マイパソコンが壊れて日曜日のMWRから更新です。本来は明日だったはずですが、今日の深夜から大阪に大石ゼミ代表、関取大と向かい、大阪、京都観光の後屋久島へと向かうので早めにアップさせていただきます。
先日、とある消費財メーカーのsummer business school的なあれに参加してきました。
とある消費財メーカーは業界世界一で、そこにいる社員さんのお話を伺っても尊敬できると思わせる人ばかりでした。そしてその社員さんを見ていて驚いたのは皆が若いということです。入社3年目にして大きなプロジェクトのリーダーを務めている社員さんが普通にいて驚きました。若くしてプロジェクトのリーダーを務めるということはキャリア上、すごく大きな糧になることだと思います。
さて、そのお話の中で「リーダーシップ」に関するものが、僕もゼミ代を務めているからか印象に残りました。みなさんはリーダーシップと聞かれて何を思い浮かべるでしょうか。みんなをひっぱって行く力だとか、まとめる力だとか、また人物像ならばWBCの優勝が記憶に新しいイチローをあげる人もいるかもしれません。
とある消費財メーカーの方がおっしゃる「リーダーシップ」とは「Strong Team Builder」であり、「Everyone Should Be Leader.」とのことでした。つまり、組織をより強い、よいものに導くことができ、それはある特定の人物がリーダーシップをとるのではなく、チームの全員がリーダーシップをとることができる、つまりリーダーになることができるということでした。
僕もゼミの代表ではありますが、就活でグループディスカッションやグループワークを行う際ではただ一人の人でしかありません。そんな時、自分がどんな立ち位置でチームに最高の影響を与えることができるのか考える必要があります。
ぐいぐい引っ張っていく人がいれば、その方向性が間違っているときや、議論が煮詰まったときに目的を再定義し、方向性を新たに見出す係りになることも考えられます。これがひとつのリーダーシップなのです。「自分のやるべきことはチームが一番の成果をあげること。」他に先導役がなければもちろん引っ張り型のリーダーになるのもありでしょう。
つまりはいかに自分が主体的意識を持ちながら、チームを客観的に見て、自分ができる、自分にしかできない役割を担うことができるか。それを常にこなすことができる能力をリーダーシップと呼ぶのです。
もう少しで秋学期のゼミが始まりますが、みなさんも1つこのことを念頭においてみればさらにゼミがよりよいものになるのではないかと思います。
2009年9月6日日曜日
「夏休み書評」 ブランドのデザイン
ブランドのデザイン/川島蓉子
改めてブランド論の勉強しようと読んでみた。
経営学的なブランドの定義とは少し違って、ブランド資本などの話ではなく表層的な部分のブランドについて述べられていた。自分が求めていた内容ではなかったが、ブランドとデザインの関係についてかかれてあり、勉強になりました。
筆者はブランド=商品や企業を取り巻くイメージの全体と定義している。よって、筆者が言うブランドのデザインは商品・企業イメージ全体のイメージをデザインすることだと言える。
ブランドイメージを育成する際に、常に頭において置かねばならないことがある。消費者が見ているのは、「商品」と「広告」であるということだ。当たり前のことだが、日本にはこの原則を忘れている企業が多いように思える。だから、「よいものを作れば売れる」という考えが、はびこっているのだろう。日本にありがちな「よいものを作れば売れる」という考えは捨てなくてはならない。品質の良い商品や技術力の高い会社が生き残るとはいえない。モノにあふれてしまった現代の競争社会において、良い商品を作ることは、生き残るために必要な最小限のことなのだろう。現在求められているのは、商品、企業全体のイメージを消費者に共感してもらうことだ。
強いブランドイメージをつくるには商品のデザイン力が欠かせない。しかも、ただカッコいい、おしゃれなデザインや広告を世に出せばよいというわけではない。ブランドイメージを育むには広告やパッケージデザインの一貫性が求められる。自分を初めとする消費者は意外と単発的なその場しのぎのデザイン、広告を見破るからだ。類似品が出たことによる値下げや無駄な広告の乱発などは、企業が浮き足だっていることが見え透いたりするものだ。ブランドイメージの強化、育成の際に求められているのはデザインとブランドイメージに一貫性を持たせつつ消費者に訴求することだ。
しかし、ブランドイメージに一貫性を求めるのは難しい。時代は変わるからだ。時代の変化によって廃れてしまう商品は多い。この原因は、変化に対応すること、一貫性を持つことという相反する2つのことを成し遂げることの難しさにあると思う。だからロングセラーは生まれにくい。この際に、重要になるのは商品、企業がもつ「意味」だと思う。企業がもつ意味が明確になっていれば、変化していても一貫性は生まれるはずだ。なぜなら、「意味」は「軸」や「基本理念」と言い換えることもでき、それに合致しないものは、採用せずに済むからだ。この「意味」についてHAKUHODO DESIGNの永井氏の言葉がある。
