企業活動に焦点を当てて、「見える」とはどういうことなのか、そして、「見えない」こととの違いについて書かれている。
「見える」とはどういうことか。私たちは「見える」ことが当たり前だと思っているが、実際には「見えていない」。人間は「全てを見ることはできない」。これは、人間には二つの目しかないため、自分の目の前に現れたことしか見れないので、「見える」対象が限られているという意味でである。
企業活動におけるさまざまな問題点や無駄を「見える」ようにするのは人間である。だから、今まで見えなかったことを「見える」ようにするには「見よう」とする意思、そして「見える」ようにする知恵の二つが必要なのである。人間の意志と知恵があって初めて「見える化」は実現され、維持できる。つまり、逆に言うと、今見えていても、意志が薄らぎ、知恵を絞らなかったら、見えなくなる可能性もあるのだ。
「見える」ことが出来れば収益や新たな価値を生み出すこともできる。例えば、例として出されている企業がトヨタ自動車と花王である。トヨタは品質を落とすことなく利益を上げているが、その源泉は無駄や問題点などを解決しようと、「見よう」とする意思と、「見える」ようにする知恵を徹底的に働かせているところにある。花王も同様に消費者を「見よう」と努力を重ね、実際にそのニーズが見えているのだ。
逆に「見えない」企業だと、「見える」ことが出来れば、発見できたであろう予兆や、対策を打てたであろう問題に対処できずに崩壊していくのだ。
漠然と見ているだけでは「見る」ことはできない。これと同様に、ただ、聞いているだけでは「分かる」ことはできない。「分かる」ためには「分かろう」とする意思と知恵が必要なのだ。分かろうとして聞くから人の話を理解できる。これはゼミでも応用できる考え方だと思う。これからも「分かろう」とする意思を持ち続け、それでも分からない部分を「見える」ように、「見よう」とする意思を持ち続けたいと思う。
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