2009年5月5日火曜日

バカの壁 養老孟司

バカの壁 養老孟司 (新潮社 2003年)

 「人間は自分の脳に入ることしか理解できない。最終的につき当たるのは自分の脳である」
「バカの壁」とは結局は、自分自身が理解することに対して限界を作り出している、ということだ。

・自分が知りたくないことについて情報を遮断する壁
 
 相手が発信した情報に対して何らかの反応をすることがコミュニケーションをする、ということ。それは「脳の中の入出力」によって行われる。y=ax(y:出力=反応 x:入力=情報) ここで係数となっているaは、脳に入力があったときに、自分がそれに対して抱く感情である。その情報に対してどのくらい現実味を持って考えられるか。これは今までの自分の蓄積物に大きく関係する。

・思い込みによる壁

 聞けばわかる、話せばわかる、とよく言われている。しかし、互いの根底にある「常識のズレ」がある場合はそうはいかない。知る、ということは単に知識があることではなく、「共通の常識」(その物事に対する体感的な経験を経て得られるもの)がわかることだ。 知っている、正しい、ということを疑いなしに真っ向から信じることは、最終的に、一元論というとても閉塞的な思考に陥ってしまう。

 以上2点が、私がこの本を通して「バカの壁」だと理解したことだ。 養老さんは現代の社会において、私たちが疑いもせずに価値を置いているもの、優先しているもの(意識、個性、自己同一、知識、)に対して懐疑すると共に、あまり意識されていないもの(無意識、身体、共同体、常識、)に目を向け、社会がいかに凝り固まった大前提で壁をつくってしまっているか、を論じている。

 この本は結構前に出版された本、ということもあり、身体、共同体、個性・・・などさんざん取り上げられてきたテーマばかりであまり新鮮さは感じられなかったが、ひとつ私にとって新しいものの見方を提示してくれた。「情報社会とは自己同一性を追求するから自分自身が情報化してしまう社会のことだ」ということだ。情報は一度発信されてしまえばそれ自体は変化しない。むしろ日々変化をするのは私たち人間なのだ。ある情報に対してどんなにときがたっても同じ気分で見ることはないし、どう感じるか、は常に変化する。1年前の自分と今の自分は物事に対する感じ方が変わっていておかしくない。自己同一性は失って焦るものではないのだ、と。

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