「ブランディングの根本には、『意味の設計』がある。その商品が世の中や人々の中でどのような意味を持つのかを明確にすることが必要」
永井氏の言う意味がやっとわかった気がした瞬間だった。
まとめると、ブランドを育てるためには、「意味」を明確化させた上で、消費者に対する広告などの訴求方法を変化させていくことが必要だ。そうすることで、ブランドに一貫性を持たせながら時代の変化にも追いつく事ができる。この文章を書くなかで前に先生が仰っていた「手段の柔軟化」の話を思い出したりもした。
改めてブランド論の勉強しようと読んでみた。
経営学的なブランドの定義とは少し違って、ブランド資本などの話ではなく表層的な部分のブランドについて述べられていた。自分が求めていた内容ではなかったが、ブランドとデザインの関係についてかかれてあり、勉強になりました。
筆者はブランド=商品や企業を取り巻くイメージの全体と定義している。よって、筆者が言うブランドのデザインは商品・企業イメージ全体のイメージをデザインすることだと言える。
ブランドイメージを育成する際に、常に頭において置かねばならないことがある。消費者が見ているのは、「商品」と「広告」であるということだ。当たり前のことだが、日本にはこの原則を忘れている企業が多いように思える。だから、「よいものを作れば売れる」という考えが、はびこっているのだろう。日本にありがちな「よいものを作れば売れる」という考えは捨てなくてはならない。品質の良い商品や技術力の高い会社が生き残るとはいえない。モノにあふれてしまった現代の競争社会において、良い商品を作ることは、生き残るために必要な最小限のことなのだろう。現在求められているのは、商品、企業全体のイメージを消費者に共感してもらうことだ。
強いブランドイメージをつくるには商品のデザイン力が欠かせない。しかも、ただカッコいい、おしゃれなデザインや広告を世に出せばよいというわけではない。ブランドイメージを育むには広告やパッケージデザインの一貫性が求められる。自分を初めとする消費者は意外と単発的なその場しのぎのデザイン、広告を見破るからだ。類似品が出たことによる値下げや無駄な広告の乱発などは、企業が浮き足だっていることが見え透いたりするものだ。ブランドイメージの強化、育成の際に求められているのはデザインとブランドイメージに一貫性を持たせつつ消費者に訴求することだ。
しかし、ブランドイメージに一貫性を求めるのは難しい。時代は変わるからだ。時代の変化によって廃れてしまう商品は多い。この原因は、変化に対応すること、一貫性を持つことという相反する2つのことを成し遂げることの難しさにあると思う。だからロングセラーは生まれにくい。この際に、重要になるのは商品、企業がもつ「意味」だと思う。企業がもつ意味が明確になっていれば、変化していても一貫性は生まれるはずだ。なぜなら、「意味」は「軸」や「基本理念」と言い換えることもでき、それに合致しないものは、採用せずに済むからだ。この「意味」についてHAKUHODO DESIGNの永井氏の言葉がある。
「ブランディングの根本には、『意味の設計』がある。その商品が世の中や人々の中でどのような意味を持つのかを明確にすることが必要」
永井氏の言う意味がやっとわかった気がした瞬間だった。
まとめると、ブランドを育てるためには、「意味」を明確化させた上で、消費者に対する広告などの訴求方法を変化させていくことが必要だ。そうすることで、ブランドに一貫性を持たせながら時代の変化にも追いつく事ができる。この文章を書くなかで前に先生が仰っていた「手段の柔軟化」の話を思い出したりもした。
2009年9月5日土曜日
【夏休み書評】すごい会議【栫井】
私がこの本を読んで、一番重要に感じたのは「会議に対する当事者意識を持つ」ということだ。グループディスカッション・ミーティング・・・いろんな局面で、それに対するメンバーの当事者意識は問われてくる。ここに出てくる会議のテクニックは、当事者意識を持っていないと達成できないものだし、当事者意識を持つためのものでもある。当事者意識というのはすなわち、カギを握っているのは自分自身だということに気づくことだ。
当事者意識を持続させるためには、短期的な目標を立てていくことだ。ともすれば「何かをやってやるぞ」という意識はだれがちである。こまめで明確な目標を達成して、そのたびに自分が達成しようとしていることを思い出すことが大切なのだ。それには些細なお祝いを挟んでも良い。持続的に意識を共有することで、そうでなければ起こらなかったことを成功させるのだ。
実践として、今回私に起きた問題点を一つ挙げてみる。
どうしてブログを期限内にアップできなかったのか?
