2010年3月12日金曜日

 みなさん、20歳を超えて成人な訳ですけど最近いつ涙を流しましたか。
 赤ちゃんは泣くのが仕事と言われているようにしょっちゅう泣いていますし、小学生になるくらい前はちょっとしたことで泣いていました、僕は。
 でも中学生にもなるとなかなか泣くこともなくなります。本当に感動した作品を鑑賞した時、自分が懸けていたひとつの物事が終わった時、何かとの別れ。日常的体験ではそうそう涙をすることはないですよね。

 先日、twitterでもつぶやかせていただいたんですが、僕の母方の祖母が心臓の血管がどうのこうので入院したんですね。そこで8時間の手術をして結果的には助かったんですけど、僕にその知らせがあったのが術後4日くらい経ってからだったんですよ。
 就職活動が本格化してきて親も僕に気を遣ってか以前よりもあまり連絡をしてこなくなったんですが、それくらい連絡してきてもいいんじゃないのかと少し腹も立ちました。
 それで親からの連絡を受けてすぐさま電話をしたんですね、親に。すると親がちょうど病院にいるということで、入院中の祖母と電話することができました。

 いざ祖母と話してみると声がいつも聞いていた祖母の声と違って戸惑いました。僕の母方の祖母は実家から徒歩3分程度の所に住んでいるので、下校が早い小学生まではほとんど毎日の様に顔を会わせていました。いつも馬鹿みたいに笑っていた祖母の声がここまで弱々しくなるのかと。
 本来、入院している祖母を僕が元気づけてやらないといかんのでしょうが、その祖母の声を聞くと何も言えなくなってしまい、しまいには涙を流している僕がいました。

 なんであそこで涙を流したのか、僕にはよくわかりません。別に祖母が死んだわけでもなく、危機的な状態に陥ったとは言え、助かったわけです。しかも僕は危機的な状態に陥っていた瞬間を目にしていない。
 ただ結果を突然聞かされただけなのに、電話をした時に僕は、祖母が夜に倒れ、病院に運ばれるも「うちじゃ手術はできない。」とたらい回しにされ、ようやく手術にありつけた光景を如実に感じ取ることができました。
 そんな祖母の大事な時に近くにいられなかった不甲斐なさかなんなのか、まだ僕にはわかりませんが、とにかく僕は泣いていたわけです。

 先日、祖母は予定より遅れてですが退院しました。退院予定日に僕は祖母に電話したのですが、その時の祖母の声はどこか元気でした。その声を聞いて僕はまた泣きそうになりましたがこの時はこらえることができました。
 
 一連の祖母入院騒動で僕は大阪に帰ろうとも思いましたが、親にも、そして祖母にも「就職活動をしっかりとしろ。」という言葉をもらいました。
 2月、3月は就職活動が中だるみしてくる次期だと、いろんな友人と話していても感じます。そんな時だからこそ自分も頑張ろうと一念発起することができました。
 しかし、僕は思うわけです。自分の仕事と祖母の命、どっちが大事なのかと。その祖母が就職活動に専念しろと言ってるのだから就職活動を大事にすべきなんでしょう。将来のことを考えたら就職活動一択なのも間違いないと思います。
 でも理屈じゃおさえることができない感情を持ってしまう僕もいます。もう祖母に会えるのは数日しかないかもしれません。そう思うと祖母を優先すべきなんじゃなかろうかと。
 
 僕は就職をしても大阪で働く選択はとるつもりはありません。その考えは高校時代から固持し続けてきました。
 「じゃあもし自分の親が倒れたらー」
 今回の出来事でこの考えが僕の頭により鮮明に浮かび上がる様になってきました。大阪と東京。新幹線で2時間半。飛行機だと1時間もすればたどり着いてしまう距離。でも近そうで遠いのも間違いない距離。
 
 東京、もしくは僕が働いている場所に親を呼ぶのか。老人ホームにいれるのか。
 こういったことは僕一人で考えていても意味がなく、親の意向も聞き入れなければならないし、もし僕が結婚できていたらば結婚相手の意向も聞かねばなりません。
 そもそも今考えても答え等でるはずがないことでもあります。

 だからこそ、とにかく早く仕事を決めることができる様に頑張って、仕事が決まればその足で大阪に帰ろうと。帰ってお世話になった人たちの顔を見てこようと思います。

1 件のコメント:

  1. 一気に読みました。
    こんなふうに考えていることは、きっとおばあちゃんやご両親にも伝わっていると思います。

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