川上未映子著「ヘヴン」(2009年、講談社)
2009年10月5日読了
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「善とは何か、悪とは何か」‐私たちはその定義を知らない。ただ、「人を殺す」ことは何となく悪いことで、「貧しい人を助ける」ことは何となく良いことだと感じている。それが本当に悪いことなのか、良いことなのかはわからないまま。たとえば戦争。戦争では人を殺す。ただ、それは悪いことにはならない。「悪い人を殺す」ことは悪いことではない。「敵を殺す」ことは悪いことではないからだ。「人を殺す」ことは悪いことなのに、「戦争という大義名分に基づいて人を殺す」ことは悪いことにはならない。
頭がごちゃごちゃになってくる。じゃあ結局、善って何なの?悪って何なの?‐本小説の筆者である川上未映子さんは女優であり、シンガーソングライターでもある、美しく若い女性だ。しかし彼女が本小説を介して読者に問いかける疑問は重くて、苦しくて、思わず目を背けたくなるものばかりだ。「善悪って、何?」
本小説の主人公は14歳のいじめられっこである「僕」。「僕」は、自分自身が斜視であることを理由にいじめられているのだと思い、半ばあきらめたような気持ちで毎日を過ごしてきた。あるとき、「僕」に接近してくる人物がいた。「コジマ」という、「僕」と同じようにいじめられっこの少女だ。「コジマ」は言う。私たちは無力だからいじめられているのではない。これは正しい行為なのだ。私たちは受け入れているのだから、と。「コジマ」は、自分自身がいじめられている要因である自身の「汚さ」を、自分が自分であることの証として重んじ、誇示する。「僕」は「コジマ」の生き様に感銘を受け、惹かれると同時に、何か得体の知れない恐怖を感じ始める。そんなある日、「僕」は、いじめっ子集団の一人である「百瀬」との会話を通し、善悪の境目の無い世の中を知る。
主な登場人物は三人。いじめられっこの「僕」と「コジマ」、そしていじめっこの「百瀬」だ。彼らは皆同じ思春期の少年少女たちでありながら、その価値観や生き様は全く異なっている。どれが正しくて、どれが駄目だ、などと簡単に定義付けることはできない。「僕」の諦め、「コジマ」の強さ、そして「百瀬」の世界観。人はそれぞれ異なる考えを持ち、異なる生き方をするものだ。
ラストシーンに関しては賛否両論だろう。私自身、この本を読み終わり明るい気持ちにはなれなかった。しかし、心の中に隠していたドロドロとした気持ちが溢れ出てくるような、そんな思いで一杯になった。善悪なんてない。不条理に誰かがいじめられ、また不条理に誰かがいじめる世界。そんな世界に生きていても、「幸せ」を感じる人間は、何ともエゴイスティックな生き物だ。
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