↓
どうしたらブログを期限内にアップできるのか?
・ 4回分のブログを更新できるように、タイムマネジメントをしておく。(ブログアップの日よりも前に、ある程度骨組みを立てておく。約10日周期の短期的目標を達成する)
・ 当事者意識を持って記事を書く。(「やらされている」のではなく、「やっている」という意識を持つ。すなわち夏休みのブログアップという金ゼミ全体のタスクが完了するのには、自分がタスクを完了させることが不可欠であるということ)
このセルフミーティングを基に、もうあと1回のブログアップを期限内にアップすること、これが達成できたら、自分自身にささやかなお祝いとして、ご褒美をあげようと思う。
当事者意識を持続させるためには、短期的な目標を立てていくことだ。ともすれば「何かをやってやるぞ」という意識はだれがちである。こまめで明確な目標を達成して、そのたびに自分が達成しようとしていることを思い出すことが大切なのだ。それには些細なお祝いを挟んでも良い。持続的に意識を共有することで、そうでなければ起こらなかったことを成功させるのだ。
実践として、今回私に起きた問題点を一つ挙げてみる。
どうしてブログを期限内にアップできなかったのか?
↓
どうしたらブログを期限内にアップできるのか?
・ 4回分のブログを更新できるように、タイムマネジメントをしておく。(ブログアップの日よりも前に、ある程度骨組みを立てておく。約10日周期の短期的目標を達成する)
・ 当事者意識を持って記事を書く。(「やらされている」のではなく、「やっている」という意識を持つ。すなわち夏休みのブログアップという金ゼミ全体のタスクが完了するのには、自分がタスクを完了させることが不可欠であるということ)
このセルフミーティングを基に、もうあと1回のブログアップを期限内にアップすること、これが達成できたら、自分自身にささやかなお祝いとして、ご褒美をあげようと思う。
2009年9月3日木曜日
【夏休み書評】戦略PR 空気をつくる。世論で売る。【宮村】
「戦略PR」とは、メディアや消費者の関心を最大化できるテーマを設定し、そのテーマを広げるための綿密なチャネル設計を行い、設計に基づき情報の伝播を仕掛けるという一連の流れのことだ。
インターネットの出現によって、私達が普段接する情報量が12年前と比べ637倍にも膨れ上がった現在の情報洪水の中で、「明日の広告(佐藤尚之著)」でも言及があったように消費者は「疑い深く・賢く」なり、消費者にモノを売る事が容易ではなくなってきた。つまり、情報量の増大という「量のハードル」とコンテンツに対する厳しい目を持った消費者という「質のハードル」という2つの側面から商品訴求のハードルが著しく高くなってきている。そのような中で消費者に商品を売るために、そもそもの「商品を買う理由」自体を説得的に与えなければ消費者は動かない。消費者が商品を買いたくなるような「空気」、つまり本書が言う「カジュアル世論」を社会につくりだすことができれば、それは商品に対する信頼感や安心感を生み出し、結果として商品購入へと繋げる事ができる。これが戦略PRという発想の骨子だろう。
そのような「カジュアル世論」を生み出すには、消費者たちが潜在的にもっているインサイトを掘り起こすようなテーマの設定と、4マスやインターネットがもたらす公共性、インフルエンサーと呼ばれる人たちがもたらす信頼性、口コミがもたらす偶然性という3つのチャネルの設計が戦略の土台となると筆者は言う。「明日の広告」では、「広告はラブレターのようなものだ」という表現があったが、戦略PRは「ラブレター以前」の話、つまり広告に対するAttentionを引き起こす前の段階で、消費者の間のInterestを高めるような「空気」を生み出す事が焦点になのだろう。広告の場合と同様にPRにおいても徹底的に消費者本位という視点にたつ事が求められる時代である事を感じさせる本でした。「明日の広告」と合わせて読むといい感じだと思います。
あと、本書中に少し言及があった、Word Of Mouth Marketing Associationという所が出しているInfluencer Handbookを少しだけ見てみたのですが、インフルエンサーと呼ばれる人たちのタイプわけや、どのようにしたらインフルエンサーを効果的に「利用」できるのかといった事がまとめられていて大変面白かったです。
