『縮み志向の日本人』 李御寧
日本人は縮み志向。というのが筆者の主張。
題名からすぐにわかるけれど、これが意外と奥が深い。
扇子や折り畳み傘、一寸法師や正座、盆栽など日本はいろいろなものが他国のそれらと比べると縮まったサイズらしい。しかしこの本ではそんなスケールだけでなく、日本の庭やら茶道、さらには人間の行動までを縮み志向に当てはめて論じている。
日本人は「座」を作って、小さいところに集まって何かをするのは得意だが、大舞台に行くとどうすればいいかわからなくなってしまうとあった。今日偶然見た番組では小倉さんが、毎晩必ずトイレで本を読むと言っていた。筆者によると狭いところに縮こまっているほうが心が落ち着く民族、だそうだ。
この本では、日本はそのような縮み志向を生かして世界でも生き抜いていくべきであり、慣れない拡大路線を進もうとするからひずみが出ると書いてある。日本は縮みの技術には長けていても、それは縮ませるような対象を他から与えられないと発揮できない。相手を受けて、それを超えられるようにこつこつと自国に取り込んで伸びてきた国である。これは国だけでなく、個人的にも思い当たる節がある。自分からは動けないし弱いけれど、相手を受け身でとらえるとそれを吸収し、自分のものにして追い抜かす。こういう出方はずるいと思っていたし、自分から何かを発信するほうが強者だと思っていた。けれど、必ずしもそうではないのかと気持が軽くなった。
少し発想を変えると、相手が強ければ強いほど自分も強くなれるということ。そのためにも、自分のものにする技術や努力(本書でいう「縮み」の技術)を普段から鍛えること。そういうやり方での自分のポジションの見つけ方もあるんだと知った。だからと言って、やっぱり広いところでの勝負は捨てたくないし、縮みだけではつまらない気がするけれど、日本人の志向として、「縮み」の血はどこかにあるもの、という考えを頭の引き出しに入れておこうと思った。
一つ一つの主張に、古典や俳句や民謡、日本語の言い回しからの論証がなされている。本当に幅広い知識を持った人でないと書けない文章だと思うと共に、文系で論理的に文章を書こうと思ったら、数字ではないこのようなデータ(資料)を集める必要があるのかと思った。たとえ同じだけの材料を渡されても、この本のように整理するのは難しいとも感じた。蘊蓄がたっぷりで読みごたえのある本だった。
日本の比較対象の相手は欧米ではなくて、中国や韓国とするべきだろう!という主張には、なるほどと思った。そこから入る出だしにすごく心をつかまれた。
2009年12月30日水曜日
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