新・都市論TOKYO 隈研吾 清野由美
先週文章作法の授業で、日本のガラパゴス化現象の話を聞いた。ガラパゴス諸島では他では見ることのない珍しい生物の宝庫となっていて、それらは独自の進化を続ける。しかしそれらは外界に適応することがもはやできない。日本の産業構造もこのようになっている。携帯を例にとっても、個々の機種の技術は大変優れているが、それは世界共通の規格からは外れたものであり、世界市場において存在感を表すことはない。
21世紀になり、東京では都市の再開発がトレンドとなった。本書にも取り上げられているように、代官山のヒルサイドテラス、六本木ヒルズ、汐留、丸の内がその代表であろう。私はこれらを訪れたことがあるが、とくにこれといった疑問を持つこともなく、おしゃれでおちついていていいなあとしか思わなかった。しかし、実はこれらのなかではガラパゴス化現象が起こっているのではないか、と本書を読んで感じた。特に本書では汐留の開発がどうしようもないもの、として取り上げられている。確かに汐留と聞いて、特にイメージが湧かない。それもそのはず、汐留は高度成長期の残骸である跡地を、それぞれの企業が分割することによって開発された土地だからだ。したがって個々の企業が各自の理念に従ってビルを建設した。ビルごとのテナントは十分に充実している。しかし、全体としての都市計画としては非常に不十分な結果に終わってしまった。ビルごとの連携というか、関係性はまるでなく、なんとも内向的な空間になってしまった。この閉鎖性が現在の日本産業のガラパゴス化に似ていると感じた。
私は汐留にあるイタリア街という、イタリアの生活えをイメージしてつくられた一角を訪れたことがある。しかしそこはイタリアでも何でもなく、ただ閑古鳥が鳴きそうな寂れた場所だった。東京の都市計画の限界を感じた。もはや都市計画はリスクマネージメントにすぎなくなっているようで、都市空間全体をマネージメントしていく」リスクを負う力は東京にはもうないのであろうか。その結果、汐留のような、内向的な全体の調和のとれていない都市ができてしまう。
本書ではこれらの問題に対して特に具体的な」解決案は示されていなく、まだまだ「迷走」していくことが大切で、これからは時間はかかるがボトムアップ的に開発されていくことが望ましい、とある。私自身もこれから東京がどのような都市になっていくのかわからない。しかし、せっかく東京に住んでいるのだから、もっといろいろなところを訪れて、本書にあるような視点でももう一度その町並みを見ていきたいと思う。
2009年6月11日木曜日
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