インターネットの出現によって、私達が普段接する情報量が12年前と比べ637倍にも膨れ上がった現在の情報洪水の中で、「明日の広告(佐藤尚之著)」でも言及があったように消費者は「疑い深く・賢く」なり、消費者にモノを売る事が容易ではなくなってきた。つまり、情報量の増大という「量のハードル」とコンテンツに対する厳しい目を持った消費者という「質のハードル」という2つの側面から商品訴求のハードルが著しく高くなってきている。そのような中で消費者に商品を売るために、そもそもの「商品を買う理由」自体を説得的に与えなければ消費者は動かない。消費者が商品を買いたくなるような「空気」、つまり本書が言う「カジュアル世論」を社会につくりだすことができれば、それは商品に対する信頼感や安心感を生み出し、結果として商品購入へと繋げる事ができる。これが戦略PRという発想の骨子だろう。
そのような「カジュアル世論」を生み出すには、消費者たちが潜在的にもっているインサイトを掘り起こすようなテーマの設定と、4マスやインターネットがもたらす公共性、インフルエンサーと呼ばれる人たちがもたらす信頼性、口コミがもたらす偶然性という3つのチャネルの設計が戦略の土台となると筆者は言う。「明日の広告」では、「広告はラブレターのようなものだ」という表現があったが、戦略PRは「ラブレター以前」の話、つまり広告に対するAttentionを引き起こす前の段階で、消費者の間のInterestを高めるような「空気」を生み出す事が焦点になのだろう。広告の場合と同様にPRにおいても徹底的に消費者本位という視点にたつ事が求められる時代である事を感じさせる本でした。「明日の広告」と合わせて読むといい感じだと思います。
あと、本書中に少し言及があった、Word Of Mouth Marketing Associationという所が出しているInfluencer Handbookを少しだけ見てみたのですが、インフルエンサーと呼ばれる人たちのタイプわけや、どのようにしたらインフルエンサーを効果的に「利用」できるのかといった事がまとめられていて大変面白かったです。
【夏休み書評】明日の広告【宮村】
宮村です。ブログアップが遅れ、本当にすみません。
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インターネットの著しい普及・情報量の拡大(情報洪水)・成熟した市場という背景によって、消費者が「疑い深く、賢い消費者」へと変化した現代において、広告における(消費者との)コミュニケーションのデザインはいかにして変化していくべきか。この本を読みながら、2年前にメディアコムの「広告特殊講義」という授業で、当時の講師だった升野さんが、「消費者は『(情報の)ハンター』から『クリエイター」へと変化した。』と仰っていた事を思い出した。インターネットの出現によって、HunterからCreatorへ、TargetからPartnerへ、RecieverからSenderへ、Top Down型からBotton Up型へ、Push型からPull型へといった風に消費者自体も消費者を取り巻く環境も、根本から変化してしまった今日において、その変化した消費者に合わせて広告の在り方も変化しなくてはならない事が伝わってくる。
個人的に最も興味を惹かれたのは、変化した消費者を「待ち伏せる」ための7つの方法論だ。Contact Point・Media Creation・BUZZ / WOM / VIRAL・CGM・Entertainment・SEO・Media Flexible(Cross Media + Media Neutral)といったキーとなりそうな新しい概念自体も面白かったし、それ以上に、4マスに広告を打ってさえいれば良い時代ではないという事を痛切に感じてわくわくした。4マスメディアが圧倒的な影響力をもっていた従来型の広告では、使用するメディアも広告手法も決まりきっていたのに対して、今日ではもはや「テレビCMを使う事」自体はデフォルトではなく、全てのメディアを中立的な視点で眺めながら、消費者のコンタクトポイントや導線に合わせて、コミュニケーション戦略を立てて行かなければならないのだろう。
