらほんとうにきりがありません。これもすべて、ゼミ生のみなさんや金先生、そして同行して下さったハンさん達のおかげです。こうした多くの人たち囲まれ支えられて、自分はしあわせ者だとつくづく思います。あらためて、みなさんほんとうにありがとうございます。

この合宿を通じ自分の中でいちばん大きかったのは、やはりこれまで以上にゼミ生みなさんのすばらしさに気づかされたことです。周囲への気遣いを絶やさずいつもその場の雰囲気を明るくしてくれる方、常にゼミ全体のことを配慮し頑張り過ぎなくらいみんなに尽くしてくれる方、人の意見を決して否定せずやさしく受け止めて下さる方、自分の考えや哲学をしっかりもっている方、自分の弱点や課題を克服しようととても一生懸命な方、そんなずばらしい方達が金ゼミには集まっています。また、ゼミ生みな、考え方や性格は人それぞれですが(そこがまたよい)、ただ全員が総じて学生生活、もっと大きく見れば人生に対しとてもに真剣に臨んでいると感じました。そして金先生のこのゼミへの大きな想いもあらためて認識することとなりました。私が思っていた以上に、先生はゼミ生みんなのことを見ているし、ひとりひとりの成長をのぞんでいると実感しました。 金先生のもと、こうしたゼミ生みなさんと共に活動できることを、大変ありがたく思います。

合宿も終わり、各班での映像編集を除けば、これでもう一通り前期の活動は終わりとなりました。後期からまた金ゼミがゼミ生みんなのさらなる成長の場となるよう、私も精一杯がんばりたいと思います。

それではまた初回のゼミでお会いできるの楽しみにしています。

金ゼミ韓国合宿感想(小宮)


この合宿のMVP!
モデル風にイケメンに撮れました。
ジョニーへの感謝をこめて


1日1焼き肉!


1週間の合宿ということで長いなと思っていたのだけど、あっという間で非常に充実した合宿でした。  本当にジョニーや戸高、大賀さんはじめいろんな人にお世話になって参加できた合宿でした。本当に参加できてよかったと思う。最近いろんな人の優しさや協力で自分のやっていることが支えられているんだなと強く実感しています。本当感謝してもしきれないです。そういった人達に、今後恩返しができるよう精一杯頑張りたいと思います。  

さてさて、合宿のコンテンツは韓国最大の通信会社であるKTへの企業訪問や、映像制作、観光などいろいろあったけれど一番印象的なのが映像制作の取材で出会った数多くの現地大学生との交流でした。  

韓国の学生はかなり勉強するということはよく耳にはしていたのだけど、実際は想像を遥かに凌ぐものでした。

訪問したのは夏休みだったのだけど、カフェテリアや図書館は満員で、みなが真剣に英語や日本語や授業の勉強をしていたり、夏休みの特別授業をとっていたりする。  

韓国ではもともと学歴を重視する傾向が強く、「大学に行かないやつは一人前じゃない」ぐらいの社会的なムードが存在しているらしい。その中で、小さい頃からいい大学にいくために、塾や英会話教室に行きひたすら勉強をする。  

高校生になれば、朝6時から23時頃まで授業を受け、そこから深夜まで塾に行きまた翌日勉強をする。

「学校/塾に行ってきます」ではなく、「ちょっと家に行ってきます」と冗談で言うぐらいの勢いだという。高校にクラブ活動などはあまりなく、「高校=大学受験をするための学校」という認識が強いよう。  

そして大学受験。韓国では90%の高校生が大学進学をする。その競争率は熾烈だ。センター試験の日には試験の妨害にならないように飛行機が運行しないほど、国家としても重要視している。  

加えて97年の経済危機以降、韓国は今年の日本を遥かに凌ぐ就職難であり、SKYと呼ばれるソウル大学、コウライ大学、ヨンセ大学の超一流校に入ったとしても大企業への就職は難しいようだ。なんとしてもSKYや、それに準ずるソウルの大学に入れるようにまさに死ぬ気で勉強するのだ。  

大学に入った後も彼らは勉強をし続ける。それは就職という壁があるからだ。韓国の就職活動において英語は必須。”英語ができれば多少プラス”となる日本とはレベルが圧倒的に違う。

また、韓国は1ー2年間休学する大学生がかなり多いようだ。それは就職のために留学やワーキングホリデーなどを通して自分の英語力のスキルアップを図るためだ。  

サムスンやLGなど、韓国からグローバルな市場で活躍する企業が多く輩出されているのも就職における英語の徹底した必須化が原因にあるのかもしれない。  

小さい頃から競争社会の中で育った彼らはストイックに自分を高めていこうとする向上心の塊である。社会人になっても、語学学校に通い自らの能力の向上を図る。  

韓国と日本の学生のモチベーションの、特に英語に関しての圧倒的な差。日本がガラパゴス化するのも無理がないなと思った。  

日本って本当に便利にできていて、企業も人材も外に出ようとしなければそのまま何も苦なく過ごすことができる。それに満足している間に完全に取り残されてます。  

まあパラダイス鎖国の体現みたいなやつが言うのも変ですが。  

ということで、パラダイス鎖国を脱却するためにインドに一人で、9月からバックパックしてきます。 様々な宗教の問題などでテロが絶えない危険な場所ですが、なんとか生きて帰ってきたいと思います。 

 海外は日本にいたら絶対に気づけなかったことを発見できて非常に刺激になります。インド旅行も有意義なものにしたい。カレーの食べ過ぎで一回りも二回りも大きくなって帰ってきます。視野が広がりすぎて、目が大きくなってるかもしれません。乞うご期待! 

ではそんなところでまた秋学期にお会いしましょう!