そのような時代にあっては、「コミュニケーションのデザイン」とその上に乗る「コンテンツ」の両方にクリエイティブな新しいアイデアや付加価値を生み出せなくては競争力を獲得する事ができなくなってくる。本書の言う「クレバーな仕組みの上にフールな表現をのせる」ことのできる人材こそが求められているのだと思う。
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インターネットの著しい普及・情報量の拡大(情報洪水)・成熟した市場という背景によって、消費者が「疑い深く、賢い消費者」へと変化した現代において、広告における(消費者との)コミュニケーションのデザインはいかにして変化していくべきか。この本を読みながら、2年前にメディアコムの「広告特殊講義」という授業で、当時の講師だった升野さんが、「消費者は『(情報の)ハンター』から『クリエイター」へと変化した。』と仰っていた事を思い出した。インターネットの出現によって、HunterからCreatorへ、TargetからPartnerへ、RecieverからSenderへ、Top Down型からBotton Up型へ、Push型からPull型へといった風に消費者自体も消費者を取り巻く環境も、根本から変化してしまった今日において、その変化した消費者に合わせて広告の在り方も変化しなくてはならない事が伝わってくる。
個人的に最も興味を惹かれたのは、変化した消費者を「待ち伏せる」ための7つの方法論だ。Contact Point・Media Creation・BUZZ / WOM / VIRAL・CGM・Entertainment・SEO・Media Flexible(Cross Media + Media Neutral)といったキーとなりそうな新しい概念自体も面白かったし、それ以上に、4マスに広告を打ってさえいれば良い時代ではないという事を痛切に感じてわくわくした。4マスメディアが圧倒的な影響力をもっていた従来型の広告では、使用するメディアも広告手法も決まりきっていたのに対して、今日ではもはや「テレビCMを使う事」自体はデフォルトではなく、全てのメディアを中立的な視点で眺めながら、消費者のコンタクトポイントや導線に合わせて、コミュニケーション戦略を立てて行かなければならないのだろう。
そのような時代にあっては、「コミュニケーションのデザイン」とその上に乗る「コンテンツ」の両方にクリエイティブな新しいアイデアや付加価値を生み出せなくては競争力を獲得する事ができなくなってくる。本書の言う「クレバーな仕組みの上にフールな表現をのせる」ことのできる人材こそが求められているのだと思う。
2009年9月2日水曜日
ぼくのなつやすみ2
すいません、ブログアップが大変遅れました。お恥ずかしながら、投稿済みだと勘違いしておりました。
今回は、私が夏休み中にお会いしたとある企業の社員の方のお話で、印象に残った事を書きます。
その方いわく、一流と二流の差は、「自分のせいにできるか否か」で変ってくるそうです。
なにか問題にぶつかった際、人はどうしても自分以外のせいにしたがります。この状況が悪いとか、あいつのせいだとか。自分の責任にしないと、楽だからです。
しかし、それではいつまでたっても自分のレベルが上がらない。他のせいにする前に、まず自分の悪かった点を探す必要がある。いわば、常に自分のせいにできる人間が、圧倒的成長を実現できる、1流の人材であるとおっしゃっていました。
私自身、なにか目標を達成できなかったときには、自分以外の責任を探しがちでした。そのほうが楽だったからです。しかし、それでは何も変わりません。私は、成長とは、以前の自分よりも良い方向へ変っていく事だと思います。つまり、常に自己変革をしなければ、現状維持が精いっぱいでしょう。
何か困難に直面した際、他の要因を探す前に、自分自身の至らなかった点を探すよう心掛けたいです。
今回は、私が夏休み中にお会いしたとある企業の社員の方のお話で、印象に残った事を書きます。
その方いわく、一流と二流の差は、「自分のせいにできるか否か」で変ってくるそうです。
なにか問題にぶつかった際、人はどうしても自分以外のせいにしたがります。この状況が悪いとか、あいつのせいだとか。自分の責任にしないと、楽だからです。
しかし、それではいつまでたっても自分のレベルが上がらない。他のせいにする前に、まず自分の悪かった点を探す必要がある。いわば、常に自分のせいにできる人間が、圧倒的成長を実現できる、1流の人材であるとおっしゃっていました。
私自身、なにか目標を達成できなかったときには、自分以外の責任を探しがちでした。そのほうが楽だったからです。しかし、それでは何も変わりません。私は、成長とは、以前の自分よりも良い方向へ変っていく事だと思います。つまり、常に自己変革をしなければ、現状維持が精いっぱいでしょう。
何か困難に直面した際、他の要因を探す前に、自分自身の至らなかった点を探すよう心掛けたいです。
2009年9月1日火曜日
【夏休み書評】「2011年新聞・テレビ消滅」を読んで
こんにちは!おーがです。一日早いですが明日は予定があるため、今日ブログアップをさせて頂こうと思います^^歴女シリーズはお休みして、今回は書評をアップします。今月中旬から参加することになったインターンシップの事前学習も兼ねまして読みました。
***
佐々木俊尚著「2011年新聞・テレビ消滅」(2009年、文春新書)
新聞が無くなる。テレビの視聴率は減少する一方…。そう言われて久しい。かつて大きな力を持っていたマスメディアは、今や「斜陽産業」となり、インターネットの力の前に平伏す存在となってしまっている。何故このような状況に陥ってしまったのか。マスメディアが今後力を維持するためにはどうしたら良いか。本書の題名は「新聞・テレビ」となっているが、現代のプラットフォームビジネスにまで言及されていて非常にわかりやすくまとまっている。知識を再整理するためにはうってつけの本だ。今回は、インターンの事前学習を兼ねているので新聞業界の現状に特化して読むこととした。
何故日本の新聞が読まれなくなっているのか?その理由には、以下のようなものがある。
●マスメディアからミドルメディアへ
マスメディアの「マス」というのはその名の通り「大衆」という意味だ。しかし現代日本社会において、「大衆」は存在しなくなっている。皆が好む「国民的流行曲」は存在しないし、世代を超えた共通の好みや話題も無い。社会が豊かになればなるほど、人々の個人主義が高まり、「皆が好きなもの」よりも「自分が好きなもの」を求めるようになったのだ。このような状況下で、大衆向けの情報は求められなくなっている。人々が求めるのは、自分の趣味に特化した情報のみだ。ミドルメディア―すなわち個人ブログやホームページなどが発する、「特定の集団に向けられた」情報の方が力を持っているのはそうした「人々の個人化」が原因にある。
●マス広告からターゲティング広告へ
新聞の業績悪化の原因として、「広告」による利益が得られにくくなったという事実がある。ではなぜ広告主は新聞広告を載せないのか?理由は簡単だ。「マス(大衆)という、誰だかわからない集団に対して広告を打ち出すよりも、ターゲティングのしやすいミドルメディア向けの広告を打ち出す方が、確実な利益に繋がる」からだ。とりあえず広告を出しておくか、という意識はもう時代遅れなのだ。
●プラットフォーム化する世界
かつての新聞業界は、「コンテンツ=新聞記事」に加えて、それを配信する媒体である「コンテナ=新聞記事」、そしてそれをさらに人々に配達する役割を担う「コンベヤ=新聞販売店」の全ての権利を担っていた。しかし現代のプラットフォーム化する世界において、こうした垂直統合は成り立たなくなっている。コンテンツがインターネットを介して、個人ブログやホームページ、2ちゃんねるなどの様々な場において配信させるようになったのだ。かつては全てを支配する「神」の領域に達していた新聞業界の在り方は、もはや消えてしまっている。
ではこのような状況を打開するためにどうしたら良いのか。作者は、「マスメディアに代わる新たなメディアを生み出せばよい」としている。しかし私は、こうした厳しい状況下だからこそ新聞の役割に期待したい。私はボランティア活動を通して数多くの新聞記者の方々とお会いしたが、彼等は皆自分の仕事に誇りを持っていた。一人の新聞記者の方が私に言った言葉が忘れられない。「新聞記者は、社会の中にある暗闇に光を照らす仕事をしている」‐まさにその通りだと思う。ミドルメディアに対するニーズは高まっているかもしれないが、新聞という歴史ある存在が築き上げた力こそ、「権力を監視する」ために必要なのではないか。より綿密で正確な調査報道を進めれば、新聞が「消滅する」ことはないと思う。
またそれと同時に、新聞を配信する媒体をもっと色々なところに広げても良いのではないかとも考えている。amazonが開発したワイヤレス機能リーダーkindleのように、「新聞を気軽に読める機械」を新聞社独自に生み出せば、より新聞が身近な存在になると思う。
新聞に未来はある。私はそう信じたい。
***
佐々木俊尚著「2011年新聞・テレビ消滅」(2009年、文春新書)
新聞が無くなる。テレビの視聴率は減少する一方…。そう言われて久しい。かつて大きな力を持っていたマスメディアは、今や「斜陽産業」となり、インターネットの力の前に平伏す存在となってしまっている。何故このような状況に陥ってしまったのか。マスメディアが今後力を維持するためにはどうしたら良いか。本書の題名は「新聞・テレビ」となっているが、現代のプラットフォームビジネスにまで言及されていて非常にわかりやすくまとまっている。知識を再整理するためにはうってつけの本だ。今回は、インターンの事前学習を兼ねているので新聞業界の現状に特化して読むこととした。
何故日本の新聞が読まれなくなっているのか?その理由には、以下のようなものがある。
●マスメディアからミドルメディアへ
マスメディアの「マス」というのはその名の通り「大衆」という意味だ。しかし現代日本社会において、「大衆」は存在しなくなっている。皆が好む「国民的流行曲」は存在しないし、世代を超えた共通の好みや話題も無い。社会が豊かになればなるほど、人々の個人主義が高まり、「皆が好きなもの」よりも「自分が好きなもの」を求めるようになったのだ。このような状況下で、大衆向けの情報は求められなくなっている。人々が求めるのは、自分の趣味に特化した情報のみだ。ミドルメディア―すなわち個人ブログやホームページなどが発する、「特定の集団に向けられた」情報の方が力を持っているのはそうした「人々の個人化」が原因にある。
●マス広告からターゲティング広告へ
新聞の業績悪化の原因として、「広告」による利益が得られにくくなったという事実がある。ではなぜ広告主は新聞広告を載せないのか?理由は簡単だ。「マス(大衆)という、誰だかわからない集団に対して広告を打ち出すよりも、ターゲティングのしやすいミドルメディア向けの広告を打ち出す方が、確実な利益に繋がる」からだ。とりあえず広告を出しておくか、という意識はもう時代遅れなのだ。
●プラットフォーム化する世界
かつての新聞業界は、「コンテンツ=新聞記事」に加えて、それを配信する媒体である「コンテナ=新聞記事」、そしてそれをさらに人々に配達する役割を担う「コンベヤ=新聞販売店」の全ての権利を担っていた。しかし現代のプラットフォーム化する世界において、こうした垂直統合は成り立たなくなっている。コンテンツがインターネットを介して、個人ブログやホームページ、2ちゃんねるなどの様々な場において配信させるようになったのだ。かつては全てを支配する「神」の領域に達していた新聞業界の在り方は、もはや消えてしまっている。
ではこのような状況を打開するためにどうしたら良いのか。作者は、「マスメディアに代わる新たなメディアを生み出せばよい」としている。しかし私は、こうした厳しい状況下だからこそ新聞の役割に期待したい。私はボランティア活動を通して数多くの新聞記者の方々とお会いしたが、彼等は皆自分の仕事に誇りを持っていた。一人の新聞記者の方が私に言った言葉が忘れられない。「新聞記者は、社会の中にある暗闇に光を照らす仕事をしている」‐まさにその通りだと思う。ミドルメディアに対するニーズは高まっているかもしれないが、新聞という歴史ある存在が築き上げた力こそ、「権力を監視する」ために必要なのではないか。より綿密で正確な調査報道を進めれば、新聞が「消滅する」ことはないと思う。
またそれと同時に、新聞を配信する媒体をもっと色々なところに広げても良いのではないかとも考えている。amazonが開発したワイヤレス機能リーダーkindleのように、「新聞を気軽に読める機械」を新聞社独自に生み出せば、より新聞が身近な存在になると思う。
新聞に未来はある。私はそう信じたい。
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